養巴幼稚園

宗教法人 日本キリスト教団 福岡中部教会付属

今月の便り バックナンバー

 
こちらは2012年度からの「ようは幼稚園 今月の便り」のバックナンバーです。
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2022年度

 

「考えること、信じること」
 

園長 塚本吉興
「五旬祭の日が来て、一同が一つになって集まっていると、突然、激しい風が吹いて来るような音が
天から聞こえ、彼らが座っていた家中に響いた。そして、炎のような舌が分かれ分かれに現れ、
一人一人の上にとどまった。すると、一同は聖霊に満たされて、“霊”が語らせるままに、
ほかの国々の言葉で話しだした。」 (使徒言行録2章1-4節)

 
教会には三つの大切な祝祭日があります。イエスさまがお生まれになったクリスマス、十字架に死んで復活されたイースター、そして、聖霊が降ったペンテコステです。クリスマスやイースターと異なり、ペンテコステについてはあまり知られてはいないかも知れません。でも、この日を境にイエスさまの弟子たちは恐れることなく、イエスさまの福音を語り出したのです。そして、エルサレムから始まって、ユダヤとサマリアの全土へ、そこから世界中へイエスさまのことを伝えに出かけていったのです。そうして長い年月を経て、やがて船に乗った宣教師たちが日本にもやって来て、教会やこの幼稚園を作ったのです。その意味で、ペンテコステは「教会の誕生日」とも言われます。ペンテコステの日、集まっていた弟子たちは、自分たちの言葉ではない外国の言葉で神をほめたたえました。それを聞いた人々は、無学な漁師たちが、自分たちの国の言葉で語っているのを聞いて、驚き、あっけにとられ、考えこんだのです。
 
考えることはとっても大事なことです。ある日の幼稚園での一コマ。いつもは、とびっきりの笑顔で幼稚園にやって来るCちゃんがちょっぴりしかめっ面をしてやって来ました。「おっはよー!今日も元気?あれ?どっか調子悪いの?そんな難しい顔をして…。」すると、Cちゃんは言いました。「今、考え事をしているの。」「ふ~ん。」しばらくして、Rちゃんもやって来ました。大きな声で教えてくれます。「あのねー、スシローが値上げするんだって!」きっと朝のニュースでやっていたのでしょう。冷凍食品も値上げ、サイダーも、もやしも、ポッキーも、ガソリンも、玉ねぎもみーんな値上げ。それに加えてスシローも?!なんだかなぁ・・・と考えさせられます。そんな時に、Tくんからの質問。「神さまのことは誰が造ったの?」思わず、「何と答えようかなぁ」と私も考え込んでしまいました。幼稚園では、花も木も、空も雲も、ダンゴちゃんもキリンさんも、もちろん私たちも、神さまが造ってくださったと学びます。それじゃあ、神さまはどこから来たのか、誰が造ったのか。とっても自然な問いです。後で、保育室に行ってTくんとお話をします。「神さまって誰が造ったのかなぁ。Tくんはどう思う?先生はね、神さまは誰も造ってないと思うんだ。だって、神さまは神さまだから。誰にも造られないで、はじめっからおられるんだよ。それが神さま。」
 
私は小さな頃から教会学校に通って育ちました。そして17歳で教会で洗礼を受けてクリスチャンになりました。でも、大学で宣教学を専攻し、聖書を日々学びながら、色々と考えました。「神さまって本当に祈りを聞いてくださるんだろうか。」、「神さまが良いお方であるならば、なぜ世界で悲しいことがたくさん起こるんだろう。」、「神さまは世界の主なら、何で日本にはクリスチャンが少ないんだろう。」考えても答えが出ないことばかりです。でも、最後には神さまはいつも一緒にいてくださる、というところに帰ってくるのでした。私の好きな讃美歌に「イエスさまがいちばん」というものがあります。「どんなにさびしいときにも、どんなにかなしいときにも、イエスさまがいちばん、イエスさまがいちばん。たとえそれがどんなばあいでも、イエスさまがいちばん、イエスさまがいちばん。だってイエスさまはかみさまだもの。だってイエスさまはかみさまだもの♪」考えることは大事。でも、信じることも大事。そう感じます。なぜなら、ペンテコステに生まれた教会は今や世界中にあり、それぞれの言葉で神をほめたたえているのですから。
 

「サクランボとブランコとこいのぼり」

 

園長 塚本吉興

 

「そして、その子をイエスと名付けた。」 
(マタイによる福音書1章25節)

 
今年もまたやってしまいました…。4月になり、幼稚園の3本のサクランボの木に真っ赤に色づいたサクランボが実りました。とっても晴れた日、明日からは雨の予報です。そこで、今日中に取れる実は取ってしまおうということになりました。脚立を二台用意しました。私は下のちゅうりっぷ組の前から、もう一人は園庭の方から、ボウルにサクランボを摘んでいきます。上の先生は、子ども達と一緒に「あ、あそこに赤いのがあるね~。どうやったら取れるかなぁ。」なんて言いながら、和気あいあいと楽しくサクランボを摘んでいます。園長は、完全に収穫モードです。目をギラギラさせながら、赤い実を求めて枝をくまなく観察、見つけるとボウルをその下に配置して、手を伸ばしてその付近の実を全部取ります。途中、子どもが「園長せんせぇ~、何してるの?」と寄ってきますが、「先生、ちょっと忙しいからね。ごめんね。」とボウルがいっぱいになるまで手を休めることはありませんでした。毎年、サクランボの収穫に没頭してしまいます…。反省。
 
園庭のブランコが新しくなりました。今まであったブランコは、旧園舎の時代から何十年もの間、子ども達の遊びの中心にありました。ブランコは漕いでいるだけで、まるで鳥になったかのような、ロケットに乗っているような、空を飛ぶような不思議な気持ちにさせてくれます。最初は8基あったブランコ、新園舎になった時、工事中の保育が教会の1階で続けられていた関係で、教会のお庭に2基移設されました。今回、新しい安全基準に従って造られたブランコは1基減って5基になりました。でも、これからも子どもたちの夢を乗せて揺れていきます。前後に揺れる度に聞こえていた「キィー」という物悲しい音もなくなり、快適な空の旅が約束されています。
 
こいのぼりの季節です。福岡に来て5年目、その間、ソフトバンクの日本一が4度もあり、ドームに試合も見に行く機会が何度もありました。どこへ行っても流れている「若鷹軍団~♪」のお陰で、歌詞を見なくても歌えるようにもなりました。それでも、小学3年生の頃から広島一筋のカープ愛は消えていません。例年、こいのぼりの時期までは広島も調子が良いこともあって、カープの応援にも熱が入ります。今年もホークス対カープの日本シリーズの実現を願っています。そしてもちろん、その勝者は…。うーん、引き分けがいいかなぁ。
 
サクランボの木は「桜桃」と言うそうです。そこから桜の実という意味の「桜の坊」からサクランボとなりました。ブランコというのは、ポルトガル語の「バランソ」(揺れ、振動)という言葉が語源だそうです。また、カープというのは英語で「鯉」のことです。物には名前があり、名前には意味があります。聖書が語るように、マリアが産んだ幼子は天使の言葉に従って「イエス」と名付けられました。それは「神は救い」という意味です。幼稚園の子ども達にもみんな素敵な名前があり、その背後に子の幸せを願う親の祈りがあります。神さまの愛があふれる幼稚園で、ブランコで遊んで体力を育み、サクランボを食べて自然を愛でる気持ちを養い、こいのぼりのように大きくなりますように。

 

「何回言わせるの!・・・くすっ」

園長 塚本吉興

 

「成長させてくださったのは神です。」
(コリントの信徒への手紙一3章6節)

 
水族館に行きました。クラゲのダンスにイルカのジャンプ、ペンギンのウォークにイワシの大演舞と、水族館には目を奪われるものがたくさんあります。でも、一番楽しかったのは、館内のショップでした。カワウソの「まねっこぬいぐるみ」が置いてありました。その前で男の子が、ぬいぐるみに話しかけています。「ゆうくんは、3歳でしゅ!」ぬいぐるみが甲高い声で、その言葉を繰り返します。「ゆうくんは、3歳でしゅ!」男の子はキャッキャッとはしゃぎながら、ずっとぬいぐるみとお話をしています。すると、その子のお母さんがやって来ました。ちょっと怒っているようです。「ゆうすけ(仮名)!もう、いい加減にしなさい。さっきから帰るって言っているでしょ。もう!」すると、その声も拾ったぬいぐるみが甲高い声で、「ゆうすけ!もう、いい加減にしなさい!・・・」近くで他の商品を見ながら、このやり取りを聞いていた私は、思わず、笑いを噛み殺すのに苦労しました。お母さんはいたって真面目に子どもを叱り、子どもも神妙な顔をして聞いています。でも、ぬいぐるみの声が、そんな張り詰めた雰囲気を和ませてくれたのです。そのお母さんも思いがけない横槍に、苦笑せざるを得ませんでした。
 
子育ては大変なこともたくさんあります。特に子どもを叱るのは難しいですね。時に子どもを思って叱っているのか、単に自分のイライラを子どもにぶつけてしまっているのか、分からなくなるようなこともあります。理不尽な怒り方をしたり、「パパはいっつも怒っている」などと子どもからポツリと言われて、情けなくなる時もあります。「育児は育自」と言われます。パパやママだって完璧ではないのです。子どもを育てていると思っていたのに、子どもから教えられたり、子どもに気付かされたりすることは多いのです。
 
わたしたちの幼稚園はキリスト教保育を行っています。それは、キリスト教会の信じている「聖書」に基づいた教育ということなのですが、大切にしていることが幾つかあります。「目に見えないものを大切にする」、「神さまがいつも共にいてくださるという思い」、「神さまが私たちを愛してくださっているように、自分や他人を愛する」、「一人一人が神さまから与えられた個性を大事にする」などです。そのことは具体的には「子どもの想像力にまかせた遊びを大切にし、神さまによって、子どもと一緒に成長させてもらうことを喜ぶ」ということに繋がります。
 
幼稚園の新しい一年が始まりました。幼稚園に子どもたちの遊びと笑顔があふれます。この一年の歩みの上に神さまの祝福がありますように、また、大人も子どもも喜んで通って来ることができるように、お祈りしています。共に子育てを楽しみ、共に成長させていただきましょう。

 
 

2021年度

 

「なんにでもなれるんだ!」

園長 塚本吉興

 

わたしを強めてくださる方のお陰で、わたしにはすべてが可能です。
フィリピの信徒への手紙4章13節

 
2月の天気の良い日に舞鶴公園に行きました。梅の花を見た後、芝生広場でおにぎりを食べて、走り回って遊びました。芝生広場から平和台陸上競技場に、木立の中を抜けて行く道の入口に岩があり、子どもたちの恰好の遊び場となっています。何人かの女の子が岩をテーブルに見立てて遊んでいます。「何をしているの?」一人の子は、「これね、たき火してるの。」と集めて来た小枝をパキパキと折り、小石を積み重ねながら答えました。もう一人は、小枝をペンにして熱心に何かを岩に書き付けています。すると、そこへもう一人の子が来て、その子に訊ねました。「何してるの?」その子は顔を上げて、嬉しそうに答えました。「プリキュアしてるんだよ。」それを聞いて、後から来た子が言いました。「わたしも入れて!」、「うん、いいよ~。」そして二人は一緒に遊び始めました。
 
大人の目から見れば、小枝は小枝、小石は小石です。子どもたちにとってもそうです。でも、「これは、たき火」と言った瞬間に目の前には赤々と燃え盛るキャンプファイヤーが出現。「プリキュア!」と口にした瞬間に、世界が鮮やかなパステルカラーになるのです。子どもは何にでもなれるのです。
それは、想像の世界の中だけの話ではありません。子どもたちは大きな可能性を秘めています。「何にでもなれる」というのは、将来の夢を考える時にも同じです。成長していくと思い通りにならないこともあり、あきらめなければならないことも、扉が閉じられることもあります。でも、そんな時にも、幼稚園の頃に「何にでもなれるんだ!」、「何でもできるんだ!」という経験をしたことはきっとプラスになるはずです。だから、大人は「何を言っているの。それはただの小枝でしょう。」とは言わず、「あー、あったかいねぇ。」と子どもたちの想像の世界を壊さないようにします。ただ、「そんなところ触ったら火傷するよ!」などと叱られてしまうこともしばしばですが…。
 
パウロという人は、ギリシャにあるフィリピの教会の人々に送った手紙に、「わたしにはすべてが可能です」と書きました。それは、満ち足りている時も、困窮している時も、イエスさまのことを語るという自分の働きをすることができる、という意味でした。「わたしを強めてくださる方のお陰で」とあるように、神さまがパウロに必要な力を与えてくださっていると確信していたからです。子どもたちの万能感とは裏腹に、私たちは無力感を感じることも多くあります。ウクライナで戦争が起きています。コロナウイルスのパンデミックが3年目に突入しています。人間関係や仕事のこと、色々な局面で私たちは「何もできない」という経験をします。しかし、パウロがそうであったように、私たちにはできなくても神にはできる、ということがあります。だから、教会は2000年の間、祈り続けてきました。私たちの思い通りにはならないかも知れない。でも、神さまは、わたしたちといつも共にいてくださることを約束してくださいました。4月になれば、子どもたちは一つずつ学年が上がります。ゆり組さんは卒園して、「ピカピカの一年生♪」になります。不安の多い時代です。でも、「あなたは何になってもいいんだよ。」、自分勝手という意味ではなく、「何でもできるんだよ」と励まし、子どもたちのことをこれからもずっと応援して、神が共におられることを祈りに覚えていきたいと思います。

 
 

 

東方の博士たちの喜び

園長 塚本吉興

 

「彼らが王の言葉を聞いて出かけると、東方で見た星が先立って進み、
ついに幼子のいる場所の上に止まった。学者たちはその星を見て喜びにあふれた。」
マタイによる福音書2章9−10節

 
 
子どもたちは、空き箱制作が大好きです。ある日、一所懸命に何かを作っている子がいます。かなりの大作です。「すごいね〜!何を作っているの?」、「うん、これはねぇ・・・・。」どうやらキリンさんを作っているようですが、長い首がなかなか安定しません。テープが弱いのかすぐに取れそうになってしまいます。「あ、こうやって留めたらいいんじゃない。」と言いそうになって、慌てて口を閉じます。どうやったらできるかなぁ、と真剣に考えている表情がとっても楽しそうだからです。キリンを完成させることだけでなく、その過程が遊びであり、楽しいのです。
 
最近、久しぶりにスキーに行きました。私はなだらかな丘しか滑れないのですが、我が家の中高大生たちは、全く上手くないにも関わらず、上級者コースを滑って来ます。これは父親のプライドの問題です。二番目に難しいコースにチャレンジします。そもそも、そこに至るリフトですら怖いのですが、山の上に行ってしまったら、そこから降るしかありません。覚悟を決めて、でも、2、3分そこから動けません。もはやプライドも何もありません。「今日の目標は怪我をせずに帰ること。かっこ悪くても、ゆっくり、安全に。」と呪文のように繰り返し、足を踏み出そうとすると、反対側のスタート地点から三男が滑って来ます。何の恐れもなく、スキージャンプでもするのかという速度で、普通は蛇行して進むところを直滑降で滑っています。そして、その楽しそうなこと。
 
いつからか、こなすこと、終わらせることが目標になり、その過程を楽しむということがなくなってしまったと感じることはないでしょうか。スキーのように、わざわざリフトで上に行って、降ってくるという本来は何の意味もないアクティビティは、ゲレンデの下にたどり着くことが目的ではなくて、その過程を楽しむために行います。誰かが言いました。「ゴールすることではなく、その過程を楽しむことが人生。」子育てをしていると、その時には過程を楽しむ余裕はないかも知れません。忘れ物のないように幼稚園の用意をさせる、遅れないように幼稚園に着く、ご飯を食べさせる、お風呂に入れる、寝る前に歯を磨いて、寝かせる。怒涛のような1日の中で、何度私たちは、「早く!」と口にしているでしょうか。「早く起きなさい。」、「早く食べなさい。」、「早く片付けなさい。」、「早く寝なさい。」1日の目的はその日を、そつなく無事終わらせることであるかのように。
 
クリスマスの物語に登場する3人の博士たちは、東方からやって来ました。そして、ようやくベツレヘムに生まれた幼子イエスを探し当てました。その道のりは長くつらいものでしたが、彼らは常に星に導かれ、その心は新しい王に会える喜びで満ちていたのではないでしょうか。イエスさまに会うというゴールだけでなく、その途上もワクワクした思いを抱えて楽しんだのです。忙しい毎日の中でちょっとだけでも、そんな「過程」を楽しみたいですね。「ママ、こんなところにどんぐりが落ちてる!」、「お母さん、ニンジンって何で赤いの?」、「パパ、見て、息が白いよ。」

 

 

クリスマスの準備はOK?

園長 塚本吉興

 

「天使たちが離れて天に去ったとき、羊飼いたちは、『さあ、ベツレヘムへ行こう。
主が知らせてくださったその出来事を見ようではないか。』と話し合った。」
ルカによる福音書2章15節

 
「みどりのクランツに明かりがついた♪」キャンドルの灯が一つずつ増えていき、4本のキャンドルが灯ったときがクリスマスです。子どもたちは、クリスマスを楽しみに待っています。そして、クリスマスにはたくさん楽しいことがあります。クリスマス会、クリスマスケーキ、クリスマスプレゼント、クリスマスマーケット・・・。クリスマスという言葉がつくと、とっても楽しく、嬉しい気持ちになります。
それは、クリスマスがイエスさまの誕生をお祝いする時であるからです。イエスさまは、私たち全ての人のために、2000年前、ベツレヘムという小さなイスラエルの村でお生まれになりました。幼稚園では、子どもたちがページェント(聖誕劇)を通して、そのことを皆でお祝いするのです。
 
聖書によれば、救い主の誕生を最初に聞いたのは、夜通し羊の番をしながら野宿していた羊飼いたちでした。羊飼いはイスラエルの伝統的な職業であり、羊は肉や毛皮が重宝される重要な家畜でしたが、羊飼いたちは町の中には居場所を持っていなかったのです。そんな社会の底辺にいた人々に、まず天使は救いの知らせを告げたのです。天使は「恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。」と告げました。世の救い主が「あなたがたのために」生まれたと聞いた羊飼いたちは、「さあ、ベツレヘムへ行こう。」と話し合い、羊を連れて、ガヤガヤ、メーメー…お生まれになった救い主を探してすぐに出かけたのです。
 
『イエスさま、おたんじょうおめでとう』という絵本があります。みかちゃんという女の子が、お母さんとクリスマスの馬小屋を飾っています。みかはお母さんに尋ねます。「お母さん、イエスさまは馬小屋で生まれたのに、どうして牛がいるの?」「それはね、こんなお話があるのよ。」お母さんが話してくれたのは・・・その日、天使はお生まれになるイエスさまをみんなでお迎えするために動物たちを集めて回りました。ライオンを見つけて「お祝いに行ってくれない?」と尋ねますが、ライオンは家来たちを集めてから行くと答えました。狐にも同じように言いますが、狐はお土産を見つけてから行くと言います。くじゃくにも声をかけますが、くじゃくはオシャレをしてから行くと答えました。誰もイエスさまのところに行ってくれないので、天使は気落ちして、木の枝に座り込んでしまいました。すると、その下に畑を耕している牛がいました。天使は牛に声をかけました。すると、牛は「イエスさまがお生まれになるのをずっと待っていたんだ。すぐに行くよ。」と言うと一所懸命に走り、イエスさまのお誕生に間に合ったのです。他の動物たちも後からやって来ました。だから、牛はイエスさまの馬小屋の中にいるのです。羊飼いも牛も、知らせを受けてすぐに出かけました。私たちがクリスマスを迎えるために必要なもの、それは、プレゼントでもデコレーションでもなく、イエスさまをお祝いし、迎え入れる心なのかも知れません。

 

心を育てる神さまのことば

 

園長 塚本吉興
「ところが、ほかの種は、良い土地に落ち、実を結んで、
あるものは百倍、あるものは六十倍、あるものは三十倍にもなった。」
マタイによる福音書13章8節

 
じゃがいも、さといも、さつまいも、ニンジン、パプリカ、長なすび、までは分かります。でも、フォックスフェイス、フィノッキオ、ロマネスコ、サボイキャベツとなると、先生が「これなーんだ?」と聞いても答えることができる子は、ほとんどいません。(もちろん園長も、見たことも食べたこともない野菜ばかりです…。)定番には定番の安心感があり、また、初めて見る野菜や果物と出会えることがあるのも、収穫感謝礼拝の楽しみの一つです。礼拝では、子どもたちが持ち寄った野菜や果物などの地の実りをホールのテーブルの上に並べて、一緒にその全てをくださった神さまに感謝します。「おいしいおいしいくだものも おいしいおいしいおやさいも かみさまからの おくりもの ありがと ありがと ありがとう」と、とっても懐かしい感じのする讃美歌を歌います。どんなモノでも手に入る現代、日々与えられている神さまの恵みを感謝する経験、また、作物を育ててくれた人に感謝する気持ちを育むことは、子どもたちにとって大切なことなのだと思わされます。
 
イエスさまは例え話を用いて人々に教えられました。「種まきのたとえ」はその一つです。農夫が、肩に下げた袋から片手いっぱいにとった種を勢いよく畑に蒔いていきます。道端に落ちた種は鳥に食べられてしまいます。土が浅い所に落ちた種は枯れてしまいます。茨の間に落ちた種は育つことができません。良い土地に落ちた種だけが大きく大きく成長して、たくさんの実を結ぶことができたのです。農夫は神さま、種は神のことば、蒔かれた土地は私たちの心を表しています。神さまは日々、私たちにみ言葉を与えてくださっています。その時の私たちの心がどのような状態であろうとも、み言葉が蒔き続けられるのです。そして、その実りをもたらしてくださるのも神さまです。幼稚園の子どもたちは、よく耕されたふかふかの畑のような柔らかい心を持っています。そこに蒔かれたみ言葉の種は、きっと大きく成長して、子どもたちを心の豊かな、人の痛みや苦しみに寄り添うことができる人として育つことができるようにしてくれるでしょう。
 
収穫感謝礼拝は、日々与えられる神さまの恵みに感謝するときです。それは、目に見える野菜や果物、そしてそれらを食べることによって大きくたくましく育ってきた体のことだけではなく、目に見えない子どもの心の成長を感謝するときでもあります。皆さんは、自分の子どもにどんな心を持って欲しいと思われていますか。「どんなことにも負けない強い心」、「思いやりのある優しい心」、「正しいことを愛する心」、「いつも笑顔でいられる広い心」、「音楽や芸術を愛する穏やかな心」などいろいろあると思います。先日、ある男の子が友達からもらったお手紙の返事を見せてくれました。そこには「おてがみありがとう〇んこ」と書いてありました。うん、大丈夫。感謝の心もユーモアの心もしっかりと育っています。神さまに感謝しましょう!

 
 
    福岡中部教会付属 ようは幼稚園

「大きくなった!」な運動会

園長 塚本吉興

 
「しかし、主よ、あなたは我らの父。わたしたちは粘土、あなたは陶工。わたしたちは皆、あなたの御手の業。」 ―イザヤ書64章8節
 
待ちに待った運動会がやってきます。運動会の華は何と言っても年長組のリレーです。年少組の時には、10メートルほどの距離を走って、担任の先生が持っているタンバリンを叩くだけでも、間違った方向に走ってしまったり、名前を呼ばれただけで恥ずかしくて走られなかったりした子たちが、バトンを持って園庭を一周していき、次の子にバトンを渡します。子どもたちの成長を感じる時です。年少組と年中組も、ゆり組になったらあんなに速く走れるのか、と目を丸くしています。リレーは、練習の時から白熱した勝負が展開され、負けて泣く子もいます。でも、練習では負けなしのグループでも、本番では、転んだり、バトンを落としたりして負けることもあります。オリンピック顔負けのドラマがあり、勝ち負けがはっきり出るだけに、子どもたちだけでなく、大人もエキサイトするのです。
 
年長組のもう一つのハイライトは、三段に積んだブロックからの大ジャンプです。ここは一番のシャッターチャンスでもあるので、カメラマンの岸岡さんが、子どもたちが飛び上がった瞬間を撮るために待機しています。ブロックは大人の背丈ほどの高さがあります。子どもの身長の倍近い高さです。そこから下のマットに飛び降りるのですが、台の上に立てば、目線は当然自分の身長分高くなりますから、これは相当、高い所から勇気を振り絞って飛び降りるということになります。でも、子どもたちは、次々にぴょんと飛び降りていきます。たいていは、下に向かって飛び降りますが、上や前に大きくジャンプする子もいます。傍にいる方がハラハラするほどですが、着地も慣れたもので、まるで体操競技の着地を見ているようです。「10点!」という声がどこからか聞こえてきそうです。
 
運動会へ向けて子どもたちは一所懸命に「運動会ごっこ」をして練習を重ねています。初めての運動会、たくさんのお家の人たちが見守り、カメラやスマホを構える中で、スタートラインから先生までの距離を走る。大人から見れば10メートルもない距離でも、ちゅうりっぷの子にとっては、とてつもなく遠く感じるかも知れません。リレーも園庭の1周と言えども、バトンを落とさないように持って、前の子を追いかけながら、自分の組の期待を一身に負って、かなり急なコーナーを駆けていくのは大きなプレッシャーです。また、大人から見れば背丈ほどのブロックも、目線として身長の2倍以上の高さから跳ぶのは、とっても勇気がいります。高所恐怖症の私にはとても無理です…。
 
色んな子がいます。走るのが速い子、ダンスが得意な子、高さが苦にならない子、がいます。そうではなく、運動が苦手な子もいます。でも、色んな子がいるからこそ、楽しいのです。お互いの弱点や苦手を補い合って、優しさを育むことができるのです。年長組のパラバルーン、一人一人が布を持って、まあるく広がった時、まるでこの地球の縮図を見ているかのようです。運動会では、それぞれの子が、その子らしく一所懸命に輝いている姿を見ることができるはずです。楽しみな運動会、ドキドキの運動会。勝ち負けや、他の子どもとの比較ではなく、ぜひ、その子の成長、今しか見ることの出来ない姿を見て、一緒に喜ぶ時となりますように。

    福岡中部教会付属 ようは幼稚園

海よ、俺の海よ

園長 塚本吉興
「見よ、兄弟が共に座っている。なんという恵み、なんという喜び。」
詩編133編1節

 
辛坊治郎さんというニュースキャスターがいます。テレビやラジオで活躍してきた人ですが、最近、大阪とアメリカのサンディエゴ間のヨットによる太平洋単独無寄港横断に成功したことが報じられました。しかも、アメリカに着いた後は、「アメリカでヨットを売却する手続きがめんどう」ということで、わずか5日後に、復路も単独航海を続け、8月24日に日本にたどり着いたのです。往復2万キロ、4ヶ月半にわたる大冒険でした。幾ら最新の設備を積んだヨットで、衛星携帯電話で常に連絡を取れる状態であったとは言え、全長わずか39フィート(12.22m)のヨットで一人太平洋の荒波を超えていったのはすごいことであったと思います。増してや、飛行機に飛び乗って帰って来るというのではなく、再び、ヨットで日本に帰って来たのは、もう理解を超えています。この話をニュースで読んで最初に思い出したのは、『太平洋ひとりぼっち』という本のことです。1962年、世界で初めて日本からサンフランシスコに小型ヨットで単独航海を成功させた堀江謙一さんの航海記です。当時は、ヨットで出国することが認められていなかったため、堀江さんは「密出国者」ということになり、アメリカ入国に際してもビザが無いため、すぐに強制送還されて、日本では逮捕されることになる、と言われていたそうです。しかし、90日の航海を経てサンフランシスコに到着した時、当時の市長は、「コロンブスもアメリカに来た時、パスポートを省略した」と言って、彼を名誉市民として迎え入れたのです。その後も、堀江さんはヨットでの世界一周など、数々の冒険を成功させています。
 
小学生の頃、我が家の本棚には「少年少女世界文学全集」が並んでおり、その中でも『十五少年漂流記』や『宝島』など、海での冒険の物語が好きでした。5、6年生の時には、日本で2団しかなかったシースカウト(ボーイスカウトの海版)に入り、ロープのもやい結びやカッターボートの操船技術を学んでいました。ですから、今回の太平洋横断のニュースには、コロナ禍の中で心がワクワクさせられました。海を超えて行けば、海外、まさに海の外、海の向こうの国に行けるのです。
 
童謡「海」の歌詞を覚えていますか。「1.海は広いな、大きいな、月がのぼるし、日が沈む。2.海は大波、青い波、ゆれてどこまで続くやら。3.海にお舟を浮かばして、行ってみたいな、よその国。」今は、海外旅行をすることはできませんが、「よその国」に行って思わされるのは、うちの良さではないかと思います。旅行から帰って来た時に「あ〜、やっぱり家が一番ええわ!」というのは、大阪のオカンの定番のボケです。辛坊治郎さんも、4ヶ月半の航海を経て「家族の大切さ」を改めて感じたそうです。でも、そのことって知らなかったわけではありません。ずっと知っていたけれども、離れた時にそのことをより深く感じて、素直に認めることができるようになるのでしょう。お家時間も増えているコロナの時、そんな家族のありがたみ、どれだけ大切に思っているかを、お互いに伝え合い、行いをもってその愛を示すことができれば素敵ですね。アメリカの家庭によく飾られているクロスステッチの言葉「Home Sweet Home」(我が家、愛しい我が家)のように。

 

「 見つける喜び、見つけられる嬉しさ 」

園長 塚本 吉興

 

「人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
ルカによる福音書19章10節
 

この時期になると小さな昆虫ケースを持って登園してくる子が増えてきます。ちょうちょ、ダンゴムシ、バッタやコオロギ、その中でも一番の宝物はカブトムシです。カブトムシを目にしたときの子どもたちの目の輝きは明らかに他の虫に向けられたものとは異なります。「触ってみたいけど、ちょっと怖いな…。よく見ると、鉤づめがすごいなぁ。大きな角だなぁ。でも顔はちょっとユーモラスかも。」カブトムシは、昆虫好きの子どもたちの心を揺さぶる昆虫の王様なのです。
 
幼い頃、祖父母が住んでいたのは熊本県植木町でした。言わずと知れたスイカの産地ですが、お盆休みに遊びに行くと、必ずと言っていいほど早朝に祖父と一緒に散歩に行き、近所の家の庭先にあった木にカブトムシを見つけて持ち帰るのでした。まだ薄暗い中、熊本弁をしゃべる祖父と二人きりの散歩に少し緊張しながら、それでも「カブトムシいるかな?」とドキドキしています。そして、樹液を一心に吸っている大きなカブトムシを見つけた時の喜びは、普段都会で暮らしていた私が経験したことのない大きな喜びでした。福岡に来る前に暮らした兵庫県川西市という所も、少し山に入れば多くのカブトムシがいるところでした。深夜、自転車できつい山道を登って行き、お化けの出そうなトンネルをくぐった先にポツンと一つの街灯があります。その下がカブトムシポイントの一つでした。光に集まって来て、道路にひっくり返っていることがあるのです。たいていは空振りに終わるのですが、もぞもぞと路上で動く黒い物体を見つけ、近づいて、「あ!カブトだ!」となった時は、幼いあの頃に戻ったような喜びが湧き上がるのでした。
 
何か探しているものを見つけることは嬉しいものです。それが貴重なものであればなおさらです。でも、見つけることに勝る喜びがあります。それは、見つけてもらうことです。幼稚園でも子どもたちが、よく「かくれんぼ」をしています。隠れている子は、早く見つけて欲しくてうずうずしています。だから途中から「かくれんぼ」なのか、何か他の遊びなのか分からなくなります。でも、ずっと隠れていても誰も捜しに来てくれなかったら悲しいはずです。私たちは見つけて欲しいのです。見つけられることは、相手が自分を見てくれているということ、隠れているのをわざわざ見つけるくらい大事に思ってくれているということです。それが嬉しいのです。
 
イエスさまは、失われた私たちを捜して見つけるために来てくださいました。私たちは自分の本当の姿を失ってしまうこともあるほど、迷いやすい存在です。特に子育てをしている時、忙しさの中で、喜びを見失ってしまうことがあるかも知れません。疲れとストレスに我を忘れ、何のためにこんな大変な思いをしているのかと思うことすらあるのです。でも、イエスさまは、私たちを見つけてくださいます。私たちに安らぎを与えるために、救いをもたらすために、私たちが本来の神に造られ、愛される存在として再び生きることができるために。

 

「 似てるけど・・・違う? 」

園長 塚本 吉興

 

「そこで、ペトロは口を開きこう言った。
『神は人を分け隔てなさらないことが、よく分かりました。』」
使徒言行録10章34節
 

雨の日です。ちゅうりっぷ組の女の子が、ばら組の前の壁を指差しています。「園長先生、見て!」大きなカタツムリが体をいっぱいに伸ばして、子どもたちの植木鉢の上の壁を進んでいきます。雨の日のカタツムリは、元気いっぱいです。そして、カタツムリは子どもたちの人気者でもあります。「で〜んでんむ〜しむし、か〜たつ〜むり♪」カタツムリを見つけたら、カゴに入れたくなります。キュウリやキャベツを食べる様子を嬉々として観察します。でも、カタツムリに似ているアイツはどうでしょうか。石の下のジメジメした所や、落ち葉の下に隠れているア・イ・ツ。カタツムリにそっくりだけど、背中の殻がない。私はこの虫(?)が大の苦手なので、名前をタイピングすることもできません。小学生の頃、敷かれたばかりの芝生の上で裸足になって遊んでいた時、小指と薬指の間に何かが挟まっている感覚が。恐る恐る下を見ると・・・すっぽりと指の間にはまったアイツがこっちを見ています。「ギャー!!」必死に地面に足をこすりつけながら、走り回りました。でも、私だけでなく、この虫が好きな人も、カゴに入れて観察してみよう、という人はあまりいないのではないでしょうか。
 
考えてみると、そんな例はたくさんあります。この時期、幼稚園に登園してくる子どもたちは、ヨーグルトのカップを大事そうに持っていたり、ぎゅっと手をにぎり締めていたりします。そこにいるのは、そう、みんな大好き「ダンゴムシ」です。「だんごちゃん」と親しみを込めて呼ばれるダンゴムシは、もはや幼稚園のアイドル的存在です。一匹でも多く集めることに情熱を燃やしている子もいますし、「この子、卵を抱いてるんだよ。」と、細かく観察した結果を報告してくれたりする子もいます。でも、ダンゴムシによく似たワラジムシはどうでしょうか。「便所虫」と呼ばれることもありますが、だんごちゃんより、わずかに逃げ足が速く、丸まらないという特徴だけで、害虫の代表格の扱いを受けています。ほかにも、「ちょうちょ、ちょうちょ♪」という歌はありますが、「蛾蛾蛾、蛾蛾蛾♪」という歌はありません。チョウもガも、とっても良く似ているのに、その扱いは正反対です。でも、どんな虫も神さまが造られた素晴らしい自然の一部であり、豊かな生態系の大切な一部分を担っているのです。
 
聖書は、イエスさまの弟子の一人であったペトロが、神の救いはユダヤ人だけでなく、全世界の人々に向けられていることを知った時の驚きを記しています。「神は分け隔てなさらない」ということは、ペトロにとってはショッキングなことであったのです。誰でも、イエスさまの名を信じる人は救われる。神は全ての人を愛されるのです。そうして、キリストの教えは世界中に広がって行きました。
 
私たちも他人のことを色眼鏡をつけて見てしまうことがあります。子どもに対しても「この子は◯◯だから」と決めつけてしまうことがあります。でも、一人ひとりが神さまの造られたユニークで美しい存在なのです。広い心で、子どもたちに接していきたいものですね。そして、人だけでなく、嫌いな虫にも寛容になれるといいですね。(でも、ゴキちゃんだけは、ちょっと勘弁・・・。)

 

「パパ、お月さまとって」

園長 塚本 吉興

 

「あなたの天を、あなたの指の業を、わたしは仰ぎます。
月も、星も、あなたが配置なさったもの。
そのあなたが御心に留めてくださるとは、人間は何ものなのでしょう。
人の子は何ものなのでしょう。あなたが顧みてくださるとは。」
詩編8編4−5節
 
 

 

 

「はらぺこあおむし」など独特の絵柄で知られるエリック・カールさんの作品に「パパ、お月さまとって」という絵本があります。モニカという女の子が夜空に浮かぶ大きなお月さまと遊びたくて、パパに言うのです。「パパ、お月さまとって」。お父さんは、長い長いはしごを持って、高い高い山の上に登り、お月さまのところに行きます。でも、月は大きすぎて、持って帰ることができません。すると月が「わたしは毎晩少しずつ小さくなっていくんですよ。ちょうどよい大きさになったとき、連れて行ってくださいな。」と言うのです。そして、月がちょうどよい大きさになった時、パパは月を連れて帰り、モニカは月を抱きしめたり、投げ上げたりして遊びます。その間も月は小さくなり続け、ついに消えてしまいます。でも、また数日後、月は空に輝いていて、今度は少しずつ大きく大きくなるのでした。
 
最近、しんどくなるニュースが多いせいか、空を見上げることが増えた気がします。夜も明るくて星はチラホラとしか見えない福岡の空も、月ははっきりと見えます。4月の満月は「ピンクムーン」と呼ばれるそうです。月がピンクに見えるのではなく、毎月の満月に名前をつけていたネイティブ・アメリカンの呼び名に由来し、この時期に咲く「フロックス」というピンク色の花にちなんでいるそうです。5月は「フラワームーン」、6月は「ストロベリームーン」、7月は「バック(雄鹿)ムーン」と、季節や自然の移り変わりに合わせて、月の名前があるのです。それは、日本も同じで、お月見という言葉があるほど、昔から月を愛でる習慣がありました。一五夜だけでなく、三日月や、半月、有明の月など、満ち欠けによる呼び名だけでなく、季節によっても春月や夏月など、また、月の見え方によっても、孤月(寂しげに見える月)、淡月(光の淡い月)、青月(青く輝く月)など、月にまつわる語彙が豊富にあり、夜空を見上げながら、風流に一句ひねりたくなるほどです。(ひねりませんが…。)
 
聖書は、月や星の美しさを語ります。でも、そこで止まらずに、それらを造られ、配置された神の偉大さに触れるのです。「月も、星も、あなたが配置なさったもの。」月の満ち欠けとその美しさと不思議さ。それは、偶然ではなく、神がそのように計画され、創造されたもの。月との絶妙な距離と引力によって、海の干満も起こりますし、すべてのことが、バランスをもって保たれているのです。そのような宇宙全体を完璧な調和の中に造られたお方が、「御心に留めてくださる」私たち人間。とてつもなく大きな存在である神が、私たちにとてつもなく近い存在としていてくださる。それがイエス・キリストが神の御子でありながら、私たちと同じように人として世に来られたという出来事でした。5月の満月は5月26日、スーパームーンと呼ばれる最も大きく見える満月で、さらに皆既月食が重なり、月全体が赤みを帯びて夜空に浮かびます。お子さんと一緒に空を見上げてみませんか。

 

「イースターって何?」

園長 塚本 吉興

 
 

「わたしは良い羊飼いである。良い羊飼いは羊のために命を捨てる。」
ヨハネによる福音書10章11節

 
イースターと言えば、最近ではディズニーランドやUSJにおいて、クリスマスやハロウィーンのようにイースターイベントをやっていたり、カルディの店先にイースターバニーのチョコレートが並んでいたりして知名度が上がってきていると思います。それでも「え?イースターって、そもそも何をお祝いしているの?」ということもあるのではないでしょうか。教会にとって大切なイースターは、イエス・キリストが十字架について死に、三日目に復活されたことをお祝いする時です。イースターの卵は「新しい命」を、うさぎは「春の訪れ」を表します。教会が発展したヨーロッパでは、イースターが冬から春、寒さから暖かさ、暗闇から光、死から命を表すものだったからです。
 
私が通った高校は、アメリカの田舎にある寮制の学校でした。日曜日には、近くの教会の礼拝に通っていましたが、イースターの日には寮生だけのSunrise Service(日の出礼拝)がありました。まだ日の出る前に学校を出て、車で近くの州立公園に行き、もやが立つ、神々しいほどの静けさの中、「キリスト・イエスはよみがえられた♪」と讃美歌を歌ったのを覚えています。最初のクリスマスがおそらくそうであったように、最初のイースターも騒がしい音楽やお祭り気分とは無縁の静かな喜びが満たされるような時であったのではないかと想像します。
 
養巴幼稚園は創立以来、キリスト教保育を続けてきました。その意味は、「子どもたち一人ひとりが神さまによって造られた美しく、素晴らしい存在であると受け入れる」ことであり、「子どもたちと一緒に神さまの愛を感じながら、自分も他人も大切にすることができる」ことです。ですから、幼稚園の一日の生活の中で、讃美歌を歌ったり、聖書のお話を聞いたり、お祈りをしたりする時間があります。お祈りの時、目を閉じ、手を組んで、心を静かにします。最初は、慣れていないちゅうりっぷ組の子どもたちもすぐにお祈りの姿勢を取ることができるようになります。そして、教師の祈りの声に合わせて最後に「イエスさまの、おなまえによって、おささげいたします!アーメン!」と力強く祈ることができるようになります。椅子にちょこんと腰かけ、ぎゅっと目をつむってお祈りしている子どもたちの姿は、本当に小さな天使を見ているようです。
 
幼稚園の新しい一年が始まります。まだまだコロナ禍が続き、様々な制約がある中での園生活ですが、一日一日を神さまによって与えられたものとして大切にしたいものです。そして、私たちのために命を捨てられ、イースターに復活されたイエスさまの愛によって常に満たされている喜びをもって、子どもたちと共に、日々を楽しく元気に過ごしていきたいと願っています。

 
 

2020年度

 

しっかりつながっていて

 

 
 

園長 塚本 吉興

 

 
「わたしたちは、あなたがたからしばらく引き離されていたので
      ―顔を見ないというだけで、心が離れていたわけではないのですが
―なおさら、あなたがたの顏を見たいと切に望みました。」
(テサロニケの信徒への手紙一 3章17節)

 
とても静かな春です。いつもだったら聞こえている「ママがいい~!オヨヨ…」という泣き声も、みんなで讃美歌を歌っている声も、気持ちよく晴れ渡った空の下でドッヂボールをしている声も聞こえません。園庭の真ん中に立っていても、目を閉じれば、風の音が聞こえ、ここがどこなのか一瞬分からなくなります。そして、目を開けて、深いため息…。幼稚園は子どもが元気に遊んでいてこその幼稚園だということを思います。ダンゴムシも、アリさんも、真っ赤に実ったサクランボも、どこか寂しそう。こいのぼりだけが、強い風にはためいて、みんなを元気づけようとしているかのようです。
 
我が家には、小中高大の4人の子どもと、養育里親でお預かりしている1歳児がいます。STAY HOMEを頑張っていますが、7人で1日中過ごしていると、どうしても普段より喧嘩が多くなったり、トゲのある言葉をお互いに言ってしまったりします。反面、普段は部活で家にいることの少ない子どもたちと、一緒にご飯を食べているので、家族の会話も増えました。友達と遊ぶことができないので、仕方なく(?) 兄弟同士、また、家族で人生ゲームなんてこともあります。天気の良い日は、掃き出し窓に座って昼食をとることもあります。本当に時が止まってしまったような日常が続いています。各ご家庭で、いろいろと工夫をされていると思いますが、さすがに2カ月ともなると、色んなアイデアも尽きかけ、ストレスも相当たまっているのではないかと思います。
 
テレビをつけても、新聞を開いても気の滅入るニュースばかりです。そんなことを考えながら、園庭のこいのぼりを見上げていると、上から声が降ってきました。「おーい!先生ぇ!」一緒にいた先生たちと上を見上げると、幼稚園のすぐ裏のマンションに住んでいる園児の男の子がお姉ちゃんとベランダから手を振っていました。遠すぎて、お互いに何を言っているかは分かりません。でも、ぴょんぴょん跳ねながら、懸命に手を振る姿に、私たちも一様に笑顔になりました。子どもたちは幼稚園に行きたい、先生たちも幼稚園に来てほしい。それが中々かないません。でも、私たちの心は決して離れていない、と思わされました。
 
聖書のパウロの書いた手紙にも、「顔を見て」会いたいという切実な思いが記されています。そして、この続きにパウロは書きました。「どうか、主があなたがたを、お互いの愛とすべての人への愛とで、豊かにみちあふれさせてくださいますように。」このような時、お互いへの愛が増し加えられ、再会の日まで、心でしっかりつながっていることをお祈りします。
 

 

「 はやく、ようちえんにいきたいな 」

 

 
 

園長 塚本 吉興

 

 
 

「野原の花がどのように育つかを考えてみなさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、言っておく。栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。」
(ルカによる福音書12章27節)
 
「◯◯ちゃん、ちょっと大きくなってな〜い?」、「◯◯くん、すっごく背が伸びたね〜!」久々に子どもたちの笑顔が戻った幼稚園に先生たちの嬉しそうな声が響きます。抜けるような青空を泳ぐ鯉のぼりも、子どもたちの元気に負けるまいと背筋をピーンと伸ばしているかのようです。
 
この2ヶ月、静まりかえった園庭に、子どもたちの姿はありませんでした。素晴らしい天気の日が続き、「これだけ天気がいいのに、ほんとにもったいないねぇ…。」と子どもたちが思いっきり走り回ったり、サッカーをしたり、砂場で泥遊びをしたり、広告を丸めた剣を持ってヒーローごっこをしたりする姿を見たいという、ため息ばかりの日々が続きました。でも、その間も、幼稚園の庭では様々な小さな変化がありました。ブランコの裏にある桜の木が満開になり、花吹雪、そして、青々とした葉が茂りました。3本あるサクランボの木も花を咲かせ、真っ赤でツヤツヤした実をいっぱいに実らせました。冬の間は、枯れてしまったかのようだったブドウの木もぐんぐんと新しいツルを伸ばしています。お休みの間に、ようはの畑に植えられたトマトやきゅうり、かぼちゃも温かい日差しを浴びて、スルスルと大きくなっています。職員室前の水槽に入ったおたまじゃくしがぴょんぴょんガエルになる日も、もうすぐです。花も、木も、小さな動物たちも、まるで何事もなかったように、当たり前の日常を過ごしています。
 
私たち大人にとっては、時間が止まってしまったかのような日々であったかも知れません。どこにも行けず、何もできず、ただただ家に籠ってニュースを見る。ようやく、幼稚園も再開されようとしていますが、色々と不安は尽きません。イエス様は、道端に咲いている雑草のような花でさえ、神さまは美しく着飾られる、それなら、あなたがたのことをどれほど大切に養い育ててくださるだろうか、と言われます。「小さな群れよ、恐れるな。」とも言われます。
 
神さまの愛の中で、子どもたちは2ヶ月で心も体も驚くほどに大きくなりました。さくらんぼ組からちゅうりっぷ組へ、ちゅうりっぷ組からばら組へ、ばら組からゆり組へと、学年も一つずつ上がって、気持ちも新たになりました。巣篭もりをしていた間に有り余っていたエネルギー、「早くようちえんに行って、こんなことをしたいな。あんなことをしたいな。」と考えていた思いが解き放たれつつあります。でも、本当に久しぶりの幼稚園です。子どもたちも、ちょっぴり不安だったり、もう少しママと一緒にいたいな、という思いもあります。そんな気持ちにそっと寄り添いつつ、子どもたちに負けないように、私たちも一緒に成長していきたいと思います。
                                                

 

「神さまが大切に造られた」

園長 塚本 吉興

 
「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。」
(創世記1章27節)
 
からあげ、ブロッコリー、ミートボール、星型のにんじん、おにぎりにサンドイッチ…色とりどりのお弁当箱においしそうなおかずが並びます。自粛期間中には豪華なキャンプを意味する「グランピング」ならぬ、「ベランピング」というベランダでキャンプごっこというのがありましたが、梅雨の晴れ間、木漏れ日の差す園庭に広がったのは、さながら「おにわニック」です。ゆり組さんは、ウッドデッキの上で、ばら組さんはむくろじの木の下にシートを敷いて、みんなでおいしいお弁当を外で食べます。 「ああ、◯◯くんのお弁当にはシャケが入ってるね。」、「さくらんぼが美味しそうだね。」、「えー、手作りのピザ?」と順番にみんなのお弁当を見ていると、こちらのお腹もぐぅ〜っと鳴ります。ウッドデッキの上は、ほどよく風も通り、お昼寝したいくらいの居心地の良さ。子どもたちもご機嫌です。幼稚園の畑でできたミディトマトを一切れもらって食べながら、また下に降りて行くと、さっきピザを食べていた子が、トッピングのソーセージを全部取って、お弁当箱の中に残しています。「あれ?ソーセージ嫌いなの?」と尋ねると、「ちがうよ、好きなものは最後にとっておくの。」と答えがありました。「ああ、そうなんだぁ!」おにわニックは、みんなの笑顔にあふれています。
 
好きなものを残しておく子、先に食べてしまう子、ちょびちょび食べる子、こんなことからもそれぞれの性格の違いが見えてきます。先日、花の日の礼拝を、4月から6月のお誕生会と合わせて行いましたが、ホールや保育室にバラやヒマワリやトルコキキョウやスモークツリーなど、色も形も大きさも香りも違う花々が並べられました。一つ一つの花は、それぞれ違うけれども、それぞれに綺麗に咲いているのは、神さまが大切に造ってくださったからだよ、と先生たちがお話をしました。子どもたちも、それぞれに唯一の存在です。それぞれに違います。顔や、体はもちろん、性格もできること、できないこと、成長の速度も、それぞれです。でも一人ひとりが神さまが大切に愛をもって造ってくださった、かけがえのない子どもです。
 
養巴幼稚園には四つのクラスがあります。ゆり組、ばら組、ちゅうりっぷ組、さくらんぼ組が集まって、ようはのお花畑を形作っています。聖書に書いてあるように、一人一人が神さまに造られた大切な存在として、そのお花畑に元気に、かっこよく、かわいく、素敵に咲いているのです。幼稚園の日々には、そんな光景がたくさんあります。ゆり組さんの前の共有スペースに天井まで届くほどのブロックのタワーが出現しました。みんなが協力して、ジェンガのブロックほどの大きさの積み木を上手に円形になるように組み合わせ、途中からは運動会で使う三段の箱の上に乗って、慎重に積み重ねた結果です。「園長先生よりも高いかな?」結果は、園長の惨敗です。手を伸ばしても、ジャンプしても、てっぺんには届きません。こんな風に、子どもたちが日々成長していく姿を見ることができるのは、嬉しいものだなぁ、とタワーへの雪辱を誓って牛乳を飲みながら思ったのでした。
                                                
 

 

「おとうさんはウルトラマン」
 

園長 塚本 吉興

 
 
「ところが、まだ遠く離れていたのに、父親は息子を見つけて、憐れに思い、
走り寄って首を抱き、接吻した。」
(ルカによる福音書15章20節)
 
「おとうさんはウルトラマン。おとうさんは つよい。おとうさんは とても つよい。おとうさんは とてつもなく つよい。でも・・・・・・めちゃくちゃ よわい あいても いる。」悪い怪獣をやっつけるおとうさんは、とっても強い。でも、家に帰ると息子にはやっつけられるフリをする。おとうさんとこどもの関係が微笑ましい絵本です。家族のために頑張るおとうさんは、「すこしくらい いたくたって ないちゃ だめだ!」、「すこしくらい こわくたって ないちゃ だめだ!」と自分を鼓舞しながら、こどもの描いた「おとうさんだいすき」という似顔絵を見ながら涙をこぼします。我が家にもこの本がありますが、何度も何度も読んでカバーが擦り切れています。子どもたちに読んで聞かせると同時に、私自身が励まされてきた絵本です。シリーズで『ママだってウルトラセブン』という本もあります。
 
子どもが小さい頃、私たちが住んでいたのは自称「日本一の里山」にほど近い所でした。それで、よく車で山に入っていき、子どもたちとカブトムシやクワガタをとりました。でも、昼間に行っても、ほとんど捕まえることはできません。それで、夏になると、夜な夜な長袖・長ズボン、ヘッドランプ、リュックに虫網の完全装備で、自転車で「出撃」するようになりました。虫の音しかしない山道に独りでいると、鳥肌が立つような不気味さですが、「おとうさんはつよい!」と登って行きます。一度は、国道でおまわりさんに止められて職務質問をされたこともありますが、「こどもたちのために」その後もカブトムシを取りに行きました。しかし、やがて息子たちもカブトムシよりも野球、クワガタよりもゲームとなり、わたしが「出撃」する回数も少なくなりました。そんな野球も、最初はおとうさんが教えていたのが、息子たちの方がうまくなり、今ではキャッチボールをするのも怖いくらいです。子どもたちの方が、おとうさんに「手加減」してくれるようになり、父親の威厳も形無しです…。
 
子どもはあっという間に大きくなります。おとうさんが、一番強く、賢いヒーローである時期は短いのです。でも、おとうさんはいつだって子どもにとって大きな存在であり続けます。聖書に「放蕩息子」というイエスさまの例え話があります。二人兄弟の弟が、父親の財産の生前贈与を受け、遠い国に行って遊びの限りを尽くして、全ての財産を使い果たしてしまいます。どん底にまで落ちた息子は、スゴスゴと父親の元に帰り、雇い人の一人として扱ってもらうように願う決心をします。しかし、父親は道の遠くから息子を見つけ、抱きしめて受け入れ、息子が帰って来たことを祝うのです。異常なまでの愛です。無条件の愛でもあります。私たちが子どもを愛するのは、言うことを聞くから、良い子だから、ピーマンを残さずに食べたから、ではなく、その子がかけがえのない「我が子」であるからです。子どもたちは、これからの人生において色々なことを経験します。挫折した時、もがき苦しむ時に、いつでも抱きしめ受け入れてくれるのはおとうさんやおかあさんです。そのためにも、今、「おとうさんはウルトラマン」であることをおおいに楽しんでください。
                                                
 

 

「グッバイの作法」
 

園長 塚本 吉興

 

 「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、あなたがた一同と共にあるように。」
(コリントの信徒への手紙二14章13節)

 
養巴幼稚園の朝、お父さんやお母さんに連れられた子どもたちが、徒歩、自転車、車で元気に登園してきます。そして、門の所まで来ると、それぞれの親子の「行ってらっしゃい」の儀式があります。それまでしっかりつないでいたお母さんの手を振りほどいて、そのまま走って門をくぐる子、「大好きよ〜!」とお互いに言い交わす親子、「ママ、早く迎えに来てよ。」と3回は確かめる子、パン・パン・パンとパパとハイタッチする子、「ママ、お部屋の前まで付いて来て…。」とお母さんの手をぎゅっと握りしめて離さない子、手を振っているパパに、あえて振り返らず後ろ手に手を振る子、ママにほっぺにチュッとしてもらって、はにかみながら駆け出す子、何故かパパに腹を立てている子、リュックを忘れて走って行く子・・・、本当に毎朝がドラマであり、微笑ましい光景が見られます。
 
昔、西部劇の映画で、町をならず者から救ったガンマンが馬に乗って夕陽に向かって去って行く中、その男に恋をした女性がいつまでも「グッバイ!」と叫んでいるというようなベタなワンシーンがありました。グッバイというのは「Good Bye」で「God be with you.」(神が共におられるように)を略した言葉です。別れる相手に、神のご加護を祈るというのは、荒野にどんな危険が待ち構えているか分からない西部においては、相手の無事を祈る言葉として本気で語られたことでしょう。でも、現代でもお父さん、お母さんは、我が子を荒れ野に送り出すような思いで、「グッバイ」と言われているのではないでしょうか。それぞれの親子にそれぞれのグッバイの作法があります。それは、その言葉や仕草は違っても、「神さまに今日も一日お互い守られますように」という声に出さない祈りなのです。
 
子どもたちは、毎日のグッバイを通してグングンと成長していきます。パパとママに愛されているという安心の中で、差はあっても、少しずつパパとママの手を離して、幼稚園で自分の楽しみを見つけて遊ぶことができるようになります。お友達や先生との生活に慣れて、いつしか幼稚園がホッとできる場所、楽しい場所になっていきます。最初は泣いていた子も、お家の人と離れるのが悲しくて悲しくて仕方がなかった子も、手を振って幼稚園に入って行くのです。渡辺美里さんの「My Revolution」という歌の中で「交差点では駆け出すけれど、手を振る時はきゅんとくるね」という歌詞があります。これは恋人同士を歌ったものですが、実は親の方が子どもの成長の早さについていけず、手を振って幼稚園に走って入って行った我が子にきゅんとしながら、その背中をずっと見ていたい、という思いが強いのかも知れません。子どもと手を繋いで、色々話しながら、喧嘩しながら、駈けっこしながら、毎日歩けるのは幼稚園の時だけです。でも、幼稚園時代の毎日の「グッバイ」は子どもの心のどこかに残り続けるのです。
 
聖書の言葉は礼拝の最後に祝福の祈りとして用いられる言葉です。この祈りは変わることなく毎週、礼拝の最後に祈ります。教会から新しい一週間へと送り出されて行くのです。お子さんを幼稚園に送り出す時、どんな言葉をかけますか、ぎゅっとしますか、チュッとしますか。どんなグッバイであっても、私たちが自分の子どもを思う祈りは変わりません。「神が共におられるように。」この秋、ようやく大学へ旅立つわたしの長男にも同じ言葉をかけて送り出したいと思います。
 
 

 

神さまに感謝しましょう♪
 

園長 塚本 吉興

 

「恵み深い主に感謝せよ。慈しみはとこしえに。」
(歴代誌上16章34節)

 
 
 
「園長先生、クイズで〜す。わたしの好きな動物は何でしょうか?」ゆり組の子どもたちが、教会に野菜や果物を届けてくれた「収穫感謝礼拝」の日、教会から幼稚園まで子どもたちと一緒に歩いていた時に、ある女の子から出されたクイズです。「ヒントをちょうだい。」、「いいよ!ヒントは、ちっちゃくて、かわいくて、ぴょんぴょんはねるもの。」、「(ああ、これはうさぎだな)」と思いながら、関西人としては、ちょっとボケないわけにはいきません。「ええっと、パンダ?」、「ちがーう。」、「アザラシ!」、「ぶぶー」、「うさぎでしょう?」、「ちがうよ〜」、「えー、そうなの?もっとヒントちょうだい。」、「木にぶら下がっているもの。」、「(ん?ちょっと分からなくなったぞ…。)」、「ええっと、ええっと、分かった○○ちゃん!」とクラスの別の子の名前を言います。「違うよ、○○ちゃんは人間、動物じゃないもん。」と答えが返って来ました。
 
収穫感謝礼拝は、開拓時代のアメリカで、神さまが与えてくださった地の実りに感謝したことから始まりました。幼稚園では、子どもたちが野菜や果物を持ち寄って礼拝を捧げます。自分で育てたり、収穫したものではないかも知れませんが、すべてのものは神さまから与えられたものですから、神さまに「いつもおいしいお野菜や果物をくださって、ありがとう!」と感謝するのです。でも、そこで感謝しているのは、食べるものだけではありません。着ている服も、お気に入りの靴も、おにぎりが入ったリュックも、温かい布団も、お家も、家族も、幼稚園も、先生やお友達も、みーんな神さまが与えてくださったものです。一つひとつを数えてみると、どれだけ大きな恵みを神さまからいただいているかが分かります。それはもうびっくりするくらい、私たちは恵まれているのです。
 
「お金は人を幸せにしない。でも、同じ泣くならフェラーリに乗って泣く方がいい。」という冗談のような本気のような言葉を聞いたことがあります。アメリカの収穫感謝の食事の時、テーブルを囲んだ家族や親戚が一人ずつ「今年は、何について感謝しているか」ということを順番に言うという伝統があります。「おばあちゃんの焼いた七面鳥!」、「新しい仕事」、「彼氏」、「ホークスの優勝」、いろいろ出てきますが、必ず誰かが「今、家族がこうして一緒に食事をしている時間!」と言うのです。それはもう、ジョーカーのようなもので、それに勝ることはありませんから、あえて誰も言わないのですが、必ずそう口にする人がいます。でも、これは本当のことではないでしょうか。感謝したいことを一つ一つ考えてリストにしていくと、最後にはモノではなくて、一緒にいる人だったり、共に過ごす時間がどれだけ大切で嬉しいものか、ということに気付かされます。その上で、衣食住が満たされることが幸いです。「ちっちゃくて、かわいくて、ぴょんぴょん跳ねて、木にぶら下がっているものって何だろう?」こんな他愛もない会話を交わしながら、小さな手を取って一緒に歩くことができる時間が何にも勝る幸せなのではないでしょうか。でも、本当にこの動物は何なのでしょうね…。
                                               
 

 

「クリスマスにはおくりもの」

園長 塚本 吉興

 

「闇の中を歩む民は、大いなる光を見
死の陰の地に住む者の上に、光が輝いた。」
(イザヤ書9章1節)

 
五味太郎さんのほのぼのとした絵柄と独特な言葉の使い方が好きです。「クリスマスはおくりもの」という絵本では、サンタクロースのおじいさんと女の子が、互いにクリスマスプレゼントを贈ります。女の子からは暖かい靴下を、サンタクロースからはベルトのついたピカピカの革靴を。クリスマスの朝、プレゼントを開けながら、サンタクロースは「やった!やった!いいものもらった。こんないいものとは思わなかったぞ。」と大喜び。女の子は、「ほうら、やっぱり思った通り!」とにっこり笑顔。二人はそれぞれ、さっぱりした気持ち、嬉しい気持ちで教会に出かけ、一緒に讃美歌を歌います。子どもたちからサンタさんへのプレゼントと言えば、牛乳とクッキーが定番です。(しかもサンタさんは、急いでいるからなのか、とってもお行儀が悪く、いつもクッキーのかけらをテーブルにポロポロ落としていきます・・・。)でも、靴下をもらったサンタさんは、最高の笑顔、「すてきな女の子になったものだ」と満足げ。子どもがサンタさんにプレゼントして、サンタさんの方が喜んでいるという逆転の中に、人への優しさを考えさせられます。
 
預言者イザヤは、イエスさまが生まれる何百年も前に、暗闇の中に住む人々の上に光が輝くようにして、イスラエルに救いが訪れることを語りました。私たちは、暗闇なんてない方がいい。試練や困難はできることならば避けて通りたいと考えます。それでも、この世には暗闇があります。その暗闇の中、必死に歩む私たちの上にイエス・キリストが生まれた、という光が注ぐのです。暗闇の中にあってこそ、その光が余計に明るく、温かく、照らし出すのです。
 
カール・ラーナーというドイツ人の神学者がいます。彼はクリスマスについて、こんな風に語りました。「クリスマスとは何か。彼はやってきた。彼は夜を光にかえた。彼はわたしたちの闇の夜を、わたしたちの理解できない夜を、わたしたちの不安と絶望の残酷な夜を、清められた夜に、聖なる夜に変えてくださった。神は、その最後の言葉を、もっとも深い言葉を、肉になった言葉のうちに包み、地上に送られた。そしてこの言葉は語る。世界よ、人間よ、われ、汝を愛す、と。ろうそくを灯せ。光はいかなる暗闇より正しい。」ラーナーのいう「彼」とはイエスさまのことです。イエスさまが、光として来られた、私たちの暗闇を照らし、私たちを愛するために。
 
コロナウイルスの暗い陰の中、教会に集って一緒に高らかに讃美歌を歌う、ということはできません。でも、イエスさまの光に照らされた温かい、優しい気持ちで、周りの人を笑顔にすることはできます。家族でろうそくを灯し、静かに歌うことはできます。「きよしこの夜、星はひかり、すくいの御子は、まぶねの中に、ねむりたもう、いとやすく。」メリークリスマス!!
 

 

「心をおっきく育てよう」

園長 塚本 吉興

 
 

「何を守るよりも、自分の心を守れ。そこに命の源がある。」
(箴言4章23-24節)

 
幼稚園でよく歌われる子どもさんびかに「ぱらぱらおちる」という歌があります。身の回りの自然に子どもたちが抱く素朴な「なぜ?」という疑問に、そこには、すべてを造られた神さまの愛があることを歌っています。2番は「ちらちら落ちる、雪よ、雪よ、ちらちらちらとなぜ落ちる。葉のない枝に暖かそうな、真綿の服を着せるため。」確かに雪がこんもりと積もった木の枝は、ふかふかであたたかいダウンジャケットをまとっているかのようです。冷たい雪に木が包まれている寒々しい風景も、子どもの想像力にかかれば、「あたたかい服」になるのです。
 
小学生の頃、東京に住んでいました。私が2年生の時、都内では何十年ぶりかという大雪が降り、住んでいた社宅の前も真っ白の雪景色になりました。当時の記録を見てみると都心でも23㎝も積もったそうですが、子どもは呑気なものです。朝から厚手のジャンパーを着込んで、手袋をつけて雪だるまを作ります。東京の雪は湿った雪ですから、すぐに固まります。そこで、今度は、かまくらを作ることにし、何となく自分一人が中に座れるくらいのかまくらが出来ました。意外にも、そこに座っていると雪の壁が風を防いでくれるので、少し暖かく感じたのでした。もちろん、地べたについたお尻は濡れて冷たくなってきたので、急いで家に帰って石油ストーブの前に避難しましたが…。
 
アメリカの新聞に連載されていた「Calvin & Hobbes」という4コマ漫画があります。カルヴィンは、とても賢く、いたずら好きで、常に怒られてばかりいる、想像力の豊かな6歳の男の子で、親友のホッブスは二人だけの時は本物のトラですが、他の人の前ではぬいぐるみです。ある日の漫画では、お父さんに「お休み」と声を掛けられて、「ホッブスには?」と男の子が言います。お父さんはため息をつきながら「お休み、ホッブス」とぬいぐるみにも声を掛けて部屋を出て行きます。二人になるとベッドで起き上がったホッブスが言います。「あれ?お休みのハグは?」カルヴィンは布団をかぶって言います。「もう寝なよ。甘えんぼう。」カルヴィンにとってホッブスは架空の友達ではありません。時に哲学的な議論をしたり、隣の女の子に雪の玉をぶつけたりする大切な親友です。だから彼は、周りの人がホッブスをぬいぐるみとしてしか見てくれないのが不満なのです。
 
想像を働かせることは、子どもたちの心の成長に欠かすことができません。子どもたちが遊びチックの一番高い所に登っている時、その子は海賊のふりをしているのでも、海賊ごっこをしているのでもなく、海賊になっています。本当に宇宙飛行士なのです。本当にお姫様なのです。子どもの目には、海賊船が、宇宙船が、お城が見えているのです。だから、こっちも想像力を働かせなければなりません。子どもの遊びに「付き合う」のではなく、一緒に子どもになって遊びましょう。そしたら案外、子どもの方が冷静に「パパ、どうしたの?これは海賊“ごっこ”だよ。本物の海賊じゃないんだよ。」と教えてくれるかも知れません。
 

 

ハレルヤ!

園長 塚本 吉興

 
 

「息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ。」
詩編150編6節

 
幼稚園で自由に遊んでいる時に誰かが口ずさんでいると、みんなが歌い出すような歌があります。ちょっと前なら「U・S・A♪」、昨年であれば「パプリ〜カ♪」、今年なら「香水のせいだよ〜♪」という感じでノリノリの可愛い声が響いてきます。そんな子どもたちも大好きな歌を替え歌にして、賛美として歌っている教会があります。「パプリカ」のメロディーで歌詞はこのようになっています。「神の 恵み ほめたたえて、光の道を 歩いてる。迷い 悩み 苦しむとき、だれかが呼んでいる。喜びを 数えたら 感謝でいっぱい 見つけたのは 真理の道 さあ、明日へ歩こうよ。 ハレルヤ 主をたたえよう、光り輝く 十字架を! ハレルヤ 神さまの愛を 世界に 広めよ 平和のために。」 歌ってみると、こっちが正しい歌詞なんじゃないかと思えるほどにしっくりくるのが不思議です。私が小学生の時に歌っていた替え歌の「チラリーン、鼻から牛乳♪」とか「きんぴらごぼうが食べたい。だけど10円足りない。(ぎんぎらぎんにさりげなく・・・)」などのレベルの低さが今更ながら恥ずかしいです。
 
「ハレルヤ」という言葉は、聖書が書かれたイスラエルの言葉で「主を賛美せよ」という意味です。イスラエルの人々は、神さまを賛美し、礼拝することを一番の喜びとしました。「主を賛美するために民は創造された。」(詩編102:19)、「主に向かって喜び歌おう。救いの岩に向かって喜びの叫びをあげよう。」(詩編95:1)と書き記すほどに、主を賛美することはイスラエルの民にとって、自分たちの存在の根っこにあるものだったのです。だから、賛美と祈りの言葉が連ねられている旧約聖書の詩編の最後の言葉は、「ハレルヤ」であるのです。「息あるものはこぞって、主を賛美せよ。ハレルヤ。」そう、ここでは、「ハレルヤ、ハレルヤ」と二度続けて、「主を賛美せよ」と歌われているのです。
 
神さまを賛美するとき、歌う私たちの心の中も明るくなります。楽しくなります。つらい、しんどい、苦しい現実があっても、でもそこに神さまが一緒にいてくださるやん、という慰めがあるのです。先日、教会で葬儀がありました。葬儀で歌われる賛美歌は、天の御国の希望を語りながらも、ご遺族の悲しみに寄り添うような歌が多いのですが、先日の葬儀では、「この花のように」という子どもさんびかを歌いました。「このはなのように うつくしいこころを 神さまください 小さなわたしにも。」、「このはなのように 人々をあいする こころをください 小さなわたしにも。」亡くなられた方のお孫さんが、キリスト教の幼稚園に通っておられるということで、この賛美歌が選ばれたのです。コロナ禍にあって、ご家族のみの葬儀でしたが、神さまの温かな愛に包まれた時となりました。火葬の前、小さな部屋で最後のお別れをする時にも、「このはなのように♪」とみんなで元気に賛美しました。他の小部屋では、朗々とお経が唱えられる中で、場違いのように響く明るい賛美の歌声に、命を与えられ、この日まで守ってくださった神さまへの感謝があふれていました。ハレルヤ!

 

 

 

「あぁ、生きてて良かったね♪」

 

園長 塚本吉興

 
 

「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、
わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」
ヨハネによる福音書15章5節

 
「ダンプ園長〜!回旋塔押して〜!」と、大きな声がします。見ると8角形の回旋塔に最大乗車人数(?)の8人のゆり組さんが乗って、押してもらうのを待っています。「よーし、じゃあいくよぉ!」と回し始めると「キャー!」という歓声。その後も、子どもたちに蹴られないように注意しながら、間合いを測ってさらに回転を早めます。すると、誰からともなくみんなが歌い始めた歌があります。「いつだって注がれる、主の愛・あい・アイ。生きるため必要なものは、主の愛・あい・アイ。だれだって求めてる、主の愛・あい・アイ。愛される喜びを知った、愛・あい・アイ。あぁ、生きてて良かったね。こんな出会いがある。きみは愛されるため、生まれたんだ。あぁ、生きてて良かったね。君は神さまの子、愛されているんだ。」先日、教会で守られた卒園感謝礼拝では、普段とは違う場所に圧倒されて、声が細くなりましたが、この日は園庭に響き渡る声で歌います。本当にみんな楽しそう。
 
「あぁ、生きてて良かったぁ〜!」と感じる時があります。温泉につかったとき、美味しい焼肉やお寿司を食べるとき、子どもから「お母さん大好き!」と言われたとき、関西だったら「551があるとき〜!」みたいな瞬間があります。聖書は、私たちが生きているのは、自然にそうなったのでも、偶然によるのでもなく、神によって命を与えられ、生かされているからだと教えます。そのように生命が維持され、地球に存在することが許されているだけでなく、わたしたちは神さまから愛されているのです。ぶどうの枝が幹にしっかりとつながることで、栄養を受け、葉を茂らせ、果実を実らせるように、私たちも神さまの愛を受けて、毎日、喜びをもって生きるようにされているのです。この大きな神さまの愛に対して、私たちは感謝を捧げ、神さまって素晴らしいね、と賛美するのです。
 
この一年は、大人だけでなく、子どもにとっても、我慢の連続でした。楽しみにしていた幼稚園の行事も中止になったり、縮小されたりしました。また、マスクをつけたままの活動では不便もありました。でも、色々とお家のみなさんが工夫いただき、幼稚園も知恵を出して、今年ならではの新しい体験も多くありましたし、何が本当に必要で、何が大切なのか、ということを見直す機会にもなりました。4月、5月の休園が明けたとき、子どもたちがドキドキしながらやって来て、最初は分散登園、そして、全員が集まって幼稚園の日常が展開されてきました。これまで当たり前と思っていたことが当たり前ではない。幼稚園でキャーキャーいいながら回旋塔に乗って、目の回るようなスピードでくるくる回りながら、お友達と賛美歌を歌うことが、これほど素敵で、これほど楽しくて、これほど温かいことだなんて、コロナがなければ気づくことはありませんでした。神さまは私たち一人ひとりを愛してくださっていて、どんな時でも一緒にいてくださる。そのことを心にそっと留めるなら、何でもない日常の小さな喜びに出会う時、「あぁ、生きてて良かった」と思わずにはおれません。

 
 
 

2019年度

「心を燃やされて」

園長 塚本 吉興
 
「二人は、『道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、
わたしたちの心は燃えていたではないか』と語り合った。」
ルカによる福音書24章32節
 

ようはようちえんにようこそ!
新しい幼稚園の一年が始まりました。春休みの間、先生たちもワクワクして、幼稚園に子ども達が通ってくるのを待っていました。休み中の幼稚園は、シーンと静まり返っていて、玄関に座っているくまモンのぬいぐるみの気配さえ感じてしまいます。今は子どもたちの笑い声や泣き声が響いていて、楽しい毎日がスタートしました。子どもたちは、小さな体のどこにそんなエネルギーがあるんだろうと思うほど、大きな声で歌ったり、お友達とお庭を走り続けたりすることができます。また、豊かな想像力や感性を持っています。戦時中に園長をされていた内海小婦喜先生は、「養巴の子どもたちは、ひも一本、棒一本あったら、遊ぶことができる。」とよく言われていたそうです。
 
そのように私たちの幼稚園で、子どもたちが、自分で自由に遊ぶことを重んじることの背景には、キリスト教主義の保育があります。その意味は、「聖書にあるように、神さまが造られた、この世界を大切にし、一人ひとりが神さまから愛されている、かけがえのない存在であることを知って、お友達やお家の人など、周りの人を愛すること。」であると言えます。これは、今から91年前、宣教師の献身的な働きによって創立され、教会付属の幼稚園として歩みを重ねて来た私たちの幼稚園が、大切にする土台です。
 
ここに掲げた聖書の箇所は、イエスさまが十字架について死なれた後、三日目に復活され、弟子たちに現れた時のことを記しています。最初は、復活ということを信じられなかった弟子たちに、イエスさまは、聖書の言葉から説き起こして、ご自分が確かに救い主であることを語られました。それまで落ち込んで、とぼとぼと家路についていた二人の弟子たちは、本当に主は復活された、と確信して喜び、急いで他の弟子たちのところにとってかえすのです。イエスさまの語る聖書のみ言葉に心を燃やされたからです。
 
体の力になるのは食事です。心の力になるのは、何でしょうか。それは、聖書のみ言葉です。養巴の子どもたちは、毎日たくさんのみ言葉のシャワーを受けて、心も体も大きく成長していきます。神さまの愛に包まれた幼稚園の一年が始まります!

 
 

 
「 さくらんぼのこと 」

 
 
 

園長 塚本 吉興

 
「あなたは、わたしの内臓を造り、母の胎内にわたしを組み立ててくださった。
わたしはあなたに感謝をささげる。
わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている。」
(詩編139編13-14節)
 
 今年もさくらんぼの季節がやってきました。朝の園庭に、かおり先生の元気な声が響きます。「あー、○○ちゃん、おはよー!さくらんぼを味見してみない?」登園してきた子どもたちが、園庭のさくらんぼの木の周りに集まり、お山のマラソンから帰って来た子どもたちも加わって、さらにお父さんやお母さんも入って、さくらんぼの収穫、試食会の開催です。採れたばかりのさくらんぼは、少し小ぶりですが、とってもツヤツヤとしていて、口に入れると甘酸っぱくて、お店で買ってくるものとは、一味も二味も違います。こうして、幼稚園のお庭で神さまの造られたすばらしい自然の恵みを味わうことができるのは、本当に素敵なことです。
 
「お母さん、わたしってどこから来たの?」って、お子さんに訊かれたことはあるでしょうか。「あなたはね、お父さんとお母さんから生まれて来たのよ。とっても大切な子どもとして、神さまから預けられたのよ。」自分が何者で、どこから来て、どこへ向かうのか。これは、子どもであっても、大人であっても、時々、考えるような問いです。聖書は、その問いに答えを与えています。「あなたは神によって創造され、愛される存在で、神を喜び、互いに愛し合うように造られています。」と聖書は語ります。詩編の詩人も、「わたしは恐ろしい力によって、驚くべきものに造り上げられている。」と歌います。人は、まさに驚くべきものとして造られています。科学技術が発達し、より人間の体についての研究が進む時、人間の体が一つの宇宙とも言えるほど複雑で、しかし、秩序だった美しいものであることが明らかになっています。それは、「驚くべきもの」、英語訳では「ワンダフル」なものであるのです。
 
さくらんぼの実は、一つひとつが違います。小さな実、大きな実、色も形も微妙に異なりますし、酸味と甘みのバランスもそれぞれです。さくらんぼのように、子どもたちもみんなそれぞれです。さくらんぼに対する反応もみな違います。こちらが心配になるほど次々に口にする子、もらった一個を大切に握りしめている子、落ちた実を拾って来てくれる子・・・。みんなそれぞれ違いますが、みんな神さまによって造られた素晴らしい存在です。「わたしね、さくらんぼ嫌いなの。」と言う、あの子も来年は食べられるようになるかな。
 
 

 「 わたしたちに必要なもの 」

 
 
 

園長 塚本 吉興

 

「天におられるわたしたちの父よ、御名が崇められますように。
御国が来ますように。御心が行われますように、天におけるように地の上にも。
わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」
(マタイによる福音書6章9-11節)

 
子どもたちは、本当にまっすぐに聖書のお話を聞いています。そして、聖書について疑問があった時には、園長の出番です。先日も、難しい質問をもらいました。ある女の子が私に話しかけて来て、「先生、神さまがこの世界の動物を全部作ったんでしょう。」と言いました。「うん、そうだよ。」と私が答えると、「じゃあ、何でライオンとか、サメみたいに、他の動物を食べてしまう動物も造ったの?」と質問が返って来ました。思わず、「何でだろうねぇ。」と一緒に考え込んでしまいました。
 
命が失われるとき、それが、たとえメダカやザリガニの子であっても、心をチクリと刺されたような痛みを感じます。増してや、それが動物であれば、可哀そうと思うのは当然ですし、何で、アニメの映画のように、サメと魚、ライオンとシマウマが、友達になれないのか、と考えるのは普通のことです。その問いは、もっと広く捉えれば、何でこの世界には苦しみがあるのか、何で死があり、悲しい出来事があるのか、という問いであると言えます。その答えは、わたしにも分かりません。しかし、一つ言えるのは、愛に満ちたお方である神さまは、人が苦しみ、悲しむのを見て、喜ばれるお方ではない、と言うことです。神さまは、人の苦しみに寄り添ってくださり、人の悲しみを慰めてくださるのです。だからこそ、主イエス・キリストを人として、この世に遣わしてくださいました。
 
ゆり組さんは、「主の祈り」を学んでいます。主イエスが弟子たちに「このように祈りなさい」と教えられた祈りで、世界中の教会で大切に祈られてきました。その中に「我らの日用の糧を今日も与えたまえ」と言う祈りがあります。今日、私たちが必要とする糧を今日与えてください、という祈りですが、その糧とは、ただ食物を指すだけではなく、私たちが生きていくために必要なすべてを含んでいます。そこには、日々安心して過ごせますように、また、いつも神さまが共にいて守っていてくださいますように、という祈りも込められています。
 
痛ましい事故や理不尽な事件の報道が続きます。憤り、悲しみ、恐れ、など色々な感情が心に沸いてきます。それでも今日、私たちはこの世界の中に生かされています。生きているのではなく、生かされている。その不思議さと恵みを思い、子どもたちと一緒に、主の祈りの言葉を心に刻みたいと思います。「御心が行われますように、天におけるように地の上にも。わたしたちに必要な糧を今日与えてください。」
 
 

                                                

雨に唄えば

園長 塚本 吉興

 

「しかし、神は御自分のことを証ししないでおられたわけではありません。
恵みをくださり、天からの雨を降らせて実りの季節を与え、食物を施して、
あなたがたの心を喜びで満たしてくださっているのです。」
(使徒言行録14章17節)

 
ようやく九州北部も梅雨入りしたようです。平年よりも3週間も遅い梅雨入りですが、関東地方が梅雨入りした日に、車の中で聞いたFMラジオでは雨の日の歌特集をしていました。そこで流れた歌の一つ、「雨に唄えば」というのは、「Singing in the Rain」という1952年に公開されたアメリカのミュージック映画の劇中歌です。ジーン・ケリーという「甘いマスク」のハリウッドの歌って踊れる俳優が、激しい雨の降る中、この歌を歌いながら、傘をクルクル回したり、水たまりで飛び跳ねたり、びしょびしょになりながら、でも恋をしている喜びを爆発させながら、一人で踊るシーンが印象的です。
 
童謡で雨の歌と言えば、「あめふり」があります。「あめあめふれふれ かあさんが じゃのめでおむかい うれしいな ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン」この歌に出て来る子どもは、雨が降る中で、お母さんと一緒に家に帰ることを喜んでいます。そして、その帰り道、柳の木の下で傘を持たずに泣いている子を見つけ、自分の傘を貸してあげるのです。「ぼくならいいんだ かあさんの おおきな じゃのめにはいってく♪」と言いながら。幼稚園でも「ぱらぱらおちる あめよあめよ ぱらぱらぱらと なぜおちる。かわいたつちを やわらかにして きれいなはなを さかすため。」と雨が歌詞に出て来る讃美歌を歌います。そこにも雨に対してネガティブなイメージは全くありません。むしろ、雨が降って来て、土が柔らかにされ、草木の緑が濃くなり、花が咲くことを神さまに感謝しています。
 
上にあげた聖書の箇所でも雨によってもたらされる成長と実りは神さまの恵みであると記されています。でも雨の日は、大人にとっては、「自転車で幼稚園に行けない…。」、「足元が濡れる…。」、「洗濯物が乾かない…。」とあまり望ましく思えないかも知れません。気象庁のホームページには、「梅雨は、春から夏に移行する過程で、その前後の時期と比べて雨が多くなり、日照が少なくなる季節現象です。」とありました。春が夏に移るために雨が必要なのです。子どもたちの成長にも「プチ反抗期」だったり、「赤ちゃん返り」だったりという「雨の時期」が必要です。じゅくじゅく、ジメジメ、楽しいことばかりではないかも知れません。でも、そんな難しい時期を経て、きっと神さまが美しい花を咲かせてくださるのです。そして雨降りの中でも、「ピッチピッチ チャップチャップ ランランラン♪」と子どもたちと一緒に楽しんで過ごすことができればと思います。
 

                                                

子どもという先生

園長 塚本 吉興

 

 

 
「これらの小さな者を一人でも軽んじないように気をつけなさい。言っておくが、
彼らの天使たちは天でいつもわたしの天の父の御顔を仰いでいるのである。」
(マタイによる福音書18章10節)
 
 
皆さんは夏休みをどのように過ごされたでしょうか。夏休みのはじめには、「家にいつも子どもがいたら、何をしたらよいのか分からない…。」というため息もチラホラ聞かれましたが、普段とは違う子どもたちとの時間を満喫されたのではないかと思います。もちろん、子どもたちにとっては、大好きなお家の人たちと過ごした夏休みは、一生の思い出となったはずです。
 
 幼稚園はと言いますと、夏休み中に先生たちの研修会が開かれます。今年は、キリスト教保育連盟の全国研修会が鹿児島で開かれたので、ようはからも私と4人の先生たちが、2泊3日の学びに参加してきました。メインの講師が二人おられましたが、それぞれが目の前の小さな一人の存在を大切にするという話をされました。とても心に残る講演で、もっとそのことについて知りたい、学びたいと思わされる内容でした。ただ、私にとっての鹿児島での研修のハイライトは、講演会ではなく、温泉でも、黒豚でもなく、天文館の白熊でもなく、研修会が終わってから訪れた鹿児島近代文学館にありました。そこで、「かこさとしの世界」という特別企画展があったのです。かこさとしさんは、「からすのパンやさん」や「だるまちゃんとてんぐちゃん」など、みんな大好きな絵本作家さんです。絵本の原画や構想ノート、かこさとしさんのライフストーリーなどが展示されていて、時間を忘れて見入ってしまいました。そこで、一冊の本と出会いました。かこさとしさんが88歳の時に出版された『未来のだるまちゃんへ』という本です。
 
 かこさんが『どろぼうがっこう』を作った時の話が載っています。当時、非常に貧しい地域に住む子どもたちのところへ紙芝居を作っては読み聞かせに行っていましたが、ある時、時間がなく、論文用紙の裏紙に紙芝居を黒一色で描いて持って行きました。「黄赤どころか黒一色だろうと、走り書きだろうと、紙がペラペラだろうと関係ない。そんなことよりももっと大事なことがある。『起承転結がちゃんとあって、人間がきっちり描けていれば、見てやるよ。』、あの時、川崎のガキどもが、僕にそう教えてくれたんだと思います。『もういっぺん!もういっぺん!』と連呼しながら、目を輝かせていた子どもたちの顔は、『とても結構な作品ですね』なんて歯の浮くような社交辞令を言ってくださる大人の批評家より、ずっと信用できる答えでした。」(p.196)
 
 子どもは小さな存在です。けれども、成長過程にある一人の人間です。主イエスは、100匹の羊を持つ人が、99匹を残して迷子になった1匹を探し出す例え話をされました。大勢の中の1匹、1人ではなく、その一人ひとりを大事にする。そして、子どもたちから私たち大人が教えられることは、たくさんあるのではないでしょうか。この夏休み、子どもと過ごしてどれだけ賢くなったでしょうか。
 
 
 

せんせい大好き!

園長 塚本 吉興

 
「若者を歩むべき道の初めに教育せよ。年老いてもそこからそれることがないであろう。」
(箴言22章6節)
 
 今日も卒園生が園庭に遊びに来ています。新しい遊具によじ登って、「こんなの簡単に行けるよ!」さすがに、小学1,2年生とは言え、幼稚園の子どもよりも身軽に上まで登って行きます。そして、上にたどり着くと…「せんせぇー!見て、見て!」とどんぐりの先生を呼びます。卒園しても幼稚園に来たら、心まで園児に戻るのかな、と微笑ましい一コマです。卒園生の中には、いろんな節目に訪ねて来てくれる子もいます。「せんせい、〇〇高校に受かりました!」、「せんせい、今度東京の大学に行くことになりました。」、時には、「せんせい、うちの子、春からさくらんぼにお世話になりたいのですが。」なんて。嬉しい再会。先生たちも、もちろん、ちゃんと一人ひとりを覚えていて、「あー、〇〇ちゃん!大きくなったねぇ。」と、自分たちより背が高くなり、立派に成長した卒園生を迎えます。幾つになっても、先生たちには園を巣立って行った子は、初めて幼稚園に来た時、べそをかいていたあの子のままなんですね。
 
 子どもたちは私たち大人の目の前でどんどん成長していきます。昨日はできなかったことが今日はできるようになります。本当に子どもたちの可能性は無限大だということを思わされます。遊びの中で、次々に新しいことを発見していきます。遊具の一番高い所からのロープ橋、最初はこわくて足がすくんでいたけれど(下から見ているとそうでもないですが、上に上がってみると結構高いんです・・・。)足を踏ん張って渡れるようになります。子どもの成長はびっくりさせられます。そんな子どもたちを先生たちは、日々見ています。
 
ゆり組さんの遠足に一緒に行きました。幼稚園から西公園まで、「ダンプ園長」からの手紙についていた地図と目印に従って歩いて行きます。途中、大濠公園の中を通ります。池の水が循環している小川に泳ぐ魚に気を取られながら、白鳥ボートやフローズンヨーグルト屋さんに目を奪われながらも、お互いに励まし合いながら、ずんずんと西公園まで歩いて行きました。鳥居の横を通るとあともう少し。坂道を登り、やっとお目当ての一つ、神社の入り口の石段に着きました。石段の横の滑り台のようになっているところを絵本のように滑るのです。最初はこわがっていた子もみんな滑ることができました。おにぎりをほおばりながら、3年前に私と一緒に入園してきた子どもたち、あっという間に本当に大きくなったなぁ、と一人考えていると、「園長先生、ご飯粒がついてるよ。」と笑われました。この子たちもやがて卒園していく。そう思うと、幼稚園でも、ご家庭でも、子どもたちと過ごす一瞬一瞬がとっても貴重なかけがえのないものであることに気付かされるのです。
 
子育ては一筋縄ではいきません。正直、疲れることもいっぱい。でも、毎日を大切に、愛をもって向き合って過ごす時、子どもたちはいつまでも、そのことを覚えていてくれるでしょう。

 
 

神さまは良いものをくださった!

園長 塚本 吉興

 
「神がお造りになったものはすべて良いものであり、感謝して受けるならば、
何一つ捨てるものはないからです。」(テモテへの手紙一4章4節)
 
 葉っぱのついた生姜、ピーナッツかぼちゃ、大きな梨、山イモ、姫りんご、鮮やかなパプリカなどがテーブルの上に並べられています。今日は、収穫感謝礼拝の日です。子どもたちは列になって入ってくると、目をキラキラさせてテーブルの上に並んだ色とりどりの野菜や果物を見つめています。先生に生姜の匂いを嗅がせてもらって、「うわぁ、生姜の匂いがする〜!」と最高の笑顔がこぼれます。神さまは、どんな果物も野菜も、それぞれに最高にすばらしいものとして、造ってくださいました。養巴幼稚園にも、いろんな子どもがいます。その一人一人が神さまに最高に素晴らしいものとして造られた、大切な大切な存在です。
 礼拝の終わった後、ゆり組さんは福岡中部教会へ、ばら組さんは警固交番へ、自分たちが持って来た野菜や果物を届けました。普段お世話になっている感謝を込めて「ありがとうございます!」と元気に言えました。このようにして、収穫感謝礼拝では、すべて良いものを与えてくださる神さま、そして周りの人たちに感謝することを学びました。
 英語の表現に「Thanks, but no thanks.」というものがあります。「ありがとう、でも結構です。」とでも訳せるでしょうか。感謝をすることは大切ですが、それが心からの感謝でなければ、相手には届きません。でも、このようなことって多いのではないかと思います。何年か前にバラの花が好きな私の妻の誕生日に、バラの何かと考えていて、「そうだ!」と思ってプレゼントしたのは…全巻カラーのバラの図鑑でした。ずっしりと重い図鑑を手にした妻は「ありがとう!」と言いながら、何とも言えない表情だったことを思い出します。
 聖書は神さまが与えてくださるものは、すべて良いものであると記しています。でも、私たちは、自分の思い通りに行かない時、「ありがとう、でも結構です」と感じることもあるのではないかと思います。子育てで「こんなはずじゃなかったのに…。」と思う時、子どもが電車の中でギャン泣きをして周囲の視線を痛く感じる時、子どもは天の授かりものだというけれど、しんどいこともたくさんあります。そんな時、子どもが寝入ってしまった後のスヤスヤ眠る顔を見ながら、そっと「ゴメンね。」と謝ることもあります。神さまは、私たちを信頼して、この子どもたちを私たちに託してくださいました。そんな神さまが愛される子どもたちと泣いたり、笑ったり、共に成長できる幸せに感謝しながら、子育てを楽しむことができればと思います。
 

                                                
 

 
「神にできないことは何一つない。」マリアは言った。「わたしは主のはしためです。
お言葉どおりこの身に成りますように。」そこで天使は去って行った。
(ルカによる福音書1章37-38節)

 
「サンタクロースっているんでしょうか。」とニューヨークのザ・サン新聞社に8歳のヴァージニアが手紙を書いたのは、1897年のことです。「お友達はサンタクロースなんていないと言うの。教えてください。サンタクロースっているんでしょうか。ザ・サンが書かれることなら本当だと思います。」最近では、ここまでの信頼を新聞に置くということはないのかも知れません。また、そもそもこれだけ大事な人生の問いについて新聞社に手紙を書いて尋ねるということもしないでしょう。何か難問にぶつかった場合には、私たち現代人は、iphoneに訊くからです。ちなみにうちのsiriに同じ質問をしてみたところ、「わたしが実在しているのと同じくらい、あの人も実在していますよ。」という答えが返ってきました。siriが実在しているのと同じくらい…。siriは実在しているのか?実在しないのなら、私は誰と会話をしているのか?また、哲学的な難問を抱え込んでしまいましたが、「サンタさんって本当にいるの?どうやって、欲しいプレゼントが分かるの?どうやって枕元にプレゼントを持ってくるの?なんでヨドバシカメラの紙で包んであるの?」この時期の子どもたちの問いには答えに窮することも多いのではないかと思います。
 
ザ・サンの新聞記者は答えました。「もちろん、サンタクロースは実在しますとも。私たちの人生を包んで、最高の美しさと喜びを与えてくれる、愛や優しさや誠実さが存在するのと同じくらい確かに。」この社説を書いたフランシス・チャーチという記者は、「サンタクロースがいないなんて!神さまありがとう!サンタクロースは、確かに生きているし、ずっとそうです。ヴァージニア、今から1千年経っても、いや、1万年経っても、子どもの心を温かく喜びに満ちあふれさせていることでしょう。」と結んでいます。目の前に見えるものだけが全てではない。私たちが全てを知っていると考えるのは、実は本当に傲慢なことなのだ、とチャーチは説きます。やがて子どもたちは、サンタを信じなくなります。でも、いつか結婚し、子どもが生まれて、あれ?自分がサンタになっていて驚くのです。
 
聖書が伝えるクリスマスは、神の御子イエス・キリストの誕生です。クリスマスの聖誕劇のヨセフとマリア、天使ガブリエル、博士たち、羊飼い、羊…を超えて、私たちが訊きたいのは、「イエスさまっているんでしょうか。」です。この問いを新聞ではなく、聖書に向けると「イエスは確かにベツレヘムにお生まれになったし、今も活きて私たちの只中におられる。」と答えが返ってきます。それは果たして信じるに値するのか。結局はイエスさまも神さまも、どれだけ良いものであっても、サンタクロースと同じような空想の産物ではないのか。目に見えないけれども、確かに主イエスはおられます。子どもたちの聖誕劇の感動は、子供たちの成長を目の当たりにするということだけでなく、そこに目に見えない神の御子の誕生が、見えるように再現されているからです。神がここに、私たちの只中に来てくださった、と感じられるからです。大人になってからサンタクロースを信じる人はいません。でも、大人になってから神さまを信じる人はたくさんいるのです。メリークリスマス! 
 

ハッピー・ニュー・イヤー!!

 

「主の慈しみは決して絶えない。主の憐れみは決して尽きない。
それは朝ごとに新たになる。」
(哀歌3章22〜23節)
園長 塚本吉興
 

 「Happy New Year!!」ハリウッドの映画を見ていると、12月31日の夜、日付の変わる頃、カウントダウンに集まった人々が大声で「3・2・1」と数えていき、時計が12時になった瞬間に爆発的にそこかしこで「Happy New Year!!」という声と共に、誰彼の区別なくハグをし、恋人たちが熱いキスを交わすなんてシーンが出てくることがあります。実際にニューヨークのタイムズスクエアには100万人もの人々が集まるそうです。零度を下回る気温の中、音楽が大音響で鳴り響き、レーザー光線が人々の頭上に踊り、まるで街全体が一つの生き物であるかのように熱気に満ち溢れています。同じ頃、日本では「ゆく年くる年」。しんしんと降る雪の中、浮かび上がるお寺の鐘が「ボーン」と響きます。そして「あけましておめでとう!」の言葉。
 なぜ、新しい年を迎えることは「Happy」なこと、「おめでたい」ことなのでしょうか。時間は止まらずにずっと進んでいくということを考えるならば、何も変わってはいません。ただカレンダーの日付が変わっただけです。新しい年になったからと言って、あらゆる問題が解決されるわけでも、昔のファミコンのゲームのようにリセットされるわけでもありません。それでも人は新しい年を迎える時に、新年の抱負を考えたり、「今年こそは○○するぞ!」と気合いを入れ直したりできるのです。それは気の持ちようと言えばそうかも知れませんが、それ以上のことがあるのではないかと思います。区切りがある。1年に終わりがあり、始まりがあるというのは、神さまが人間に与えられた秩序であると思うからです。
 始まりがあり、終わりがあるのは、1日も同じです。どれだけ大変な1日であっても、それがたとえ束の間であっても、夜の休息があります。そして、新しい朝が来るのです。日が昇り、「今日こそは」と立ち上がることができるのです。それは、神がその日に必要な慈しみと憐れみを与えてくださるからだ、と聖書は教えています。
 私たち夫婦は福岡市の養育里親に登録しています。丁度1年前に児童相談所から生後2週間の女の子を預かりました。うちの末っ子が5年生ですから、新生児の世話がどれだけ大変かということを二人とも忘れていました。どうしても泣き止まない時、ミルクを吐き出してしまう時、大変なこともたくさんあります。でも、夜があって、朝があるのです。区切りがあり、「よし、今日も頑張ろう!」と思えるのです。そして、何よりも笑顔に癒されます。1年も365回の朝の繰り返しです。今日だめなら、明日。子育てで大変な時にこそ、神の慈しみと憐れみがありますようにお祈りしています。この1年が養巴幼稚園ファミリーにとって素晴らしいものでありますように。
                                                

 

「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。
門をたたきなさい。そうすれば、開かれる。」
(マタイによる福音書 77節)
園長 塚本吉興
 

 
 幼稚園グッズでなくしてしまうもののランキングがあれば、1位は何になるでしょうか。園章やドライブバッヂなどは、なくしやすいかも知れません。自転車に乗せられている時に、名札や帽子を落としてしまうこともあるかも知れません。どれだけ探しても「ない、ない、ない!」そこでぼーっと突っ立っているわが子に「あんたのものでしょ。どこに置いたの?一緒に探しなさい!」と当たってしまうこともあるかも知れません。ちなみに、私は小学生の時は毎回の通知表の「忘れ物が多い」のところにチェックが入っていたので、なくしたものを探して見つかった時の嬉しさも、忘れ物をして学校で怒られたり、立たされたりするばつの悪さも分かります。でも、ないときはないんです。井上陽水さんのヒット曲「夢の中へ」では「探し物は何ですか。見つけにくいものですか。カバンの中も、机の中も探したけれど見つからないのに、まだまだ探す気ですか。それより僕と踊りませんか。夢の中へ、夢の中へ、行ってみたいと思いませんか。」というフレーズがありました。本当に大事なものは何だろうか。今、探しているものはなくてはならないものなのだろうか、と問うのです。ある統計によれば、日本人は1ヶ月に平均76分を探し物に費やしているそうです。そして、何かをなくしてショックを受ける度合いは日本人は他の国の人よりも高いそうです。同じ調査によれば、たとえばイギリス人は、よく物をなくすのに、それを探すことに費やす時間は日本人より、はるかに短いそうです。あきらめがつくのが早いということなのでしょうか。最近は、小さな無線タグをつけておけば、財布などを家の中でなくしても、スマホで見つけることができるという商品があるそうです。一見、とっても役に立ちそうですが、そもそもそのスマホを「あれ、どこに置いたっけ?」という私には使いこなせそうにありません。
 イエスさまは、「探しなさい。そうすれば、見つかる。」と言われました。私たちが本当に求めているもの、探しているものは何でしょうか。それらは時間を費やして探す価値のあるものでしょうか。それとも、実は目の前にもっと大切なものがあるのではないでしょうか。高校時代からアメリカに留学をして、長い休みの時などに何度も日本との間を往復しました。その時、心配性の私は、「全部持っただろうか。忘れ物はないかなぁ。」と不安になるのですが、途中から何はなくてもパスポートとチケットさえあれば、他は何を忘れても、なくしてもいいや、という思いに切り替えて考えるようになりました。人生においても同様です。本当に大切なものがあれば、それでいい。だから、忙しい朝、「カラー帽子がなーい!」と泣き叫ぶわが子に、「ここにママがいて、ママは○○ちゃんが大好き。それが大事なんだよ。帽子はまた出てくるよ。」ともし言ったら、ポカーンとされるかも知れませんが、毎日、いろんなことに追いまくられる生活の中で、少しでもゆったりとした気持ちをもって子育てを楽しんでいけたらいいですよね。バッヂがなくても、帽子がなくても、本人が幼稚園に来ていることが一番嬉しいことなのですから。そして、「探すのをやめた時、見つかることもよくある話で」というのは陽水さんの歌詞の続きです。
 

 

光の子として歩みなさい

 

 
 

園長 塚本 吉興

 

「あなたがたは、以前には暗闇でしたが、今は主に結ばれて、光となっています。
光の子として歩みなさい。」
(エフェソの信徒への手紙5章8節)

 
 毎年この時期になると卒業ソングを聞く機会も増えてきます。卒業の歌と言えば「仰げば尊し」、「蛍の光」、「巣立ちの歌」の三つで決まりという世代の私には、最近の(と言っても、そんなに新しくもない…)ゆずの「友〜旅立ちの時〜」や、いきものがかりの「YELL」などは、聞いたことはあっても、この歌=卒業式としては頭の中でつながりません。でも、卒園ソングと言えば、「さよなら、ぼくたちの幼稚園」や「こころのねっこ」が頭にすぐ浮かび、これらの歌を聴くと、我が家の子どもたちの卒園を思い出して、少しウルウルきてしまいます。
 「こころのねっこ」の歌詞は「①いつの間にか大きくなった、いつの間にか泣かなくなった、いつの間にかこけなくなった、いろいろできるようになった。初めての出会い、初めての仲間、初めて知ったたくさんのこと。泣いて笑った毎日が、心のバネになった。②一日一日大きくなった、一日一日強くなった、一日一日丈夫になった。いっぱいの思い出になった。これからの出会い、これからの仲間、これから分かるたくさんのこと、ここで過ごした毎日が、みんなの心のねっこになれ。」です。幼稚園で過ごした毎日を思う時、本当にいつの間にか、しかもあっという間に大きくなったなぁという実感が、卒園する年長組さんだけでなく、1年で見違えるほど心も体も成長して、大きくなった年少組さんや年中組さんの保護者の方もあるのではないかと思います。毎朝、幼稚園で泣いていた子が泣かなくなった。恥ずかしがって友達に話しかけることができなかった子が、園庭を仲良く走り回っている。毎日、毎日、子どもたちは神さまの光に照らされて大きく成長しました。
 聖書は、「光の子として歩みなさい」と記しています。これは、子どもたちだけに語られた言葉ではなく、神が愛されるすべての人に語られた言葉です。光は、小さな灯であっても、暗闇を照らし出し、まわりを温めることができます。私たちが持つ光も同じです。この光は私たちのうちにあるのではなく、神がくださったものです。この光を、別の言葉で言い換えるなら、「愛」、「優しさ」、「温かさ」や「勇気」と言えるかも知れません。光の子として歩むことは、時に暗闇のように思えるこの世界の中で、自分に与えられた、この小さな光を輝かせることです。
 もうすぐ卒園式がやってきます。ゆり組さんは卒園して、4月にはピカピカの一年生です。また、ばら組さんも、ちゅうりっぷ組さんも、一つ学年が上がって、お姉さん、お兄さんになります。そして、一人ひとりが神さまの愛される光の子です。この幼稚園でたくさん学んだこと、経験したこと、神さまの愛がみんなの心のねっことなりますようにお祈りしています。

 
 
 

2018年度

 園長 塚本吉興
「イエスさまがいっしょに」

 
 
「ちょうどこの日、二人の弟子が、エルサレムから60スタディオン離れた
エマオという村へ向かって歩きながら、この一切の出来事について話し合っていた。
話し合い論じ合っていると、イエス御自身が近づいて来て、一緒に歩き始められた。
しかし、二人の目は遮られていて、イエスだとは分からなかった。」

ルカによる福音書24章13−16節

 
 お子さんのご入園、ご進級おめでとうございます! 
 朝、お家の人に送ってもらった子どもたちが、園の門の前でバイバイと手を振って、幼稚園に入っていきます。最初は、お母さんの手を離して踏み出す一歩に、非常に大きな勇気がいります。お父さんのお顔を見て、「行って来ます」と口にするのが、なかなか言えません。でも、前は泣いていた子どもたちも、ばら組さんになると元気に「行って来まーす!」と言えるようになります。ゆり組さんになると、周りのちゅうりっぷ組さんの子どもと「一緒に行こう」と言える余裕さえできます。子どもたちは、日々、どんどんと成長しているのです。
 今年の4月1日は、イースターでした。イースターとは復活日とも言います。キリスト教会は、主イエス・キリストが十字架に死なれて、三日目に死から蘇られたことを信じています。主イエスが十字架についたのが、金曜日、その日も入れて数えて三日目の日曜日がイースターです。最近では、スーパーや遊園地でも「Happy Easter!」と言う言葉を見かけますが、イースターは、本来はイエスさまの復活のお祝いです。卵は新しい命の象徴、イースターバニーは冬眠から目覚めたうさぎということで、新しい命が芽吹く春を象徴しています。
 聖書は、主イエスの復活について記しています。エマオという村へ向かう二人の弟子たちに主イエスが出会ってくださった記事は、とても感動的なものです。二人はイエスさまが死んでしまったことで、自分たちの夢や期待が崩れ去ったと感じていました。失意と絶望のどん底にありました。重い足取りで家路に向かって行く時に、一人の旅人が彼らに追い付き、一緒に歩き出しました。彼らはそれが、自分たちの先生であり、主であるイエスさまだとは気づきませんでした。けれども、道すがらその旅人と話をし、家に着いた時、その旅人も迎え入れて一緒に食事をしました。その時、それが主イエスであることに目が開かれたのです。二人は言いました。「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか。」そして、すぐにエルサレムの他の弟子たちのところに引き返して、主が本当に復活されたことを伝えたのです。
 養巴幼稚園では、毎日お祈りをします。先生が、お祈りの終わりに「このお祈りを、」と言うと子どもたちが「イエスさまのお名前によっておささげいたします。アーメン。」と大声で唱えます。イエスさまは、復活の主です。今日も私たちと歩調を合わせて歩んでくださいます。この一年、どんなときも、イエスさまが、子どもたち一人ひとり、そしてご家族とともにいてくださいます。重い心を軽くし、沈んだ思いを高くあげてくださいます。暗闇を光に、死を復活に変えた主イエスが、この一年の幼稚園の歩みを守ってくださるようにお祈りします。

 園長 塚本吉興

 

サクランボを食べながら

 
 
「 神は言われた。『見よ、全地に生える、種を持つ草と種を持つ実をつける木を、
すべてあなたたちに与えよう。それがあなたたちの食べ物となる。地の獣、空の鳥、
地を這うものなど、すべて命あるものにはあらゆる青草を食べさせよう。』そのようになった。
神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ、それは極めて良かった。」
(創世記1章29-30節)
 
 サクランボ祭りとも言うべき光景が園庭に出現しました。登園してきた子どもたちが、3本の細いサクランボの木の周りに集まっています。ちゅうりっぷ組さんも、泣くのを忘れて木の上を見上げています。真っ赤に熟れたサクランボが、わんさとなっていたのです。子どもたちがそれぞれの部屋に行った後、園長、副園長、髙木先生の3人で、ハシゴに上り、時々落ちそうになりながらも、必死に手を伸ばして、高い所から低い所まで、沢山のサクランボを収穫しました。佐藤錦よりは小ぶりなサクランボですが、採りたてはツヤツヤと輝いていて、口に含むと甘さの中にも酸っぱさがあって、何だか懐かしい味がします。
 サクランボの実は、自然の豊かさの恵みです。聖書は、天地創造において神さまが、あらゆる植物を造られ、それを人や動物など、すべて命あるものの食べ物とされたことを記しています。エデンの園です。そこに住んでいたのは、アダムとイブ。彼らは、エデンの園の豊かな実りの中からどれでも食べて良いと神さまから言われていました。園の中央の木の実を除いては。けれども、彼らは神さまに逆らって、その実を食べてしまい、結果的にエデンの園から追い出されました。これは、人の愚かさと罪について聖書が伝える物語です。
 なぜ、私たち人間は、与えられたものだけでは満足できず、すべてを得ようとするのでしょうか。アダムとイブは、十分すぎるほどの木の実を得ていたはずです。神さまが、禁じられた実を食べる必要はなかった。でも、許された以上に欲しがるのが人間なのかも知れません。園庭のサクランボを取りながら、つい全部、残らず取ってしまおうと一所懸命になる自分がいました。はしごを使っても届かないところまで、木の枝をぐっと引っ張って折りそうになりながら。でも、「残りは、小鳥さんに残しておきましょう。」という言葉にハッと我に返りました。収穫しただけでも十分、園児たちが満足する量がすでにあったのです。
 与えられたものに満ち足り、感謝することは大事だと気付かされました。サクランボだけではありません。「これで十分」ということを知らず、常に「もっと、もっと」と考えていれば、決して満足することはなく、自分が与えられている大きな恵みを喜ぶこともできません。すべて良いものは神さまが、私たちにくださったものです。与えられているものを十分とすることは、決して妥協やあきらめではなく、恵みへの感謝なのです。子どもたちを見るとき、「もっとこうなってほしい」、「もっとこうできないのか」とイライラすることもあるかも知れません。でも、今の子どもたちの姿をそのままで受けとめて、その子が生かされている奇跡を喜び、感謝することも大切なのではないでしょうか。
 

  園長 塚本吉興

 

あのね、あのね…

 
 
 

「主よ、わたしたちの主よ、あなたの御名は、
いかに力強く全地に満ちていることでしょう。」
詩篇8編2節

 
 
 「園長先生、あのね、今日、自分で結んできたんだよ。」と教えてくれた子がいます。私は「???」という表情だったと思いますが、よく聞いてみると、お弁当箱の布巾を自分で結んだとのこと。「そう、スゴイねぇ。」とっても、誇らしげに報告してくれたので、こちらも嬉しくて笑顔になります。また別の子は、「今度のお休みに温泉に行くんだよ!」と教えてくれます。そうかと思えば、「今日ね、幼稚園に来る途中で、大きなカタツムリがいたよ。」とそっと伝えてくれる子もいます。子どもたちにとって、この世界は、きっと誰かに伝えたくなる出来事に満ち溢れているのです。
 最近、六本松の科学館のプラネタリウムに行きました。あまりにも心地の良い座席に思わず居眠りをしそうになりましたが、タイミング良く参加型のクイズが挟んであって、安眠が妨げられました。ハーシェルという天文学者の物語の中で、「神が造られたこの宇宙の不思議を探りたいんだ。」というようなセリフがありました。聖書の中の詩人も、星を見上げ、月を見て、神の造られた自然の美しさや素晴らしさを讃えました。福岡の街中に暮らしていると、あまり空を見上げることはありませんし、たとえ見上げてもほとんど星は見えません。昔、私の好きなブルーハーツが歌ったように「都会の空に星をください。雲のすきまに星をください。」という気分にもなります。けれども、町の明かりが明るすぎて私たちに見えないだけで、実際には、福岡の空にも無数の星が瞬いているのです。直接、街灯の見えないところに行き、しばらく目が慣れるまで夜空を見上げていれば、星が見えてきます。
 子どもたちが、ふと分かち合ってくれる言葉、大人にとっては大したことではないかも知れません。でも、子どもたちが自分なりに発見し、感じ、思っていることを素直に伝えてくれること、誰かに伝えたいという思いは、とっても大切なことです。急いでいる時には、聞き流してしまうこともあるかも知れません。でも、子どもが伝えたいと思ったことは、目を凝らさなければ見えてこない星の光のように、キラキラ輝いた、特別なものなのではないでしょうか。ちょっと立ち止まって、「なあに?」と聞けることは、実はとても素敵な時間なのです。
 

  園長 塚本吉興

 

「ねえねえ、あのね・・。」

 
 
 

 
「彼が樹木について論じれば、レバノン杉から石垣に生えるヒソプにまで及んだ。
彼はまた、獣類、鳥類、爬虫類、魚類についても論じた。あらゆる国の民が、ソロモンの
知恵をうわさに聞いた全世界の王侯のもとから送られて来て、その知恵に耳を傾けた。」
(列王記上5章13-14節)

 
 
 “Never mind.”と言うフレーズは、英語の言い回しの中で私がちょっとトラウマを抱えている言葉です。高校生の時にアメリカに行きましたが、英語で質問されて、質問が理解できない、もしくは、どう答えたらいいのか分からない時に言い淀んでいると、「忘れて。」もしくは「もういいよ。気にしないで。」という意味で言われます。相手は優しさで言っているのかも知れませんが、英語が聞き取れない、もしくは上手く話すことができない自分がとっても悔しくなります。
 でも相手を理解できないということは、子どもとの会話でもよくあることなのかも、と思います。子どもたちが一所懸命にお話しをしてくれる時、できるだけこちらも一所懸命に聞こうとします。でも、時には、一体何の話をしているのか分からない、ということもあります。他のことに気を取られていることもありますし、知らない人やモノの話だったり、発音などが聴き取りにくかったり、とまるで自分が「ちびまる子ちゃん」の友蔵じいさんになった気分で、頭の中は「???」ということがあります。子どもたちは、「ネバー・マインド!」とは言いませんが、何度も同じことを聞き返すと、表情が「おじいちゃんたらっ!もう、いいよ。」というまるちゃんの顔になってきます。
 聖書はソロモン王というイスラエルの王について語ります。神はソロモンに優れた知恵をお与えになりました。そしてソロモンの語る知恵の言葉はイスラエルの内外で評判になり、多くの人々がその言葉に耳を傾けたのです。しかし、どれだけ広く深い知識や知恵を持っていたとしても、それを聞く人がいなければ、言葉は何の意味も持ちません。誰かに向けられた言葉は聞かれてはじめて意味を持つものになります。哲学的な問いに「誰もいない森の中で木が倒れたら音はするか。」というものがあります。聞く人がいなければ、音はしない、とも言えます。語られた言葉も、それを聞く耳がなければ何も語っていないのと同じです。
 幼稚園には、むし博士、プリキュア博士、恐竜博士、サッカー博士…と色んな博士がいます。この子どもたちが今伝えようとしている言葉に、しっかりと耳を傾けていきたいと思います。
 

  園長 塚本吉興

 

「ぼちぼちでええやん」

 
 

「主は羊飼い、わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 
魂を生き返らせてくださる。」
(詩編23編1-3節)
 

 「カバは何になれるの?」というのは英語で書かれた”What can a hippopotamus be?”という絵本のタイトルを訳したものです。これをもう少しひねって、「カバさん、カバさん、何になる?」というのは、エリック・カール風に過ぎますし、「カバ吉くん、仕事探しの旅に出る」だと、アンパンマンの商標に抵触しそうです。この絵本の日本語のタイトルは『ぼちぼちいこか』で、全編が関西弁で訳されています。翻訳者の今江祥智さんは天才だと思います。
 絵本の内容はいたってシンプルで、カバさんが消防士や、パイロット、バレリーナ、ピアニストと次々に色んな仕事にチャレンジしますが、力が強過ぎたり、体が大き過ぎたり、体重が重過ぎたりして、何をしてもうまく行かない。「どないしたら、ええのんやろ」と行き詰った時に、「そや。ええことおもいつくまで、ここらでちょっとひとやすみ。」、「ま、ぼちぼちいこかと、いうことや。」と結ばれます。焦らず、へこたれず、ゆっくり行こうというメッセージが伝わってきます。
 私の神学校の卒業式の後の茶話会で、ある老齢の先輩牧師がスピーチをされました。「牧師になったら、ぜひ『大変だ』と『忙しい』という言葉は口にしないで頑張って欲しい。」その次にスピーチに立った牧師は開口一番、「牧師という仕事は、『大変、忙しい』!」爆笑の中、老齢の先輩の目は笑っていませんでした・・・。しかし、子育て世代のお父さん、お母さんは大変忙しいどころの騒ぎではありません。いつも、10個ぐらいの物事をジャグリングしている状態ではないでしょうか。
 聖書は、安息日について語ります。天地を6日間で造られた神が7日目には休まれたように、あなた方も休みなさい、と命じられたのです。でも、それは体を休めるために1日布団の中で丸まっていなさい、という意味ではありません。安息日は、礼拝の日であるからです。普段の仕事から離れて、神の家族と共に、神を礼拝する日。だから、教会では毎週日曜日に礼拝を守ります。聖書の言葉に聞き、讃美歌を歌い、祈りを合わせることがクリスチャンにとっての安息です。羊が青草の原に休むように、神のそばで憩うことなのです。
 今、運動会を前にして「スポーツの秋」で、日々特訓を重ねておられる家庭もあるでしょうか。子どもの場合、少しのコツを掴むことで劇的に走りが速くなったりするものです。「芸術の秋」で、子どもまつりのおもちゃ作りも佳境に入っていると思います。子どもたちの笑顔だけを思い浮かべながら、「母さんが夜なべをしてお面を作ってくれた〜♪」ご苦労さまです!「食欲の秋」で、スイートポテトやシュークリームなど秋のスイーツを堪能されていることと思います。そのような忙しさの中、「読書の秋」で、子どもたちとゆっくり、ゆったり向き合う安息の時が取れるといいですね。短くても、時間を決めて、他のことを全部ストップして、ただ子どもと向き合う至福の時を。
 

  園長 塚本吉興

 

「神さま、ありがとう!」

 

「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。
これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」
(テサロニケの信徒への手紙一5章16−17節)

 
 お山のマラソンで、途中から戻って来てしまった男の子。「先生、あそこにハトがいるの…。」英子先生が一緒にお山に登って行き、ウッドデッキのそばにいたハトさんに、向こうにどいてもらいます。その子は、ホッとした表情を浮かべ、「ありがとう。」と言って、元気にマラソンを続けました。小さな言葉だけれど、言った方も言われた方も気持ちのいい言葉です。
 
 アメリカで「サンクスギビング」というのは、11月の第4木曜日の感謝祭の祝日です。その日は、家族や友人で集まって七面鳥とアップルパイのディナーを食べ、テレビでアメリカンフットボールを観戦する、というのが「伝統的」な過ごし方です。しかし、そもそもは、アメリカ建国前の1620年、イギリスからメイフラワー号に乗ってきた清教徒たちが、新大陸に来た時に遡ります。最初の冬に、入植者の半数が寒さや栄養失調によって亡くなりました。全ての希望が失われるかに思われたとき、アメリカ大陸に元々住んでいた人々に助けられ、新しい土地で生活していく術を教えられました。それによって、二度目の秋を迎える頃には、入植者たちは新大陸で豊かな実りを与えられて、神に感謝するために盛大な収穫感謝祭を開いたのです。感謝祭は、「ありがとう」という言葉を天の恵み、地の実りを下さった神さまに向けて、「神さま、ありがとう!」と言う祈りの時として始まったのです。
 
 幼稚園でも、収穫感謝の礼拝を守っています。そして、ゆり組さんとばら組さんは、それぞれ、中部教会と警固交番に、みんなが持って来てくれた果物や野菜を届け、日頃の感謝を伝えています。感謝を伝えるのは大切なことです。そして、もっと大切なことは、それを誰に伝えているかということをはっきりさせることではないかと思います。「ありがとう」と、相手の目を見て伝える、というのはそういうことだと思いますし、その人に向かって頭を下げるのも同じことです。ともすれば、「ありがとう」は、誰が、誰に、何について言っているのかが、分かりにくくなります。だからこそ、「お母さん、今日のカレー美味しかったよ。ありがとう。」とか、「お父さん、今日も朝からドライブで送ってくれてありがとう。」と伝えることが大事なのだと思います。家族なんだから、言わなくても分かるかも知れません。けれども、言葉にして伝えれば、もっと分かるはずです。
 
 神さまは、私たちのことを全てご存知です。それでも、私たちは「神さま、ありがとう!」と感謝を捧げます。それは、言わなくても分かるのだけれども、私たちの側に神さまに感謝する思いが育まれるためです。寝る前に祈る時、その日の恵みに心を向け、「神様、今日もありがとう!」と子どもと一緒にお祈りすることができれば素敵ですね。

 

 

「大きくなったら何になる?」

 

「あなたは身ごもって男の子を産むが、その子をイエスと名付けなさい。
その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。」
(ルカによる福音書1:31-32)
園長 塚本 吉興

 
 大人は子どもたちには、でっかい夢を持ってほしいなと思っています。子どもたちには色んな可能性があるのだから、やりたいことを見つけて、まっすぐそれに向かって進んで行ってほしい、と。でも、小さい時には「ユーチューバー!」、「大工さん!」、「野球選手!」と自分たちの夢を持っていた子どもたちも、大きくなるにつれて自分の夢に自信が持てなくなることがあります。現実はそう甘くない、ということもあるかも知れません。でも、できる限り長く夢を持ち続けて欲しいと思います。
 
 『三本の木』というお話があります。三本の木が高い山の頂に立っていました。それぞれに夢があります。最初の木は、宝物を入れる世界一美しい宝箱、二本目の木は世界で一番頑丈な帆船、三本目はその枝を人々が見上げる時に神さまのことを考えるような、世界一高い木になりたい、と思っていました。やがて木々は切り倒され、一本目の木は、美しい宝石箱ではなく、家畜の餌を入れる木箱に、二本目の木は立派な帆船ではなく、漁師の乗る小舟に、三本目の木は、四角い柱にされた後、材木小屋に置き去りにされました。長い時が経ち、三本の木は夢も忘れかけていました。
 
 ある夜、若い母親が生まれたばかりの赤ちゃんを、あの動物のえさ箱の中に寝かせました。星の光に照らされて、神さまの栄光が降り注ぎました。最初の木は、自分が世界で一番すばらしい宝物を抱いていることを知りました。ある夕暮れ、疲れた旅人とその仲間たちが大勢で古ぼけた漁船に乗り込み、湖に漕ぎ出しました。風が出て来て、波が高くなり、二番目の木の漁船はギシギシと言いました。しかし、その時、その旅人が手を上げて叫ぶと、波と風はすっかりおさまりました。二番目の木は自分が天と地を統治する「王」をお乗せしていることに気づきました。ある金曜日の朝のこと、三番目の木はいきなり材木置き場から引き出されました。怒り狂い、怒鳴り散らす群衆の中を引き回され、兵士たちが一人の男の両手を三番目の木に釘で打ち付けました。三本目の木は、その屈辱と残酷さに身震いしました。日曜日の朝、太陽が昇り、三本目の木の立つ大地が喜びに揺れ動いたとき、三本目の木は、神さまの愛がすべてのものを変えてしまったことを悟りました。神さまの愛で最初の木は美しくされたこと、2番目の木は強くされたこと、そして、人々が三番目の木のことを考えるときは、いつも神さまのことを考えるようなったこと。世界で一番背が高い木であることよりも、そのことはどれほど素晴らしいことか。
 
 子どもたちには夢があります。それらの夢は、当然、現実的ではないでしょう。できっこないと思うかも知れません。でも、私たちは子どもたちの夢をしっかりと受けとめ、一緒に夢をみたいと思います。神さまの愛の中で、きっとその夢が素晴らしいものにされていくはずですから。
 

 
「その子らしさを認めよう」

 
「だから多くの部分があっても、一つの体なのです。目が手に向かって『お前は要らない』とは言えず、また、頭が足に向かって『お前たちは要らない』とも言えません。それどころか、
体の中でほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです。」
(コリントの信徒への手紙一12:20-22)
 

園長 塚本 吉興

 
ドロシー・ロー・ノルトさんという人の書いた有名な本、『子どもを育てる魔法の言葉』の中に『子は親の鏡』という詩が紹介されています。あくまでポジティブに子どもらしさを否定せず、広い心で伸ばしてあげれば子どもはきっと自分にも他人にも優しい大人に育つ、という詩です。その一節に「認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる」とあります。自分が好きというのは、ナルシストになることや自己中心的になることとは違います。この世界の中に自分の居場所がある、自分をそのままに受け止めて、愛してくれる人がいる、と知ることです。
 
スポーツの世界においては、「褒めたら、そこで成長が止まる」と、決して選手をほめないコーチもいます。しかし、子どもたちは褒められて、また、自分を認められてこそ成長することができます。そうして自分を愛することができれば、他人の気持ちも考えて、周りの人も愛することができるようになるのではないでしょうか。我が子を愛していればこそ、色々な点で他の子と比べて一喜一憂しがちです。しかし、目の前の子を、しばらく私たちに預けられた大切な神さまの子として、その子らしさを素晴らしいものとして受け止めることができるといいですね。
 
聖書は、体が多くの部分によってなっており、それぞれの部分に与えられた大切な働きがあるように、私たちも異なった性格や特技を持っていて、それぞれが教会や、社会や、家庭の中で役割を負っていると教えています。しかも、「ほかよりも弱く見える部分が、かえって必要なのです」と言うのです。世の中とは真逆の発想かも知れませんが、そこに小さな者を愛される神の愛があります。
 
12月にクリスマスのページェントが各クラスでありました。セリフや独唱のある役も、ちょろっとしか出ない役もありますが、それぞれの役があってはじめて全体の聖誕劇が成り立ちます。そして、その中心にあるのは、その夜、お生まれになったイエスさまです。イエス様は、私たち一人ひとりを、そのままで認め、愛されるお方です。「認めてあげれば、子どもは、自分が好きになる。」その子らしさを今日、認めてあげましょう。
 
 

 
「 お化けなんてないさ ♪ 」

 
「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」
(ヨハネによる福音書14章1節)
 

園長 塚本 吉興

 
 
我が家の子どもたちが小さかった頃にいた教会は、礼拝堂の上の2階に牧師用の住居がありました。夜になって、雨戸を閉めてしまうと、暗くて誰もいない礼拝堂は、少し怖かったのか、子どもたちは下に行くのを嫌がりました。そして、どうしても行かなければならない時には、兄妹の誰かを無理やり伴って行き、一緒に階段をドタバタと駆け下りて、また、最後になるまいと駆け上がって来るのでした。それは、まるで見えないお化けにでも追いかけられているようでした。何度、「下は教会だから、神さまを礼拝するところやん。」と言ってもダメなのでした…。
 童謡に、「お化けなんてないさ。お化けなんてウソさ。寝ぼけた人が見間違えたのさ。だけどちょっと、だけどちょっと、僕だって怖いな。♪」という有名な歌があります。お化けがこわいのは、子どもの時だけで、大人になったら、何てことはありません。暗い礼拝堂で怖いのは、お化けではなくて、つまずくことや、レゴのブロックを裸足で踏んづけてしまうことです。でも、そうやって想像の世界が小さくなるのと同時に、目では見えない世界にも次第に心が閉ざされてしまうのかも知れません。年末の紅白では、最後にユーミンが登場して、大いに盛り上がりました。「小さい頃は 神様がいて 不思議に夢を かなえてくれた」と歌いました。神様という存在を素直に受け止めることができたあの幼い頃、そんな、思いが伝わってきます。ジブリの名作でも、主題歌の中でもサビの部分で、「子供のときにだけ、あなたに訪れる不思議な出会い」と歌われます。トトロは神様なのか、何なのかはっきりとは分かりませんが、子どもにしか見えない存在です。神様を信じることができるのは、子供だけなのでしょうか。大人になって「現実」というものを知った時には、神などいないというのが常識になるのでしょうか。
 聖書は、神が人を造られたこと、一人ひとりを大切に愛してくださっていること、人の一生を導いてくださることを記しています。しかも、聖書の語る神は、ふわふわとした、スピリチュアルな存在、宇宙そのものや、スターウォーズのフォース、「力」といったものを指すのではありません。神は、人に向き合ってくださる人格的なお方なのです。そして、そのことを一番私たちに分かりやすく表されたのが、イエスさまがこの世に、私たちの一人として、人間として生まれてくださったことです。聖書を通して、イエスさまを知り、信じることで、私たちは神さまを信じることができます。それまでは信じていなかったのに、大人になってから妖精やサンタさんを信じるようになる人はいませんが、神を信じるようになる人はたくさんいます。
 幼稚園では、毎日お祈りの時間があります。先生のお祈りに続いて「このお祈りを…イエスさまのお名前によってお捧げします。アーメン。」と大声で子どもたちも祈りを合わせます。子どもたちはイエスさまがいつも一緒にいてくださることを知っています。大きくなっても、その心をずっと持ち続けてほしいと願っています。
 

「ようちえんだいすき♪」

園長 塚本 吉興
 
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
マタイによる福音書28章20節
 

我が家の冷蔵庫に大切に貼ってある絵があります。「えんちょうせんせい」と書かれた私の似顔絵です。メガネまできっちりと描かれています。幼稚園の子どもにもらったものです。これまでいろんな物を子どもたちからもらってきました。一番多いのはドングリや木の小枝ですが、時にはダンゴムシだったり、ホームメイドのお菓子だったり、ボール紙で作ったピザだったりします。でも、モノばかりでなく、子どもたちの満面の笑顔や、元気な挨拶、一緒に走るお山のマラソン、ハイタッチなど、本当にステキな贈り物をたくさんもらっています。子どもたちの成長を見ることができるのも、子どもたち自身の成長の喜びを共有できるのも、大きな幸せです。養巴の子どもたちは本当に素直で、優しい子ばかりです。わたしは、幼稚園が大好きです。
 
私たちの園では、「ようちえんだいすき」という歌をよく子どもたちと歌います。養巴の歌として、園児のお母さんが以前に作ってくださった歌です。
1.キンモクセイに登ったよ。枝を揺すってお昼寝する。幼稚園の森にはいろんなものが生きている。葉っぱ、花びら、さくらんぼ。(コーラス)ランランラン、ランランラン、ラララララーン。ようちえんだいすき。ずっとずっと遊んでいたい。
2.森に悪者がやってくる。山小屋で秘密基地ごっこ。さっき拾ったドングリをそっとポケットに入れちゃおう。小枝、赤土、木の根っこ。(コーラス)
3.先生に抱っこされて、何だか元気湧いてきた。守ってくれる神さまもいつも一緒にいてくれる。絵本、空き箱、滑り台。(コーラス)
 
養巴の子どもたちの日常がそこにあります。そんな幼稚園の一年が終わろうとしています。ゆり組さんは卒園して、小学1年生に、他の組の子どもたちはそれぞれ進級します。この一年、子どもたちは本当に大きくなりましたし、お家の方々も、子どもたちからたくさんのプレゼントをもらい、また、共に成長して来られたと思います。そのように、子どもたちと過ごすことができる時間はかけがえのないものです。
 
聖書は神さまがいつも共にいてくださることを教えています。これまでも、そして、これからも。ゆり組さんは、教会からもらった聖書を持って卒園していきます。幼稚園でのたくさんの楽しい思い出、また、教えられた聖書の言葉をいつも胸に大事に持っていてほしいと思います。そして、いつでもまた、遊びに来てください。神さまは、みんなのことが大好きです。そして、先生たちもみんなのことが大好きです。卒園おめでとう!
 

 

2017年度

イエスさまと共に

 園長 塚本吉興 

「イエスは乳飲み子たちを呼び寄せて言われた。
子供たちをわたしのところに来させなさい。妨げてはならない。
神の国はこのような者たちのものである。」
(ルカによる福音書18章16節)

 
 
 養巴幼稚園の新しい1年の歩みが始まります。今年から幼稚園に通い始める子どもたちも、去年より1年お兄さん、お姉さんになった子どもたちも、みんながワクワクしながら待ち望んできた新学期です。幼稚園の先生たちも色んな準備をしながら、みなさんと会えることを心待ちにしていました。
 この幼稚園で1年間、たくさん遊んで、思いっきり体を動かして、絵本を読んだり、お歌を歌ったりしながら、先生やお友達とたくさん新しい発見をしてほしいなと思います。幼稚園には、楽しいことがいっぱいです。でも、時には泣きたいこともあるかも知れません。そんな時でも、優しく受け止めてくださる先生たちがいます。安心して泣いて、少し落ち着いたら、また遊んで、一歩一歩成長していく子どもたちの姿を見る事ができるのは、何よりも嬉しいことです。
 養巴幼稚園の特色の一つは、キリスト教会付属の幼稚園であることです。教会は少し離れた所にありますが、牧師や伝道師をはじめ、教会に通う人々も、養巴幼稚園と子どもたちのことを、いつも祈りに覚えています。子どもたちは、神さまの愛を受けて、心も体も守られているのです。
 イエスさまの時代、子どもは重んじられていませんでしたが、多くの母親がイエスさまに祝福をしてもらおうと乳飲み子を連れて来ました。それを妨げようとした人々にイエスさまは「子供たちをわたしのところに来させなさい。」と言われました。イエスさまは、幼い子どもたちを心から受け入れ、愛してくださったのです。今日もイエスさまの愛は豊かに注がれています。イエスさまと共に歩む恵みに満ちた1年となりますようにお祈りします。
 
 

神さまの大切な子どもたち

 園長 塚本吉興 

 

「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。
走っても弱ることなく、歩いても疲れない。」(イザヤ書40章31節)

 
 
 朝の空気が清々しく感じられる季節がやってきました。幼稚園の庭の桜の木も、まるで始園式、入園式を待っていたかのように、満開の花びらをつけて子どもたちを温かく迎えていました。また、卒園児や保護者の方々の助けもあって、山小屋も春休みの間に新しくされ、新しい幼稚園の一年がスタートしました。幼稚園の庭には、立派な鯉のぼりも元気に泳いでいます。
 鯉のぼりと言えば、小学3年生からのカープファンである私には、嬉しい季節です。夏に息切れしてしまう年も多いですが、鯉のぼりの季節だけはカープも調子が良いことが多いからです。もちろん、ここ福岡ではホークスファンが多いのも事実。ホークスにも頑張ってもらわなければなりません。
 聖書には、鯉や鷹は出てきませんが、鷲については何度か記されています。「主に望みをおく人は新たな力を得、鷲のように翼を張って上る。」鷲が翼を広げて旋回しながら上っていく姿は力強く、優雅で美しいものです。たとえば、米国の象徴でもある白頭ワシは3000メートルの高度までも上昇気流に乗って上ることがあるそうです。聖書は、神さまに信頼をおいて、神に従って生きようとする人を、そのような鷲の雄々しい姿に重ねているのです。
 幼稚園に登園してきた子どもたち。先生に「おはようございます!」と元気良く挨拶して、リュックを下ろした後、駆け足で庭に出て行きます。お山のマラソンコースを一周走るためです。思う以上に急な上り坂と下り坂、ところどころには木の根っこのでこぼこもありますし、道の脇には草むらや木もあります。でもそこは、エネルギー一杯の子どもたち、ゆり組さんともなると、大人顔負けのスピードで、息を切らせることもなく、一周を走り終えます。それはまさに「走っても弱ることなく、歩いても疲れない」姿です。幼稚園に通って来る子どもたちの一人ひとりが神さまが本当に心から愛されている、大切な神さまの子供なのだと思わされる瞬間です。
 

成長させてくださる神さま

園長 塚本吉興

 
「ですから、大切なのは、植える者でも水を注ぐ者でもなく、
成長させてくださる神です。」(コリントの信徒への手紙一3章7節)
 
 「ピチピチ チャプチャプ ランランラン♪」童謡の「あめふり」にありますように、雨の多いこの時期は、大人にとっては、洗濯物が乾かない、靴やスーツが濡れるなど、あまり嬉しくない季節ですが、子どもたちにとっては雨の日も楽しいことがいっぱいです。水たまりの中をわざわざ歩いたり、カタツムリを探してみたりして、レインコートに傘を差し、長靴を履いて登園するのも、非日常の冒険です。そうやって遊ぶことを通して、子どもたちは大きく成長していきます。
 また、この時期は植物が一気に成長するときでもあります。教会の庭のフェンス沿いにブドウの木があります。冬の間は一枚の葉っぱもなく、枝も枯れているかのように乾いていましたが、初夏を迎えた今、枝のあちこちからツルが伸びて、葉が茂り、グングンと成長しています。人間は、この木の苗を植えること、水をやることはできますが、成長させてくださるのは神であることを実感します。
 「子育て」と言います。私たち大人が子どもの成長に対して負っている責任は大きなものがあります。子どもたちが大きくなった時に正しく選択ができるように、幸せな人生を送ることができるように、自立して人に迷惑をかけず、むしろ人を助ける人になってくれるように、といろいろと私たちは考えるものです。しかし、子育ては一筋縄ではいきません。子どもが親の思い通りにならずに、イライラしたり、落ち込んだりすることもあります。
子育ては親の仕事です。幼稚園もその一端を担わせていただいています。けれども、聖書は成長させてくださるのは神、と教えています。私たちが、全てを背負い込んでしまうのではなく、この神さまの愛のうちに、おおらかな思いをもって、子も親も成長させていただければ幸いだと思います。
 

ダンゴちゃんを見つけたよ!

 園長 塚本吉興 

 

「神はお造りになったすべてのものをご覧になった。
見よ、それは極めて良かった。」
(創世記1章31節)

 
 登園の途中でも、幼稚園のお庭で遊んでいても、子どもたちの声のトーンが上がる瞬間、それは、ダンゴムシを発見した時です。ツンツンとつついてみると、ダンゴムシは丸くなりますが、しばらくすると辺りを伺いながら、ゆっくりと体を伸ばして歩き始めます。何ともユーモラスで可愛く、子どもたちが何匹も捕まえて、ギュッと握った手の中に入れたくなる気持ちも分かります。子どもが外で遊ぶ機会が減っている現代ですが、幼稚園では、園庭の小さな大自然(?)の中、日々ダンゴムシ探しが続きます。
そんなダンゴムシ、お家で飼う時には、飼育ケースなどに、土と落ち葉や小石を入れておき、乾燥しないように霧吹きなどで水分を与えるだけで良いそうです。朽ちかけた落ち葉はエサにも隠れ場にもなりますから、湿り気を絶やさないようにすれば、2~3年間も生き続けるとか。でも、しばらく観察したら、元に見つけたところに返してあげるのが良いですね。
 大人にはちょっとグロテスクに思えるような身近な虫や小動物も子どもたちにとっては大切な遊び相手です。昆虫大好き少年だった私も、小さい頃、近所のため池からとって来た大量のボウフラを、アパートの廊下に置いた煎餅の空き缶で飼っていて、さすがに親に止められたことを思い出します。でもそういった生物を観察し、一緒に遊んで、その不思議さに触れるとき、私たちは多くのことを教えられます。人間も、神さまの造られたこの美しい世界に生かされている一員です。私たちは傲慢な思いを抱いて、虫や動物を含めたこの世界は、私たちの意のままにして良いかのように考え、環境や自然を顧みないことがあります。けれども、すべては神が「極めて良いもの」として造られたものです。少し視線を低くして、落ち葉の裏に潜むダンゴちゃんを見るとき、そのことも学ぶことができます。あ、でもお子さんが外から帰って来た時は、ポケットの中をチェックするのも忘れずに。思いがけないお友達が入っているかも知れません。

 

 

 園長 塚本吉興 

 

「あなたがたに新しい掟を与える。互いに愛し合いなさい。
わたしがあなたがたを愛したように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。」
                          ヨハネによる福音書13章34節

 
「古き良き時代」には、子供たちは幼稚園や学校が終わると近所の公園などに遊びに行き、夕暮れまで家に帰りませんでした。ですから、お父さんやお母さんだけでなく、近所のおじさんやおばさんも子育てに関わっていて、他人の子供に注意をしたり、見守ったりということが当たり前に行われていました。それは、今よりも近所づきあいが密にあり、子ども達もたくさんいて、地域のみんなで子育てすることが受け入れられていたからでしょう。
 私が小学3年生の時、住んでいた東京から祖父母の住む熊本に一人で新幹線に乗って行ったことがあります。博多駅までは祖父が迎えに来てくれるので、ただ6時間、新幹線で座っていれば良かったのですが、周りの大人が何となく気遣いしてくれたことを思い出します。
 聖書は、神は愛であると教えます。イエスさまは、「互いに愛し合いなさい」と命じられました。イエスさまが愛されたように互いを愛することとは、どういう意味を持つでしょうか。聖書の語る愛は、互いに相手を自分よりも優れた者と考えて、仕え合う愛です。教会はイエスさまの愛をお互いに、そしてこの世のすべての人々に対して広げて行くことを目指しています。
 現代では子どもを取り巻く環境は、昔とは異なります。子どもが一人で新幹線に乗って行くことは考えにくいかも知れません。しかし、みんなで一緒に子育てをしていくことは今でも大事です。養巴幼稚園に通う子どもたちや卒園児、保護者の皆さん、教職員は、養巴ファミリーの一員です。お互いに愛をもって、自分の子だけでなく、みんなで一緒に成長していくことができれば素晴らしいですね。
 その手始めとして、運動会、自分の子どもが出ている時は、スマホとビデオの撮影で手がふさがっていると思いますので、我が子の出番でない時に、応援の拍手をお願いします。隣のクラスの子どもたちも、養巴ファミリーの大切な一人、「私たちの子ども」なのですから。
 

 園長 塚本吉興
「手作りおもちゃとハグと」

 

「子どもたちは主からの贈り物であり、報いです。」詩篇127編3節
 

 
 「はーい、ばら組さん、お買い物スタート!」結実先生の元気の良い掛け声がして、子どもたちが楽しみにしていた、おもちゃのお買い物タイムがスタートします。どの子も100円分の10円玉が入った財布を首から下げ、名前を書いた大きな紙袋を手に持って、お買い物をします。目当てのおもちゃに真っ直ぐに向かう子、まずは手元のお金を数えてみる子、どれにしようか中々決まらない子、それぞれの性格の違いが出ます。店番をしているお母さんたちやお父さんたちも、セールストーク全開で、子どもたちに色んなおもちゃの売り込みをかけます。どの品もお家の方々が一所懸命、心を込めて作ってくださったものですから、売る方も買う方も自然と力が入るのでしょうか。保育室は、あっという間に賑やかな市場に変身しました。
 手作りおもちゃは、どれも趣向を凝らした楽しいものばかりです。身近にある材料でも、こんなに素晴らしいものが、という工作の見本市のようなアイディアと愛情たっぷりのおもちゃが並び、子どもでなくても欲しくなるものがたくさんあります。普段おもちゃと言えば、トイザらスを思い浮かべますが、プラスチックと電子部品で作られた玩具には、手作りの温かみがありません。
 シンプルな手作りおもちゃは子どもたちの心を育み、創造性を養います。子どもたちの好奇心を刺激するのに、複雑な仕組みは必要ないのです。同じように、お母さん、お父さんのハグ(抱っこ)は、シンプルな行いですが、子どもたちの心を愛されているという実感と安心で満たすものです。小さい頃、怖い夢を見た時に、両親の布団に潜り込んで寝たことを思い出します。窮屈であっても、安心して眠ることができました。ぎゅっと抱きしめられることは、リラックスすることを助け、自尊心を育てたり、ギブ&テイクを学んだり、怒りを鎮めたり、と様々な効用があるようです。子どもを育てることは、思い通りに行かずに親子ともにイライラしたりすることもあります。けれども、やはり神さまから預かった自分の子です。時にはではなく、毎日しっかり向き合って、抱きしめて、たとえ叱ることがあっても、どれだけ大事に思っているかを伝えてあげてください。
 手作りおもちゃよりもキャラクター、ハグよりもお小遣いという時が、いずれはやってきます。けれども、幼い日に親から示された愛は、子どもたちが生きていくためのかけがえのない力となるはずです。

 
 

 園長 塚本吉興 
「お生まれだ、イエスさまが♪」

 
「天使は言った。『恐れるな。わたしは、民全体に与えられる大きな喜びを告げる。

今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。』」(ルカによる福音書2章10節)

 

 
 子どもたちが待ちに待ったクリスマスがやってきます。どこへ行っても、イルミネーションが光り、ジングルベルが流れています。大人も小さい時のクリスマスの思い出を振り返って、楽しい気分になります。と、同時におもちゃ屋の広告を見て、ちょっぴりため息をつくのかも知れません。私が幼い頃、クリスマスと言えば、当時パン教室に通っていた母の作るピロシキと、クリスマスイヴに教会で守ったキャンドルサービスで大声で歌った「きよしこの夜」などの讃美歌でした。いずれにしても、クリスマスは心躍る時であり、子どもたちの目がキラキラと輝く時です。
 幼稚園では、クリスマスの始まりである、イエスさまがお生まれになったという出来事を子どもたちと分かち合っています。「お生まれだ、イエスさまが。笛吹け、太鼓を鳴らせよ。お生まれだ、イエスさまが。みんなで歌を歌おう。この喜びの日を、神の民は預言し、昔々から、わたしたちも待っていた。お生まれだ、イエスさまが、みんなで歌を歌おう。」と元気な歌声が響いています。   
聖書は、世の救い主、イエスさまが2000年前、ユダヤのベツレヘムでお生まれになったことを伝えています。この喜びの時をユダヤの人々が待ち望んだように、幼稚園でも毎週、ロウソクを灯して礼拝を守っています。1本ずつ増えていったロウソクの明かりが4本すべてに灯された時がクリスマスです。そして、クリスマスの礼拝ではページェント(聖誕劇)が行われます。イエスさまのお誕生の出来事を、子どもたちが、天使、マリアとヨセフ、羊飼い、宿屋、東の博士などに扮して、神さまへの讃美の思いをもって行う特別な劇です。子どもたちはお父さん、お母さんの前で行うページェントをドキドキしながら、楽しみにしています。
クリスマスには他にも楽しみなことがあります。ケーキ、プレゼント、ツリー、フライドチキン、イルミネーション、キャンディの詰まったブーツなどなど。クリスマスの喜びが、幼稚園の子どもたち一人ひとりのご家庭に満たされ、素敵な思い出をたくさん作れますように。そして、主イエスの御降誕をみんなでお祝いすることができますようにお祈りします。
 

 園長 塚本吉興 
新しい年を迎えて

 
 

「新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。」
(詩編96編1節)

 
 
お正月は「大いなるマンネリ」を楽しむ時です。毎年、毎年やっていることはほぼ同じです。同じ人たちに会い、同じものを食べ、同じテレビを見て笑い、同じ新年の目標を立てて、すぐに挫折する。「今年こそは…」と思っても、人間、中々変わることができないものです。しかし時に、友人からの年賀状に「去年からジョギングにはまっています。5キロ痩せました。」なんて言葉が、証拠の家族写真と共にあったりすると、一念発起して自分も、なんて気持ちにもなったりします。でもそれも毎年のこと…。大人になってしまうと、「現状を変えてやろう」と挑戦する気持ちよりも、「このままが一番」と守る気持ちの方が強くなって、気づいたら何年もそのまま過ぎていたなんてことがあるのかも知れません。
聖書は、「新しい歌を主に向かって歌え」と呼びかけます。古い歌が悪いというのではありません。古い歌には、古い歌の良さがあります。大晦日の紅白歌合戦、石川さゆりさんの「天城越え」が今年で10回目だそうです。一年の締めくくりはこの歌、と感じている人も多くいるのかも知れません。ですから、古い歌には古い歌のすばらしさがあります。しかし、聖書はあえて、新しい歌を歌えと語ります。聖書のいう新しい歌は、主に向かって歌う讃美の歌です。讃美の歌を、ただ漫然と、何度も繰り返してきたものとして歌うのではなくて、その時に置かれた状況の中でこそ、神の恵みを数え、神への感謝をもって、新しい歌として歌え、というのです。
子どもたちは、日々成長していきます。大人にしたら何度も経験してきたことも、子どもたちにとっては初めてのことです。毎日がドキドキ、ワクワクに満ちています。道端に落ちているドングリに興奮できるのは、子どもならではの特権です。大人は古い歌を歌うことに満足してしまっているかも知れません。けれども、子どもたちは毎日新しい歌を歌っているのです。大人も子どもたちに置いて行かれないように、新しいことにチャレンジし、当たり前の毎日の中に新しい発見をし続けていきたいものです。
 
幼稚園の3学期の歩みが始まります。神さまの導きが豊かにありますようにお祈りします。
 
 

 園長 塚本吉興 

 

「神さまにお話ししよう」

 
 
「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピの信徒への手紙4章6−7節)
 
 小学生の時に片思いの女の子がいました。同じクラスの福島さんです。控えめな彼女はクラスのアイドルではありませんでしたが、私の中では大好きな女の子だったのです。教会学校に通っていた私は、お祈りをしました。でも、姉と同じ部屋だったので、そこではお祈りできません。そこで、家の中で一人になれる唯一の場所、トイレで一生懸命祈りました。「神さま、将来、福島さんと結婚できますように!」このように祈りながらも、心のどこかでは思っていました。「お祈りって、こんな自分勝手なことを祈ってもいいんかな?」結果的に、この祈りは聞かれませんでしたが、神さまは、私にふさわしい人を用意してくださっていました。
 
 聖書は、どんなことでも神さまに打ち明けなさいと勧めています。日々の生活では、嬉しいことばかりではありません。子どもがインフルエンザや胃腸風邪にかかったり、家族や友人との人間関係に悩んだり、しょうもないことでイライラして自分が嫌になったり…。どんな祈りも、それが単なる愚痴であっても、神さまは聞いてくださいます。祈ることは、高尚に世界平和や人類の安泰を願うことではなく、私たちの日常の悩みや苦しみ、喜びや感謝を言葉にして、神さまに打ち明けることなのです。
 
「かみさま、あのね」という本があります。子どもたちの祈りを絵と共に記しています。「かみさま、あのね。弟が生まれました。ありがとう。でも、僕がお願いしたのはワンちゃんだったの。」とか、「かみさま、あのね、天国には学校はないよね?」といった可愛い祈りが載っています。子どもたちは知っています。神さまにはどんなことを祈ってもいいのだ、と。祈りは、神さまにお話しすることだからです。年長組さんたちは、卒園を前にして、「主の祈り」を学んでいます。イエス様が弟子たちに教えられた祈りで、2000年に渡って世界中の教会で大切に祈られてきました。祈りを通して、これから幼稚園を巣立っていく子どもたちに、イエスさまがいつも共にいてくださること、どんな時も、子どもたちの声を聴いていてくださることを知ってほしいと思います。
 

「小さなぼくたちだけど~♪」
園長 塚本 吉興

 
だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。
あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が
幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。
(テモテへの手紙二3:14−15)
 
幼稚園の門の前、朝の光の中に子どもたちの可愛さがあふれています。誰よりも大きな声で「おっはよーございまーす!」と走って来る子、はにかんだ笑顔でお母さんの後ろに隠れている子、弟や妹と手をつないでゆっくりと歩いて来る子、スキップして、手にどんぐりをぎゅっと握りしめて、あるいは、空き箱の入った大きな紙袋を持って、子どもたちが登園して来ます。そして、門のところで、お母さんやお父さんと繋いでいた手を離して、幼稚園での1日が始まります。その時、「バイバーイ」と目を見て言うようにしています。今日も送って来てくれてありがとう、と言う気持ちを込めて。「お母さん、早く迎えに来てね。」、「お父さんもお仕事頑張ってね。」、「ママ、今日ドライブ?」、「行って来まーす!」と親子の会話が交わされ、子どもたちは園の坂を駆け下りて行きます。泣き虫さんだった子も、なかなかお母さんから離れられなかった子も、元気にバイバイが言えるようになりました。子どもたちは、それぞれ本当に大きく成長しました。
 私たち家族が福岡に来る前に子どもたちが通っていた兵庫県の小学校に、とても熱い校長先生がおられました。髪型はリーゼント、眼鏡は少しシャドウが入っていて、見かけはいかついのですが、中身はとってもフレンドリーで楽しい先生です。その校長先生がいつも言われていたのが、「肌を離さない乳児期、手を離さない幼児期、目を離さない少年期、心を離さない青年期」でした。独特のイントネーションで語られた言葉が心に残っています。これは、ネイティヴアメリカンの子育ての教えからきているようですが、確かにそうだなぁと思わされます。子どもたちは、少しずつ成長していき、自分のことが自分でできるようになります。「ママ、自分でやるからいいよ。」と言われるのは、嬉しくもあり、ちょっぴり寂しくもあります。けれども、肌は離れても手は離さず、手は離れても目は離さず…。子育ては続いていきます。親の果たす役割は大きいのです。
 聖書は、幼い日から教えられてきたことの大切さを語っています。子どもたちが大きくなって自分で人生を切り開いて行くときに、何を頼りにし、何を目指していくのか。私たち親は、子どもたちの幸せを祈っています。神さまからいただいた、愛、思いやり、優しさ、忍耐、強さ、希望など、日々の関わりの中で、私たちが、子どもたちに与えることのできるものはたくさんあるのではないでしょうか。
 

 

 

2016年度

園長 古屋治雄

 
2016年度の養巴幼稚園の新学期が始まりました。新しくこの四月から養巴幼稚園に来てくださったちゅうりっぷの皆さん、またそれぞればら組さん、ゆり組さんに進級してくださった皆さん、さらにさくらんぼの皆さん、この四月から園長を務めることになりました福岡中部教会牧師の古屋治雄です、どうぞ宜しくお願い致します。昨年度までは眞鍋良則園長が務めてくださいました。私は、11年にわたる眞鍋園長の後を引き継いで、園長としては年少組の「ちゅうりっぷ組」に入った心境ですが、皆さんと共に養巴幼稚園で神さまの祝福をいっぱいいただいてこの役割を担っていく所存です。
 
これからの新学期の歩みに心配や不安の気持ちをもっておられる方々もおられるでしょうが、それ以上に、これから養巴幼稚園でどんな新しい経験をすることができるかを楽しみにしていただきたいと思います。養巴幼稚園にはイエス・キリストが働いていてくださり、私たちを神さまの祝福を注いでくださって導いてくださっているからです。
 
養巴幼稚園は福岡中部教会の付属幼稚園として88年の歴史を与えられています。これまでに巣立っていった園児は間もなく4,000名になろうとしています。福岡市の中心地に立てられた幼稚園としての歴史を与えられ羊飼いなる神さまの愛を受けて今日に至っています。
 
養巴幼稚園の二階に上がった窓に、衝突防止のためもあって、聖書の言葉が記されています。「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネによる福音書10章14節)、という言葉です。2016年度を歩み始めた私たちのすべての活動の中に良い羊飼いなるイエス・キリストが一緒いてくださいます。
 
 
 
聖句 主は羊飼いとして群れを養い、御腕をもって集め
 
   小羊をふところに抱き、その母を導いて行かれる。    (イザヤ書40章11節) 
 
 

園長 古屋治雄

 
新約聖書の「コリントの信徒への手紙一」の中に「愛の讃歌」と言われている言葉が伝えられています。
 
教会での結婚式のプログラムなどに印刷して親しまれている言葉でもあります。
 
その一部を抜き出すと、以下のような言葉となっています。
 
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
 
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
 
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
 
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。(13章4-7節)
 
 これらは、聖書の言葉だからキリスト教の信仰特有のことでしょう、と思われるかもしれませんが、この四行の言葉は、キリスト教だからということではなく、一般的に「愛」ということを私たちが思いめぐらす時、広く納得できる内容ではないでしょうか。
 
この言葉を伝えているのは、イエス・キリストによって明らかにされた神さまの福音を宣べ伝えている伝道者パウロです。このパウロが、この言葉をコリントという町にある教会の人々に書き送ったのです。コリントの教会の人々が信仰者として何の問題もなく、いわば理想的により良い関係を築き上げていたわけではありませんでした。今日の私たちと同じように、それぞれの家庭においても、また教会においてもいろいろな課題を抱えていたのが現実でした。
 
キリストに愛されていることを知っているパウロはここで、愛し合うことのできない人間に向かって、「どうしてあなたがたは愛し合うことができないのか」「そんなことでどうするのか、だめではないか!」と、非難の言葉を浴びせかけているのではありません。パウロはここで不思議な展開をしているのです。幼子のことを語り出すのです。「幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、幼子のように考えていた。しかし、成人した今、幼子のことを捨てた」と。
 
幼子は「愛」という言葉を使えませんし、どういう意味か説明することもできないでしょう。しかし、子どもは、無条件に、愛されていることを知っています。愛されていることを全身で受け止め、そこには疑いも打算もありません。だから子どもは輝いて見えるのです。しかし大人はどうでしょうか。神さまに愛されていることを素直に受け止めることができなくなっているのではないでしょうか。愛されていても、自分の考える範囲でしか、受け止めることができないのです。
 
パウロという伝道者は、「幼子のことを捨てた」私たちを、キリストが愛してくださっていることを知らされて、「幼子のように」神に愛されていることを喜び、受け入れることができました。パウロが愛を積極的に語ることができたのは、キリストの愛を深く知らされたからに他なりません。
 
 
 
聖句 それゆえ、信仰と、希望と、愛、この三つは、いつまでも残る。その中で最も大いなるものは、愛である。              (コリントの信徒への手紙一13章13節)
 
 

 

園長 古屋治雄

 
毎週月曜日、園児のみなさんのが絵本バッグをもって登園してきます。前の週に園から借りていったものでしょう、どんな本を読んだのでしょうか、またおうちの方々に読んでもらったのでしょうか、興味津々です。養巴幼稚園の図書コーナーはとても充実しています。保護者のみなさんの自宅にもたくさん絵本をもっておられることでしょう。絵本の世界がどんなに未知の世界か、ファンタスティックな世界か、特に在園時代に多くの絵本に接していただきたいと願っています。
 
私自身も、結婚直後広島教会の牧師を務めている時代に三人の子育てを経験してきました。(父親として育児に参加してきたつもりではありますが、さて妻はどのように言うでしょうか)もう記憶が遠のいてしまいましたが、一緒に読んで、一緒に楽しんできた絵本をアットランダムに思い出すと、・・・ぐりぐらのシリーズ、『かえるのつなひき』(福音館書店)、『チョロリンのすてきなセーター』(福音館書店)、ピトシャンピトショが登場する『ふくろにいれられたおとこのこ』(福音館書店)、マックスが登場する『かいじゅうたちのいるところ』(冨山房)、『ピ-タ-パン』等々・・・、もちろん聖書に関するいろいろな物語の絵本も一緒に読んできました。
 
数年前、教会の伝道集会で福音館書店に長い間責任をもってこられた松居直氏を講師にお呼びしてお話しを聞きました。文字ではなく、顔と顔を向き合わせて、その人の声を聞くこと、親しい声を通して文字が言葉になること、そのやりとりがどんなに大切かを改めて学び、知らされました。
 
子どもたちの本に接していると、その本自身のもっている言葉の力が働くのでしょう、「読んであげる」、「聞かせてあげる」、という姿勢が変えられ、そこに語られ伝えられている話しを実は私たちも一緒に味わっている経験をすることができます。養巴のライブラリーの中に『かみさまへのてがみ』という本があります(1977 『かみさまへのてがみ もっと』1978 『かみさまへのあたらしいてがみ』1992 サンリオ)。これはこどもたちが書いた、というより、素朴に「かみさま」に呼びかけ、語りかけたことばが本にまとめているもので、谷川俊太郎氏が訳したこともあり、話題になりました。この本の編集者のE・マーシャルとS・ハンプルは次のように言っています。「人間のさまざまの経験の中でも、無邪気さと子ども時代のおどろきに対する郷愁ほど長つづきするものはありません。おとなになった私たちは、子どものころ世界は今よりずっと単純だったというふうにふり返りたがるものですが、もちろん、そんなことはなかったのです。私たちはそう考えたいだけなのです」。
 
最近、『子どもは40000回質問する』(イアン・レズリー/著 須川綾子/訳 光文社 2016)という一冊の本に出会いました。これは絵本ではありません。霊長類の中に高度の学習能力をもったチンパンジーがいるそうです。その意味では言葉を理解する能力をもっていることが分かるのです。しかし決定的な違いがあるというのです。それは、質問する能力がない、というのです。「なぜ」「どうして」と問うことはできないのです。言われてみるとこのことは私たちに納得できることです。子どもは成長過程で40000回質問する(?)そうです。これは私たちが、幼少期身近な親に対して、家族の範囲を越えて自立の課程を踏みしめていく時も、さらには対人関係に留まらず、絶対的な方に対して、呼応することを求めている存在であること、そもそも語り合う者として私たちが創られていることが示されているのではないでしょうか。
 
 
 
聖句 そのあなたが御心に留めてくださるとは
 
     人間は何ものなのでしょう。
 
   人の子は何ものなのでしょう
 
     あなたが顧みてくださるは。                (詩編8編5節)
 
 

 

園長 古屋治雄

 
養巴幼稚園も二学期が始まりました。夏休みの間子どもたちがどんな楽しい体験をしたか一人ひとりに聞いてみたい思いがします。今年は猛暑が日本中を襲い、健康維持が心配されましたが、きっと普段では経験できない貴重な経験をすることができたでしょう。お家を離れて家族で旅行に出かけた人もあるでしょう。大自然の不思議さにふれる経験をした人もあるでしょう。また普段会うことのできない人との出会いもあったことでしょう。
大人になると、いろいろな現実的経験をしてきて子ども時代のような驚きや感激が失われているように思います。いろいろな経験が当たり前であったり、まあそんなものだろう、という枠の中に納めてしまっているのです。しかし大人とは対照的に小さい子どもは(年齢で限定することはできません)いろいろなことに興味をもち関心を示し、率直に驚き、神秘にふれて生きていることを実感しまた堪能しています。少しオーバーな表現と思われるかもしれませんが子どもたちは夏休みの間きっとそういう体験ができたものと思います。
大人にとっても子どもにとっても生活の中で健全なかたちで驚きを経験し、不思議にふれることが必要だと思います。それによって私たちの日常がある意味で解放され、決まり切ったことの連続から自由になり、新たな鋭気を養うことができるからです。そのために私たちには「遊び」が必要です。時間的にまた経済的に余裕があったら「遊び」を考えるというのではなく、生活の不可欠な要素として「遊び」が必要なのです。
「遊び」について考えるとき世界中で今あるゲームが話題になっています。園児の中にこのゲームで遊んでいる人はいるのでしょうか。保護者の方々の中には体験している人がきっといるのではないかと思います。パソコンやスマホでのゲームは本当に様々の種類があって一概には言えませんが、大きく分けると二種類あると思います。一つはどんなに複雑のものでもそれが決められた枠の中での遊びとなっているものと、そうではなく、計算されているとは言え、こちらの考えと操作によって新たな進展になっていくものとがあると思います。いずれにしても自分の遊びが誰かのプログラムの管理の下にあることでは共通しています。そもそもゲームに驚きや神秘を求める方が見当違いなのかも知れません。今の時代に生活の中で子どもたちがゲームをすることをどのように考えたらよいか、このテーマはとても重要なテーマです。この夏蝉捕り(蝉にかぎらずトンボやチョウチョなども)をした子どもたちもいることでしょう。スマホでポケモンを捕まえることとあえて比べるならば、蝉捕りの方がわくわく感と緊張とオーバーに言うならば生きている充実感があるのではないでしょうか。大人も子どもも計算された遊びの枠を越え、生きていることへの感動や湧き上がってくる喜びを生活の中で経験したいと願うものです。
聖書の中に、この世界に生かされていること自体が驚きであり、この世界は実に神秘に満ちていることを次のように告白しています。
 
 
   わたしは恐ろしい力によって/驚くべきものに造り上げられている。
   御業がどんなに驚くべきものか/わたしの魂はよく知っている。(詩編139編14節)
 
またこの世界を次のように驚きをもってみています。
  
 主よ、御業はいかにおびただしいことか。/あなたはすべてを知恵によって成し遂げられた。
   地はお造りになったものに満ちている。(詩編104編24節)
      
 

 
 

園長 古屋治雄

 
10月には養巴幼稚園では運動会、こどもまつり、教会も日曜礼拝はもちろんですが、コンサート、バザーといろいろ大切な行事が予定されています。準備に当たっている人々は大変ですが、これらの機会に大勢の人々が幼稚園や教会を訪ねてくださり、何よりも目には見えませんがイエス様や父なる神様との出会いが与えられるようにと願っています。
イエス様は神様の恵みと祝福の中に生きることができるようにと常に私たちを招いてくださっています。一番はっきりとしたイエス様の招きの言葉がマタイによる福音書の中に伝えられています。きっと皆さん聞いたことがある言葉です。「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」。10月あるいは11月に、教会ではつづく12月のクリスマスも視野に入れて伝統的に新しい人々を教会に招く集いを計画します。
イエス様が私たちを神様の幸いの中に生きることができるようにと具体的に招いてくださっている言葉は実はたくさんあります。イエス様は「渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい」とも仰って、私たちを招いてくださっています。
今年の暑い夏はやっと終わりました。この夏の暑さの中で冷たい水や清涼飲料水で喉を潤し、オーバーかもしれませんが、全身が潤される経験を誰もがしたと思います。この夏私は熊本、大分に行く機会がありました。地震に襲われてなお大変ですが、阿蘇山周辺、また久住高原の周辺の湧水地を訪ねることができました。そこでは毎秒何トンものきれいな水が突然コンコンと湧き出ている光景に驚かされ、またその水のおいしさに命の潤いを実感しました。
イエス様が用意していてくださる水は、私たちが器に入れて飲むあの水のことではありません。私たちが知っており喉の渇いたときに飲む水のことを指して「この水を飲む者はだれでもまた渇く」と仰っておられます。その水のことではなく、イエス様は言われました、「わたしが与える水を飲む者は決して渇かない」と。そしてそれだけに終わらずこうもつづけて言われました、「わたしが与える水はその人の内で泉となり、永遠の命に至る水がわき出る」と。私たちはしばしばイエス様の言葉に驚かされます。この言葉もそうです。喉の渇きは本能的に私たちに分かります。経験済みです。イエス様は、ご自分が用意してくださる水を私たちがいただくと、まず「決して渇かない」と仰り、さらにイエス様の「水」をいただくと、渇きが潤されるだけでなく、私たち自身が泉と変えられると言われるのです。
イエス様と水をめぐって一人の女性がサマリアの井戸辺でやりとりをしたことがヨハネによる福音書に伝えられています。「主よ、渇くことがないように、また、ここにくみに来なくてもいいように、その水をください」私たちもこの一人の女性のように、イエス様に食い下がって、いったいどういう「水」をくださると仰っているのか、お尋ねしていきましょう。イエス様がきっとお応えくださいます。いやもうイエス様のその「水」を私たちはいただいているのです。
 
 
聖句   渇いている人はだれでも、わたしのところに来て飲みなさい。わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その人の内から生きた水が川となって流れ出るようになる。

(ヨハネによる福音書7章37-38節)
 

園長 古屋治雄

 福岡中部教会では水曜日に午前と夕べに聖書の学びをしています。教会によっては伝統的に「聖書研究会」と言っている教会もありますが、そうは言っても特別に専門的な研究をしているわけではありません。どうして熱心に聖書に聞こうとしているかというと、生きておられる神さまが私たちに聖書を通して呼びかけくださっていて、その神さまの言葉にふれることができるからなのです。
聖書の内容は多岐に亘り、歴史的背景を知らないと理解困難な内容も確かにあります。皆さんが初めて聖書に接したときの印象として、古文書であり、直接私たちの生活にはふれることのない古い歴史書のように思った人もきっといることでしょう。新約聖書の一番初めをみると長い系図がつづいていて、せっかく決心して聖書を読み始めようとしたのに心が挫けてしまいました、という話しを何人もの人から聞いたことがあります。
 しかし聖書は不思議なことに今日に至るまで廃れることなく、永遠のベストセラーとして読み継がれてきています。日本聖書協会のホームページをみると、2012年の統計ですが、世界でこの年だけで3,300万冊発行され、その翻訳言語数は2,551言語に及んでいます。これらの数字には聖書に御言葉が世界に求め続けられている現状と、また今日の世界に聖書に示されている神さまの言葉を是非世界の人々に届けたいという熱意が燃え続けていることを示しています。
 旧約聖書の詩編の中に次ぎの言葉が語られています。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光 わたしの歩みを照らす灯。」
(詩編119編105節)
またイエス・キリストが救い主として来てくださったことが伝えられている新約聖書の中に次のような言葉があります。
「イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。」

(ヨハネによる福音書21章25節)

 毎年10月31日を教会では宗教改革記念日として覚えています。今から500年前になりますが、この日は、1517年ドイツでマルチン・ルターが宗教改革の発端となった出来事を起こした記念の日です。ルターは当時一般の人々が読むことができなかった聖書の言葉をドイツ語に翻訳しました。その情熱は、聖書が本来、私たちが神さまの恵みの中に生きることができるようにと懇ろに呼びかけてくださっている書であることを知らされたゆえに湧き上がってきたものでした。聖書は神さまから私たちへのラブレターと言えるのです。
 

園長 古屋治雄

 

旧約聖書の一番始めに「創世記」という書があります。天地創造から始まり、世界にいろいろな人々が広がっていき、その中から神の民とされるイスラエルの人々の歴史が展開されています。神さまが世界を創ってくさった時、そこには祝福が注がれていました。しかし、この創世記を読むと、神さまの祝福が地上の人間の自分勝手な思いと行動によって台無しにされていく歴史が伝えられています。ノアの洪水の話しをお聞きになったことがあるかも知れませんが、洪水が世界中を覆ってノアの箱舟の中に守られた人間と動物たちけが生き延びることができたことが伝えられています。
 現在世界にはおよそ75億人の人々が生活していると思われますが、皆が理解し合い支え合って生きているかというと決してそうではありません。様々な対立があり戦火が絶えず、その中で多くの弱小者が命を奪われ、安心できる生活を奪われています。今も続いているシリアという国を中心にした内戦で、多くの難民が発生しています。これはヨーロッパけの問題ではなく世界中の問題です。同様にアフリカでもたくさんの難民が発生していることを私たちは知らされています。
 着の身着のままで手に持てるけの荷物をもって、住み慣れた場所から知らない土地へ逃れて行かなければならないことを、今福岡で毎日の日常を送っている私たちは実感をもって受けとめることができません。想像力を駆使してもそういう現実の中にある人の実生活には到底及ばないでしょう。
 今年長のゆり組では卒式に向けて主の祈りを暗唱しています。これは、イエスさまが弟子たちに教えてくさった大事な祈りで、教会の中でも礼拝の度毎に、集いの度毎に祈っている祈りです。初めは難しいと言っていた子どもたちですが、今はほぼ完璧に皆暗唱して言えるようになっています。この祈りの中に「日毎の糧を今日お与えくさい」という祈りがあります。この祈りの意味は、直接的には「日毎のパンをお与えくさい」という意味ですから、「神さま、毎日その日の食べ物をくさい」という意味です。しかしイエスさまはこの祈りをとおして食べ物けでなく、「着るものもそして安心して住むことのできる家を」お与えくさいという意味に拡大して理解することができます。

そしてこれらのことを祈るように言われているのは「わたし」個人ではなく、「私たちにお与えく さい」と教えておられるのです。この「私たち」とは、わたしの家族 けに限定できません。自分たちの国の人々のことでもありません。この地上にあって神さまに祝福を持って創られたすべての人にまで到達する「私たち」となるのです。今この地上に生かされている人は皆ノアの洪水を生き残ることのできた、神さまに愛されている者たちなのですから。
 

 

園長 古屋治雄

私は、11年前の2006年3月末にこの福岡の地に赴任してきました。神様から福岡中部教会牧師として、そして付属養巴幼稚園の理事長として務めるようにと言われたことを信じて初めて九州に来ました。福岡中部教会の養巴幼稚園は教会付属となっていますので、教会の主任牧師が理事長を務めることになっています。
赴任当初は、西南学院中高の校長先生を退職された、教会員であり役員であった真鍋良則先生が養巴幼稚園園長を務めてくださり、以後11年に亘ってその責任を担ってくださいました。遡るとこの間には、園舎の建て替えという大きな懸案があり、教会と幼稚園の関係者が一致協力してこのことに取り組み、2012年年頭に竣工することができました。
また真鍋園長時代にもう一つ懸案がありました。現在も日本社会の大きな課題になっている「子育て支援」或いは「幼保一体」政策の一環で幼稚園の運営体制を再検討しなければならなくなったことです。養巴幼稚園には大事な伝統があります。それは、神様が子どもたちをゆたかに祝福してくださることを信じ、その中で大きく育つことを願いながら具体的な保育に当たることです。多くの園が「こども園」となっていく中で、私たちは宗教法人の幼稚園であることを変更せずに「施設型給付」というかたちで運営していく道が開かれて現在に至っています。
真鍋園長を引き継いで私が園長に就任したのは2016年4月からでした。ですから園長としては1年しかその責任を果たしていません。教会の牧師は時に転任します。福岡中部教会が所属している日本キリスト教団という教会は牧師の人事については「招聘制」というかたちをとっています。本部からの人事辞令で決められるのではなく、個々の教会が「来て欲しい」と願い、そこに神様の御心があると信じてそれに応じることによって成立する人事です。
この度私は西東京教区阿佐ヶ谷教会から招聘を受け、これに応じることを神様の前で決心し、その旨を教会に申し出て、これを認めていただきこの転任が決まりました。特にこの1年限られた機会でしたが、園長として園児の皆さんや保護者の皆さんと過ごすことができ神様に感謝します。どこで生活する子どもたちであっても、その幼児期を家庭や幼稚園・保育園などでどのように過ごすかということがいかに大切であるか、私たちは知っています。登園する園児の皆さんと保護者の皆さんと朝挨拶を交わすことができたこと、一緒に神様の言葉を聞く礼拝ができたこと、そして園児の皆さんと一緒に遊ぶことができたこと、これらのことを今思い起こし、心から皆様にそして神様に感謝します。
養巴幼稚園に連なるすべての皆様のうえに神様の祝福がゆたかに注がれますように!

 
 

2015年度

 

園長 真鍋良則

今月から本園は、公的には新制度の中の「施設型給付幼稚園」という形態に属しています。園が独自に保育料を設定することは出来ません。保護者は応能負担という市民税額に応じた保育料を市に納めます。保育料は一律同額ではないので、事務処理は複雑になりましたが、新制度によって園の教育・保育等が影響を受けることはありません。この新制度導入を契機として養巴幼稚園をさらに充実させたいと願っています。
1928年9月、米国人宣教師ミス・ワイズが自宅を開放し近隣の幼児を集めて、神の愛を基調とした教育を始めました。これが養巴幼稚園の起源です。神の愛が土台として据えられたことを強く感じます。この土台は園舎が新築されても、園の制度が改められても不変です。時の権力や社会風潮等で土台がぐらつくと、すぐ取り替えるのが世の慣わしですが、本園の87年に及ぶ歴史の中ではそうではなかったし、これから先も土台を据え替えることはありません。本園の方針が不変であることをモットーによって更にアピールしたいと願っています。それで養巴に相応しいモットーを掲げることにしました。
2011年12月に新築完成した今の園舎には、園庭や周囲の森まで見渡せる大きな窓があります。1階のガラスにはヘブライ語で「主を畏れることは知恵の初め」(箴言1:7)、2階のガラスにはギリシャ語で「わたしは良い羊飼いである」(ヨハネ10:14)という聖句が記されています。いずれも養巴幼稚園の理事長でもある中部教会の古屋治雄牧師が選んでくださいました。スタッフ全員で審議した結果、園児たちは「羊飼い」の方に親しみを感じるだろうと判断しました。イエスさまが羊飼いで、子どもたちが羊という図式は大変分かり易いからです。ところで、ようはの「養」には羊へんと食へんが混じっています。「羊飼いに守られ、養われる羊」を表しているのです。養巴の入園案内には保育方針として次のような記事を載せています。
 
自由且つ幼児の自主性を重んじる保育を心がけると共に、他者に対して愛情深く、思い遣
りある者となるように願って、スタッフは園児と向き合っています。毎日賛美歌を歌い、
お祈りを捧げて礼拝します。下記の聖句にあるように、子どもたちが神さまに愛され守ら
れていることを、園での生活をとおして経験できるようにと志しています。
 
聖句(詩編23章1節~3節) *下線部が養巴のモットー
主は羊飼い わたしには何も欠けることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主の御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。

 

園長 真鍋良則

車で高速道路を走っていて道路標識を見落とし、降りるべきインターチェンジを通り過ぎるという失敗をわたしは何度も経験しました。間違いに気付いても高速道路では勝手にUターンして戻ることは出来ませんので、目的地から遠ざかることは分かっていても、そのまま車を走らせ、最寄りのインターチェンジで一旦高速を降り、再び高速に入り直して、車を逆方向に走らせなければなりません。時間も掛かる上に、料金も余分に払わなければなりません。
このことはわたしたちの人生行路に於いても同じことが言えます。絶えず自分が間違った方向に進んでいないかどうか注意して吟味する必要があります。間違いに気付くのが遅ければ遅いほど、正道に戻るための代償は大きくなりますし、手遅れということもあります。最近若者が無差別に人を殺傷する事件が幾度となく発生しました。これは熟慮することなく、衝動に駆られての行動でしょうが、相手に対しては勿論のこと、犯行に及んだ当人にとっても取り返しのつかない惨事です。若い時から悪いことばかりして、刑務所を頻繁に出入りしていた人が、晩年自分が辿ってきた人生行路を悔やんで、しみじみと述懐しました。「わたしは本当につまらない人生を送ってしまった。若い時に軌道修正しておけば良かったのに。」
車の運転に関しては自分でしなくても、他人任せということも出来ますが、わたしという存在は、幼児期のほんのわずかな期間を除き、わたしが舵を取っていかなければなりません。車の運転どころではない責任が1人1人に課せられています。人生行路の道標に気付かなかったり、無視したりすると取り返しのつかない大変な事態になってしまいます。人生の道標といえば、どんなものが考えられるでしょうか。親を含めて周囲の人々から懇々と諭されることもそれに相当します。学校で学ぶことや読書を通して知ることもあります。先人の残した教訓や経験なども役立ちます。いろいろな道標がありますが、神さまが示してくださる道標に勝るものはありません。わたしたち1人1人をつくり、育み愛してくださる神様は、イエス・キリストという道標を立てられました。わたしたちがその道標に従って歩むとき、わたしたちは間違いなく喜びに満ち溢れた人生の目的地に辿り着くことが出来るのです。
 
聖句  (詩編23篇1節~3節)
主は羊飼い、わたしには何もかけることがない。
主はわたしを青草の原に休ませ 憩いの水のほとりに伴い 魂を生き返らせてくださる。
主は御名にふさわしく わたしを正しい道に導かれる。

園長 真鍋良則

 
 
 
私は以前中高一貫の学校に長年勤務していましたので、修学旅行引率という仕事には幾度も携わりました。中学3年生の修学旅行引率で京都に行った時、禅宗のお寺で生徒達と一緒に坐禅を組む体験学習をしました。わたしにとって初めての経験でしたが、坐禅の雰囲気を味わい、その意図することを学んで、座禅が大変価値あるものであることを知りました。その時指導してくださった僧侶の方から教わったことを少し紹介します。
 
 坐禅の「坐」と言う字は「座」と異なり、「まだれ」が有りません。今はそうではありませんが、本来ならば屋内ではなく、土の上で坐して、人と人とが互いに向き合っている状態だそうです。人という字が2つありますので、2人の人間が係わっているようですが、実は「自分と自分が向かい合う」という意味だそうです。現実の自分とそうではないもう一人の自分が向き合い、対話しなければなりません。「土の上で」ということは、出来るだけ虚飾を廃した所で、周囲に惑わされることなく、「一対一の真剣勝負をしなさい」ということのようです。そして現実の自分を省みて、少しでも自分を高めていくことが坐禅の精神だ、ということでした。
 
 現実の自分から1歩離れて、自分を客観的見地から見直す。これが出来るのは人間だけで、他の動物は出来ません。人間を人間らしくするのは、実はこの能力なのです。2つの自分が合体して1つになってしまうことは、矛盾や悩みが無くなり、一見理想的と思われるのですが、現実的には自己反省が全く出来ない独り善がりの大変危険な人物となってしまいます。「自分を客観的見地から見直す」と言いましたが、これほど困難なことは他にありません。これが容易にできるならば、この地上からとうの昔に戦争やさまざまな醜い争いは無くなっていたでしょう。しかし、わたしたちが考え出す客観的という言葉の内容は、人によってまちまちですから、主観的とたいして変わらないものです。
 
 聖書の立場からこの客観性について言えば、その答えは明白です。天地万物を創造された神さまは全知全能で、わたしたちが自分のことで気付いていないことも含めて、宇宙の隅々に至るまで熟知されて、治めておられます。神さま抜きで客観性を語ることは絶対出来ません。この神さまを畏れ敬うという観点から自分自身のことは勿論のこと、他の総てのことをも考えるようにしなければなりません。これが客観性なのです。総ての出発点は「主を畏れる」ことにあるということを心に留めることが肝心です。
 
 
聖句 (詩編111篇10節)
主を畏れることは知恵の初め。
これを行う人はすぐれた思慮を得る。
主の賛美は永遠に続く。

 

園長 真鍋良則

 
 
 

人類の歴史をひもとけば、それは民族や国家が、共に生きられなかった記録です。さらに、今のわたしたちの周囲を見渡しても、人と人が仲良く出来ない事例は枚挙に暇がありません。アダムとエバの子であるカインとアベルは兄弟でありながら、嫉妬から兄カインは弟アベルを殺してしまいました。人類誕生当初から、人は孤立して生きられないのに、共に生きることもできない矛盾を抱えてきたのです。
 
わたしたちはこの矛盾を自分とは関係のない他人事と考えるのではなく、「自分こそが共に生きることを拒んでいる張本人だ」と見做さなければならないようです。対立のあるところ、国対国、グループ対グループ、個人対個人であれ、そこには一つの共通点があります。それはお互いが、「共に生きられない原因を作っているのは、自分の方ではなく、相手の方である」と主張して譲らないのです。従って、「相手が譲歩しない限り、絶対収まらない」という事実のみが残るのです。これでは「共に生きる」という平和は訪れません。平和の達成には、対立している双方の歩み寄りが必要なのです。
 
自分は変わらないで、相手だけを変えようとするやり方では、太古の昔から続いてきた争いに明け暮れる状態からの脱却は不可能です。戦争やテロ、差別やいじめなども無くならないでしょう。生物学的には「人間は万物の霊長である」と言われていますが、下手すると、自分自身を含めた万物とその環境を滅ぼして仕舞うのではないでしょうか。絶滅させないためには、「自分の方が変わる」ということ以外にありません。しかし、それは並大抵のことではなく、途方もないことです。わたしたちの自尊心も妨げになります。相手に対してねたみや怨みを抱いたままでは不可能ですから、気持ちを入れ替えなければなりません。
 
「自分の方が変わる」ということ、聖書的にはこれが愛です。下記の聖句は「愛の賛歌」と呼ばれている有名な箇所です。わたしたちは「愛」といえば、取り立てて努力しなくても、心の中から自然に湧き上がってくる感情と思いがちですが、それは「愛」ではなく、「好き」という気持ちに過ぎません。すてきな異性と出会い、「わたしはあなたを愛しています」と告白する場面がテレビや映画などでやたらと出てきますが、その言葉は間違っています。「あなたが好きです」と言うべきです。「愛」は軽々しいものではなく、犠牲や忍耐を伴います。そして愛のみが、共に生きることを可能にします。

 
 

聖句(コリントの信徒への手紙一 13章4節~7節)
愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。礼を失せず、自分の利益を求めず、恨みを抱かない。不義を喜ばず、真実を喜ぶ。すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える

 

 

 

園長 真鍋良則

                               
 この世は虚偽と欺瞞に満ちています。うわべを繕って本音を隠して悪事を働くやからは増える一方で、その中には、個人は勿論のこと企業や法人、更には行政府や立法府も含まれます。憲法そのものを改訂することには国民の抵抗が大きいので、政府はご都合主義解釈で、憲法9条を骨抜きにしようとしています。むやみやたらな言訳や弁解ざんまいで、なりふり構わずに憲法違反の安全保障関連法案の成立へ突き進んでいます。これもまさに欺瞞そのものと言わざるを得ません。先の大戦では日本は「アジアの安泰と平和の為」と唱えながら、本音はアジアへの侵略そして資源の略奪でした。日本は加害者でありながら、日本人の戦没者だけを弔い、被害を受けた国々の戦争犠牲者は無視していると見做されています。敗戦から70年経ち、大戦の反省の気持ちが薄らいできたようです。憲法の条文解釈変更もその表れの一つでしょう。現在の憲法は、明治以降富国強兵政策を進めてきた結果、ついには戦争にまで到り、自国民は勿論のこと、諸国民にも多大の損害を被らせたという反省を踏まえて、1946年に制定されました。憲法9条には次のように記されています。
 
 日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを
放棄する。
 
この条文は、戦争を放棄し、ひたすら平和を希求しているので、世界の模範とも言える崇高なものです。第9条は、「多少の犠牲は耐えて、真に価値あるものを達成させよう」という意図が感じられます。下記の聖句にあるイエスさまの言葉を連想させます。日本で働いておられる外国人による次のような文章を読んだことがあります。「日本に来る前から日本について尊重しているのが、日本国憲法第9条のことです。日本が戦争をしない国だということは、一番評価すべき点だと思います。」
ところで集団的自衛権の行使とは、親密な関係にある他国が武力攻撃を受けた場合、その攻撃を協同して排除することです。当然のことながら武力行使を前提としています。憲法の条文を正規の手続を経て改めるならいざ知らず、9条の条文の解釈変更で、「永久に放棄する」と謳われている武力行使が認められるようになることはあり得ません。しかも日本の行政府と立法府がこれを犯すことは、限りない社会秩序の混乱を招くことになるでしょう。「無理が通れば道理が引っ込む」ということを地で行くことで、欺瞞そのものです。これは虚偽を憎み、正義を追求しなければならない教育界を始めとして、多方面に計り知れない悪影響を及ぼすことになるでしょう。
 
聖句 あなたがたも聞いているとおり、「目には目を、歯には歯を」と命じられている。しかし、わたしは言っておく。悪人に手向かってはならない。だれかがあなたの右の頬を打つなら、左の頬をも向けなさい。あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい。          (マタイによる福音書5章38~40節)
 

 

園長 真鍋良則

                                
 学習指導要領に「各学校において生徒に生きる力をはぐくむことを目指す」とあります。各学校とは幼稚園から大学までを含みますので、園児や大学生も対象になります。親や教師はそれぞれの年齢層に適った教育及び指導をし、生きる力が身に付くようにしなければなりません。各学校での生きる力養成となると、向上心や探究心を抜きには考えられません。幼稚園児は好奇心の塊ですから、遊びに熱中することが、生きる力をはぐくむことに繋がります。仲間と一緒に身体を動かしてもみあったり、積木でいろいろな物の形を作ったり、ゲームをしたりすることは、気遣いや探究心が養われます。幼児期の切磋琢磨不足は、成人後までも思わしくない影響を及ぼすと言われています。
 聖書に「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」(マタイによる福音書7章7節)とあります。積極的な向上への希求こそが明るい前途を約束しています。何もせず、ただ指をくわえて待つのではなく、積極的に「求め・探し・叩く」ことが肝要です。それが生きる力になるのです。最近、前途に目的意識を全く持たない無気力の塊のような若者が増えているような気がします。この「求め・探し・叩く」を進んでしない者は、暗闇から抜け出せず、不平不満が心につのるばかりで、生きる力は出てきません。やがて人としての正道からそれていく恐れもあります。心に溜まった不平不満を抑えることが出来ずに爆発させることになるからです。近年、若者による理不尽な事件が度々発生していますが、これは生きる力の欠如が原因です。
 聖書に「人はパンだけで生きるものではない」という有名な言葉があります。大分以前のことですが、全国のパン工場経営者の研修会が開かれました。その時の主題は何とこの言葉だったそうです。皮肉や冗談でこの主題が選ばれたのではなく、本当にパンを大切なものと考えている人々が、パン以上に大切なものがあることを真剣に学ぼうという趣旨の会であったようです。パンによって肉体的力は獲得できるが、生きる力までは獲得できない。生きる力を得るためには何が必要かを考える会でした。「パン以外に何が必要か」と尋ねると、幼児は「パターやジャムも要る」と答えます。中高生なら、「携帯電話かスマートフォンが要る」となるのではないでしょうか。「パンだけではない」と理屈では分かっていても、大多数の人々の日常は恰も「パンだけのために生きている」かのような呈を示しています。人と人、国と国の争いのほとんどはパンの争奪戦です。パン以上に大切なものがあることを知らない限り、この争いは無くならないし、本当の生きる力も湧き出てきません。イエスさまはそれを「神の口から出る一つ一つの言葉で生きる」(マタイによる福音書4章4節)と言われました。わたしたちをつくり命を与えてくださっている神さまを信じ、信頼することが、最も大切なことなのです。               
 
 
聖句 主に望みをおく人は新たな力を得
   鷲のように翼を張って上る。               
   走っても弱ることなく、歩いても疲れない。       (イザヤ書40章31節)
 

園長 真鍋良則

                              

 わたし達の心の中にはいろいろな思いがうず巻いています。期待や不安、愛情や憎しみ、誇りやねたみ、同情や嫌悪、義憤や欲望などさまざまです。恐らくそれら全てを人前にさらけ出すことは、恥ずかしくもあり惨めでもあり到底出来ません。さらに相手に不愉快な思いをさせないために、心に思っていることを口に出せないことは多々あります。それで時には心にも無いことを言ったり、取り繕ったりするわけです。人間の中で唯一この矛盾がないのは幼子だけです。そこに幼子の魅力、美しさがあります。幼子は心と表情が一致していて矛盾が無いので、目が澄んでいて可愛いのです。大人の目は総て濁っています。大人は心に懐いている思いと表情が異なる場合が多いので、一種の自己分裂の症状を呈していると言えます。イエスさまは「心を入れ替えて子どものようにならなければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイによる福音書18章3節)と言われました。矛盾を抱えている大人が一体どうしたら子どものようになれるのでしょうか。
 わたし達が自分の心の中にあるものを表に出さないように努めても、それは何らかの形となって現れてくるものです。万一他者には気付かれず覆い隠せたとしても、神さまは全てをお見通しです。聖書には「主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる」(詩編139編1~4節)とあります。わたし達は「神さまはご存知である」というこの事実をしっかり心に受け止め、幼子が親に全幅の信頼を寄せてすがりつくように、矛盾を抱えたまま神さまにすがりつく以外に手立てはありません。これが「子どものようになる」ということです。イエスさまの十字架の贖いによって神様の子どもとされる道がわたし達には開かれています。イエスさまは言われました。「あなたがたは悪い者であっても、自分の子どもには、良い贈り物をすることを知っているとすれば、天にいますあなたがたの父はなおさら、求めてくる者に良いものを下さらないことがあろうか。」(マタイによる福音書7章7節)
 多くの人は「人に認知されているか否か」、「人はどう思うか」ばかりを気にして、それが行動の原点になっています。人ではなく、全てをご存知の神さまを第一に意識しなければ、真の心の平安や喜び、さらに生きる力も得られません。「人がどうのこうの」ではなく、神さまを意識して生きる者となることが、神さまの子どもとなることなのです。この基盤の上に構築された人生は壊れやすい砂上の楼閣ではなく、わたし達の肉体の死という嵐にも耐えられる天の楼閣なのです。                  
 
 
聖句 わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、 わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。 
                          (ヨハネによる福音書15章5節)

園長 真鍋良則

                                
 幼稚園も含めて学校の良し悪しを判断する方法はいろいろあるようですが、客観的決め
手となると断定するのは困難です。どの園や学校でも「確たる方針に基づいて教育及び指導をし、生徒(園児)の心身を鍛え向上させます」と謳っています。しかしその成果は目に見えるものとそうでないものがありますので、一般には見えるものの方へ傾きがちです。数字で表わせる進学・就職状況、さらには入賞とか優勝などが脚光を浴びます。それで大半の学校では目に見える成果の方だけに精力を注ぐようになっています。目に見える方は勿論大切ですが、見えない方はその影響が生涯、否永遠にまで及ぶものもありますので、より重視されなければなりません。
 以前NHKのテレビ番組である高校のことが紹介されていました。校内の廊下をオートバイが走り回るような大変荒んだ学校でした。一人の教師の熱意に促され、“One for All, All for One”(一人は皆の為、皆は一人の為)という愛の精神を鼓舞するモットーを掲げ、血のにじむような指導説得を重ねました。それまで全く自己中心的で我が侭一辺倒の生徒の心が替わり、他者を思い遣れるようになりました。目に見えない意欲や協調性の向上が著しく、それに伴って学業成績とか運動部の優勝など目に見える成果も達成されました。そして学校全体が活気に満ちて明るくなりました。
 話は戻りますが、「学校の良し悪しを判断するのに確実性が高いのは、卒業生の愛校心の強さである」と言われています。愛の強さは測定できませんので、それが感じられる形で具現化したもので判断する以外に方法はありません。卒業生の母校に関する文言や供述、母校への訪問者数、卒業生の子や孫の入学(園)数などが考えられます。この点から言えば、養巴幼稚園は決して他園に劣ることはありません。先月のこどもまつりも卒園生で賑やかでしたが、今月のクリスマスにも大勢やって来るでしょう。
 クリスマスと言えば、これこそ正にわたし達に対する神様の愛の強さの具現化です。聖書に「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである」(ヨハネによる福音書3章16節)とあります。 神の独り子なるイエスさまはわたし達の罪を贖うために十字架にかかられました。神様のこの愛に優る愛はこの世に存在しません。年の瀬になると一年間のことがいろいろ頭をよぎります。「本年も悩み苦しみ多かりき」という想いではないでしょうか。私のような高齢者になると「本年も」を「我が生涯」に置き換えられます。この世の闇を貫いて射し込む唯一の光があります。それがクリスマスです。神さまがわたし達に与えてくださっているこの愛を受け入れ、共にクリスマスを喜び祝いましょう。      
 
 
聖句 神が御子を世に遣わされたのは、世を裁くためではなく、御子によって世が救われ
   るためである。                (ヨハネによる福音書3章17節)

園長 真鍋良則

 新年明けましておめでとうございます。2016年がめでたい年となるように願っています。「めでたい」を漢字で書けば、「目出度い」とか「芽出度い」がよく使われます。一つはびっくりして目玉が飛び出すような嬉しいこと、賭けでさいころの都合の良い目がでることなどを期待する言葉です。もう一つは「待てば海路の日よりあり」で、時期が来れば草木の芽が出るように、幸福や成功のチャンスが巡って来るという意味です。いずれも「棚ぼた式」で、思いがけない好運が訪れることをひたすら期待する消極的な態度です。実は漢字の目や芽を使う「めでたい」は当て字で、もともとは「愛でる」から来た言葉のようです。辞書を引くと「愛でる」は「愛する、感動する、ほめる」とあります。愛と感動と称賛ですから、消極的では駄目で、自分の方から積極的に取り組む姿勢が求められます。「愛でる」の反意語は「嫌う」なのでしょうか?そうではなく、むしろ無感動や無関心の方が相応しいように思われます。嫌悪や憎悪の方へ真剣に向かっている人は、説得によって方向転換が可能ですが、無感動及び無関心は一種の死であって、最も克服しがたい状態であると言われています。聖書にもそれを戒める言葉があります。「あなたは、冷たくも熱くもない。むしろ冷たいか熱いか、どちらかであってほしい。熱くも冷たくもなく、なまぬるいので、わたしはあなたを口から吐き出そうとしている。」(ヨハネ黙示録3章15~16節)
 養巴幼稚園の園児たちは虫や小石、葉っぱや小枝などにも感動し、拾ってきます。空き箱などで夢中になって作ったものを自慢顔で見せに来ます。「うわ すごい!」「上手ね!」「頑張ったね!」などの愛でる言葉が園では飛び交っています。園では正月だけではなく、子どもたちが在園中はいつも「愛でたい」のです。「おめでとう」という挨拶の中には愛の字が含まれていることを意識して、お互いに新年の挨拶を進んで交したいものです。

「愛でる」挨拶は正月だけの専売特許ではありません。漫画家のみつはしちかこ氏がある雑誌に載せておられました。彼女が旅行中田舎のバスに乗っておられた時、大変感動されたことが起こりました。バスに乗ってきた学校帰りの生徒達が、家の近くで降りる際、必ず運転手さんに「ありがとう」と声をかけました。運転手さんもそのつど「気をつけて」とか「どうも」とか返されました。バスの中には何とも言えない清々しさと温かさが漂っていたそうです。それ以後彼女は日頃言いそびれていた「ありがとう」を素直に口に出すように努められました。「相手に喜ばれるだけではなく、自分も晴れやかな安堵感に満たされるし、人見知りの私にもいつのまにか友達がいっぱい増えてきた」と書いておられました。                                

 
 
聖句 自分の兄弟にだけ挨拶したところで、どんな優れたことをしたことになろうか。異邦人でさえ、同じことをしているではないか。だから、あなたの天の父が完全であられるように、あなたがたも完全な者となりなさい。
                        (マタイによる福音書5章47~48節)

園長 真鍋良則

                               
 学校に勤務していた頃、2月に修学旅行を引率して沖縄に何度か行きました。先の大戦中、沖縄は日本国内で唯一地上戦が行われた所です。住民はそれに巻き込まれ空前絶後の悲惨な体験を強いられました。住民にとって米軍は勿論怖い敵でしたけど、日本兵は米兵以上に恐ろしい存在だったようです。ガマ(洞)の中に隠れている時、米軍からの投降の呼びかけに応じて外へ出ようとすると、日本兵は背後から住民を射殺しました。沖縄戦は90日余りの死闘で、日米双方で20万余の犠牲者を出しましたが、その12万余は沖縄住民でした。兵隊は勿論住民も捕虜になることは許されませんでした。それで多数の方が崖から身を投げるか、家族どうし命を絶ちました。
 宮城喜久子という方の体験談を聞きました。彼女はガマの中にある軍の野戦病院に動員されたひめゆり学徒隊の一員でした。彼女は爆風で気絶し、米軍に収容されました。「もし気を失っていなかったら、渡されていた青酸カリ又は手榴弾で自決していたでしょう」と言っておられました。彼女は手当てしてくれる米軍の医療班の人達に最初心を開きませんでした。相手を鬼と思い込んでいたからです。ところが、相手は心から彼女の命のことを心配してくれていることが次第に分かってきました。栄養失調で体力も無かったのが、リンゲル注射のお蔭で顔に少し赤みが増すと、皆が拍手して喜んでくれました。もしこれが逆の立場だったら、どうなるだろうかという思いが一瞬頭に浮かびました。日本人だったら例え物質的に余裕があっても、これ程の親切を示すことはとても出来ないと思ったそうです。
 以前テレビのドキュメンタリ番組で見た捕虜になった日本兵の体験を紹介します。彼は東南アジアの戦場に派遣され、そこで米軍の捕虜になりました。彼は誇り高い日本兵として捕虜になるという屈辱に耐えられませんでした。拷問を受けて殺されても仕方ないと覚悟しました。ところが捕虜に対する扱いが日本軍と全く違うことに気付きました。特に収容所で働いている一人の若い女性が示す親切な振る舞いに感動しました。同時にその親切が不可解でもありました。それで「貴女はどうしてわたしのような敵に親切にしてくださるのですか」と尋ねました。彼女は身の上話をしてくれました。彼女の両親はキリスト教の宣教師として日本で働いていましたが、スパイとして捕えられ処刑されました。処刑の直前に両親が静かに聖書を読み、そして祈ったということを彼女は人づてに聞きました。それで彼女は遺品として残っている聖書をめくり丹念に調べて、両親が読んで祈った箇所を見つけました。それはイエスさまが十字架につけられ処刑されているところです。イエスさまは断末摩の苦しみの中にあって、自分に敵対する者達のために神さまに祈られました。(下記聖句) 彼女は両親の遺志を継ぐ者になろうと決心したということでした。捕虜となった日本兵はこれを聞いて「負けた」と思いました。彼は戦況が不利になっても「日本は絶対に負けるもんか」と思っていたそうですが、一人のアメリカ人女性の言動に完全に打ちのめされました。彼は戦後クリスチャンとなり、牧師として活躍されました。
                                  
 
聖句 父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。
(ルカによる福音書23章34節)

園長 真鍋良則

 
                                
 下記の聖句は、生きる力と心の平安や慰めを与えてくれる言葉です。学校に勤務していた時、卒業式でこの箇所をよく引用して話したことを覚えています。「この卒業式が最後のチャンスで、この生徒達に次に話す機会が訪れることは無いだろう」と思うと、普段のチャペルより感慨深いものがありました。生徒の心に刻んで欲しいと願った聖句はいろいろありましたが、この箇所はその心髄です。
 これはダビデの詩です。竪琴の名手だったことと、ペリシテ人の戦士ゴリアテと一騎打ちをして勝ったことがサウル王に認められ、ダビデは臣下に取り立てられました。出世に出世を重ね、ついにイスラエルの王にまで上りつめました。しかし生涯さまざまな困難や危機を潜り抜けていかなければなりませんでした。民の心がダビデに傾くのを嫉妬したサウル王から命を狙われたこともありました。王になった後も周辺の国々から攻められ、それに対抗しなければなりませんでした。さらに、一目惚れした人妻バテシバを自分のものにするために、その夫ウリヤを戦いの激しい最前線に送り出し、戦死させるという卑劣極まりないことまでやってしまいました。その為に神さまの厳しい怒りを買うことになりました。この時がダビデの最大の危機でした。もしダビデが自分の罪を認めず、悔い改めず、そして赦しを請い願わなかったなら、ダビデの人生はそこまでだったでしょう。しかしダビデがその時取った態度はその逆でした。神さまの懲らしめ鞭打ちを受け、打ちひしがれ、息絶え絶えになりながらも神さまに必死に赦しを求めました。「神よ、わたしを憐れんでください。御慈しみをもって、深い御憐れみをもって、背きの罪をぬぐってください。わたしの咎をことごとく洗い、罪から清めてください。」(詩編51編3~4節)と祈りました。
 ダビデは晩年になっても息子アブサロムの反逆に遭い、エルサレムから逃げ出したこともありました。ダビデの生涯は波乱万丈でした。ダビデの偉大さは、琴の名手であったとか強固な統一国家を築いたということよりも、彼が神さまに対して絶対的な信頼を生涯貫き通したことにあります。彼の王国は後に分裂し、やがて消滅してしまいましたが、彼の生き方はわたし達に大きな教訓・示唆を与え続けています。ダビデは順境の時も逆境の時も「主はわが牧者なり」という姿勢を崩しませんでした。それは丁度幼児が母親に全幅の信頼を寄せるのと同じです。親から折檻されても、幼児は親にしがみついていきます。神さまからわたし達が受ける鞭や杖も、それはわたし達を立ち直らせるためなのです。人生は「死の陰の谷を歩む」旅ですが、主がわたし達と共にいてくださるので、恐れず希望を持って行けるのです。                        
 
 
聖句 主はわたしの牧者であって わたしには乏しいことがない。
主はわたしを緑の牧場に伏させ 憩いのみぎわに伴われる。
主はわたしの魂を生き返らせ 御名のためにわたしを正しい道に導かれる。
たといわたしは死の陰の谷を歩むとも 災いを恐れません。
あなたがわたしと共におられるからです。
あなたの鞭と、あなたの杖はわたしを慰めます。   (詩篇23篇1~4節口語訳) 

 

2014年度

                                 園長  真鍋良則

 養巴幼稚園の保育方針や園則などには「個性を伸ばす」とか「自主性を重んじる」という言葉が目に付きます。作家の曽野綾子氏は「魂の自由人」の中で「自分を磨き、目立て」と言っておられます。これは養巴の方針と一脈相通ずる言葉です。氏は日本人の欠点である仲間と同じような格好をしたがる傾向、仲間と同じものを所有したがる傾向を「人並み試行」と呼び、「それは人々の心を縛って自由に生きられなくしてしまう」と警告されています。ほとんどの幼稚園で制服があるのに養巴に無いのは、一律志向を避けて個性を伸ばしたいという願望の表れでもあります。わたしは自分が生徒であった時も制服が大嫌いでしたが、学校の教師として勤務した40数年間も一貫して制服廃止を訴えました。制服によって個人の特徴を見えなくする没個性化は、教育が目指さなければならない本質に反している、と思ったからです。しかし、生徒指導がやり難くなり、非行が増えるという教師側の主張と、どんな服を着せるか毎日頭を悩ますことになるという保護者の意見もあって、実現しませんでした。
 
 優越感や劣等感、僻み根性や蔑視根性から解放され、物事に素直に感動し、他者とも偏見なく付き合えるようになりたいものです。そして、自分自身を他者と比較して一喜一憂するような状態から解放したいものです。「その為には個性や特技を磨き、目立ち認められるように励む必要がある」と曽野綾子氏は主張されています。氏は50歳の頃、友人たちと40日間に及ぶ8000㎞サハラ砂漠横断の旅をされました。そしてこの体験から次のようなことを述べておられます。
 
 「一旦走り出したら途中で解散するわけにもいかず、最後まで付き合わざるを得ないので、どういう人をメンバーに選ぶかが重要です。選考の条件は唯一つだけで、『メンバーは必ず専門職を持っている人でなければならない』ということでした。専門を持っている人は、専門以外のことは知った振りをしないで、謙虚に人に教わり、自分の感動できる分野を拡げていく柔軟性ができている。このことは短期の一緒の旅だけでなく、人生の航海でも同じです。」
 
 専門と言えば、「自分が授かった賜物を最大限伸ばす」ということが大切ですが、幼児期は伸ばすというよりは、自分が授かったものを探す段階です。親の早合点は禁物です。親の早合点のために子どもが回り道をしなければならなくなった例や、子どもの人生を台無しにした例は枚挙に暇がありません。
 
 
 
 
 
 
 
聖句 (ペテロの手紙一 4章10節)
   あなたがたはそれぞれ、賜物を授かっているのですから、神のさまざまな恵みの
 
    善い管理者として、その賜物を生かして互いに仕えなさい。
 
 
 

                                 園長  真鍋良則

 
 
 
 
毎年3月の卒園式の頃に思うことがですが、人生は園児の時が一番楽しく喜びの絶頂期と言えます。それ以降の人生行路は、回避することが困難な試練の連続です。「遊び楽しみは遠くにありて想うもの」となってしまいます。十字架の受難を目前にして、イエス様は「あなたがたには世で苦難がある。しかし勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている」(ヨハネによる福音書16章33節)と言って、弟子たちを励まされました。
 
 私は長年学校勤務で生徒と係わってきましたので、試練といえば、受験とそれに続く就学や就労などを直ぐに連想してしまいます。最近「大卒の15000人、手に職を求めて専門学校へ」という新聞記事を見ました。大学を出ても就職難は相変わらずのようです。受験と言えば、私は毎年3月末には週刊誌を買って、母校の有名大学への合格者数を調べて、一喜一憂しています。今年3月、数名の養巴幼稚園卒園生が超難関大学に合格したことを聞き喜びました。養巴には卒園生が懐かしがって度々訪ねて来ますので、大学合格の情報も入手できました。高校ならば、難関大学への合格者数でランク付けされ、それが即高校の宣伝になります。私が「養巴もこれを宣伝材料に・・・」と冗談半分に言いかけると、他の教師から「このことを園だよりに載せたらダメですよ!」と言われました。しかし、受験という試練に耐え、見事に希望の大学に進学した卒園生の言葉をこの紙面で紹介しないではいられません。
 
養巴幼稚園が目指してきた教育の本質を言い当てているからです。
 
 彼女は幼稚園時代のことを聞かれるといつも、「私は幼稚園の時に一生分遊んだ!」と言っているそうです。在園中、いつも動物になりきり、鳴き声や動きを真似て、空想の世界で夢中になって遊んでいたという幸せな記憶が、その後の試練を乗り越える心の糧となっているならば、こんなに嬉しいことはありません。
 
 
 
 
聖句 (コリントの信徒への手紙一 10章13節)
 神は真実な方です。あなたがたを耐えられないような試練に遭わせることはなさらず、
 
  試練と共に、それに耐えられるよう、逃れる道をも備えていて下さいます。

                                 園長  真鍋良則

 
 
 
 今年の4月号で紹介した曽野綾子氏の著書、「魂の自由人」の中に、あるインド人の神父の「自由とは、したいことをすることではない。するべきことをすることです」という言葉があります。するべきことが出来れば問題はありませんが、人は出来ませんので、自由ではないということになります。人間のあらゆる悩み、争い、矛盾、葛藤は、するべきことが出来ないから生じます。パウロは儘ならぬ我が身のことを次のように嘆いています。「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎んでいることをするからです。もし、望まないことを行っているとすれば、律法を善いものとして認めているわけになります。そして、そういうことを行っているのは、もはやわたしではなく、わたしの中に住んでいる罪なのです。わたしは、自分の内には、つまりわたしの肉には善が住んでいないことを知っています。善をなそうという意志はありますが、それを実行できないからです。」(ローマ7:15~18)
 
 これはパウロだけに特有の欠点ではありません。総ての人間に例外なく当てはまる欠点です。聖書には、「罪の奴隷」という言葉で、この人間の惨めな状態を表現しています。わたしたち人間は皆病んでいるのです。ところが、自分が病人であると自覚している者は少数です。肉体が病んでいる場合は、痛みや発熱などの自覚症状で分かるのですが、心が病んでいることには気付き難いのです。「汝自らを知れ」という有名な言葉があります。ソクラテスはこの語を自らの行動上の標語にしていたそうです。しかしながら、「あなたは、兄弟の目にあるおが屑は見えるのに、なぜ自分の目の中の丸太に気づかないのか」(マタイ7:3)と、イエスさまが指摘されているように、自力で「自らを知る」ことは非常に困難なのです。
 
 イエスさまは、「医者を必要とするのは、健康な人ではなく病人である。わたしが来たのは、正しい人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」(ルカ5:31~32)と言われました。わたしたちは心が病んでいると気付いたら、すぐに神さまから遣わされた名医であるイエスさまに診てもらいましょう。イエスさまは、「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう」(マタイ11:28)と招いておられます。「休ませてあげよう」とは、わたしたちの心をさまざまな束縛や呪縛から解放して自由にしてくださるという意味です。自分の心の中にある欲望、不純な考え、優越感、劣等感、偏見、蔑視などからわたしたちは人間の力だけでは逃れることはできません。太古から今日に至るまでの人類の歴史を顧みれば、このことは明らかです。
 
 
 
 
 
 
 
聖句 (ヨハネによる福音書8章34節~36節)
イエスはお答えになった。「はっきり言っておく。罪を犯す者はだれでも罪の奴隷である。奴隷は家にいつまでもいるわけにはいかないが、子はいつまでもいる。だから、もし子があなたがたを自由にすれば、あなたがたは本当に自由になる。」
 

                                 園長  真鍋良則

 
 
 
 10年くらい前「天国への凱旋門」という本と出合いました。新保満という人の若い頃を
 
描写した伝記です。彼のお父さんが戦前から満州鉄道の仕事をされていたので、彼は少年期を中国で過ごしました。敗戦の時(1945年)は14歳で、両親と姉妹の5人家族で満州の奉天に住んでいました。ソ連軍が国境を越えて怒涛のように侵入して来ました。ソ連兵による略奪、強盗、殺人は手当たり次第の感があったそうです。さらに日本人町は中国人の暴徒に
 
も襲われるようになりました。日本は満州を植民地とし、中国人に対して横柄な態度を取っていました。物資不足時に日本人には米や麦が配給されても、中国人には大豆粕しか配給されませんでした。大豆粕は人間の食料ではなく、豚に食べさせる飼料又は穀物や野菜を育てる肥料でした。中国人から憎まれ報復されても仕方ないことでした。日本は「五族協和」を唱え、アジアに進出したのですが、それが単なるお題目に過ぎなかったことが、この配給のことからも窺えます。
 
 敗戦直後の混乱期、断末魔の悲鳴があちこちから聞こえる、まさに地獄絵の真っ只中、新保家の父親が発疹チフスで亡くなりました。引き揚げの途中、多くの子どもが孤児となり、さらに栄養失調で亡くなりました。父親を欠いた新保家は着の身着のままの姿で、1946年7月24日博多に上陸しました。福岡では初めは親戚筋を転々としました。やがて満鉄の知人だった人にお願いして、その家の屋根のひさしと隣家の塀との間にトタン板を渡して、3畳ほどのスペースを作り、そこに落ち着くことになりました。一家はそこで数年過ごしました。当時の福岡では戦災で焼け出された人や引き揚げ者が、土管に住んだり、橋の下に小屋を建てたりしていました。雨露さえしのげれば上々でした。新保家の生活はお母さんが雑貨を商って、その収入で生計を立てていました。ある時、ついに収入が途絶えてしまいました。「どう、あんた達、お母さんと一緒に死んでくれる」と引きつった顔に笑みを浮かべて言われたそうです。16歳だった新保満氏は、まだ死にたくなかったので、「あと3日だけ待ってみようよ。それでどうにもならなかったら、その時はみんな一緒に死のう」と答えました。お母さんは同意されました。その後何かと収入の道が開け、一家心中は免れました。
 
 その後間もなく、新保満氏は修猷館に入学し、これからは英語が絶対に必要になると思い、バイブルクラスに通うようになりました。やがて聖書の背後にある強い力に気付き、1948年(17歳の時)福岡中部教会の大野寛一郎牧師から洗礼を受け、クリスチャンとなりました。彼は地獄の辛酸をなめてきたのに、「天国への凱旋門」という表題にしている訳がわかりました。洗礼は御国の世継ぎとなることを意味するからです。
 
 
 
 
聖句(コロサイの信徒への手紙3章23節~24節)
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように心から行いなさい。
あなたがたは、御国を受け継ぐという報いを主から受けることを知っています。
 

 

園長 真鍋良則

先月号で紹介した新保満氏の伝記の中に、彼の尽力のお蔭で目覚め、「天国への凱旋門」を潜って行かれたSという人物が記されています。新保満とSは満州奉天の小学校の同級生でした。Sは敗戦の混乱の中で両親と妹を亡くし、2人の弟を連れて日本へ引き揚げて来ました。一時伯父を頼って身を寄せていました。しかし間もなく世の冷酷無常に耐えられず、知らず知らずのうちに自暴自棄になり、罪に罪を重ねるようになっていました。満とSが福岡で偶然出合ったのは、小学校卒業後8年振りで、2人とも20歳になっていました。引き揚げ時の苦労話などを公園の芝生に寝ころんでし、再会を約束して別れました。その年(1951年)の夏以降、満は新聞紙上でSの名前を2~3回見ることになりました。最初は「殺人を屁とも思わぬ青年」という見出しで、強盗殺人容疑者、無職Sを逮捕した、という記事でした。数か月後には「2人を絞殺し、金品を強奪した罪でSに求刑通り死刑の判決」と載りました。
新保満はショックを受け、「もはや手の施しようはない。自分に出る幕はない」と思いました。しかし、母の勧めもあって、満は収監されているSに会いに行くことにしました。Sのために聖書を差し入れ、拘置所でSに面会し、次のように言いました。「君は人間の法によって裁かれ、死刑となったのは仕方がない。けれども、もう一つ大事な法があるんだ。それは神の法だ。もし君が本当に神を信じるなら、必ず君を救ってくださると思うよ。」
満はSの求めに応じて、お金やいろいろな物品を差し入れしました。その為にはバスや電車賃さえも節約し、いろいろ工夫して倹約しなければなりませんでした。一方Sは、表面的には満に感謝しているように見せかけていましたが、囚人仲間には次のようなことを言っていたそうです。「馬鹿な奴だったら俺は知っているぜ。俺の同級生で、自分は真面目なクリスチャンだと自惚れているんだ。奴は毎日のように、クソ面白くもない手紙をよこす。ただ一つだけ、いいことがあるんだ。そいつに無心すると、必ず送ってくれるんだ。」
死刑判決からほぼ一年後、Sの心に変化が生じました。彼は手紙に書いています。「大罪を犯してしまった自分のような者でも神様赦してくださり、救って下さることにやっと気付きました。神の御手が滅びゆくわたしに差し伸べられたことは、何とわたしは幸福者でしょう。」彼は獄中で福岡中部教会の大野寛一郎牧師により洗礼を受けて、全く生まれ変わりました。彼を避けていた弟や伯父叔母も面会に来られるようになりました。1953年、死刑判決から2年後、刑が執行されました。処刑に立ち会った役人は次のように語りました。
「死刑囚の処刑には今まで何度も立ち会っていますが、Sさんほど平静で落ち着いた人は経験したことがありません。何とも言えない不思議な思いです。」
 
聖句(テモテへの手紙4章18節)
主はわたしをすべての悪い業から助け出し、
天にある御自分の国へ救い入れてくださいます。

 

園長 真鍋良則

日本に来た外国人が、「日本はキリスト教国ではないか?」と思うことが2つあります。1つは、12月に目に付くクリスマスデコレーションです。繁華街は飾りで彩られ、クリスマスソングが鳴り響いています。さらに、住宅地でも華やかなクリスマスイルミネーションで被われた家に目を奪われます。もう1つは、クロス(十字架)のネックレスです。多くの人が身につけていますので、「日本にはクリスチャンが結構いるではないか?」と誤解されています。
神の独り子は光り輝く宮殿ではなく、薄暗くて悪臭満つ家畜小屋の中でお生まれになりました。誕生の瞬間からイエスさまには苦難(十字架)の道が暗示されています。悪臭を放つ暗闇は、我欲の塊で希望を見出せないわたしたち人間の姿です。さらに、平和への道を失って、憎み争いに明け暮れているわたしたち人類の姿なのです。神さまはわたしたちをその根底から救うために、イエスさまをこの闇の世に遣わされました。誕生→十字架→死→復活のイエスさまの生涯は、人類史上最大の出来事です。わたしたちを罪の縄目から解き放ち、さらに、わたしたちの最大の敵である死をも滅ぼされたからです。
イエスさまが誕生された西暦元年より1000年以上前に、イエスさまの苦難のことが聖書に予言されています。
彼が担ったのはわたしたちの病
彼が負ったのはわたしたちの痛みであった
彼が刺し貫かれたのはわたしたちの背きのためであり
彼が打ち砕かれたのはわたしたちの咎のためであった
彼の受けた懲らしめによってわたしたちに平和が与えられ
彼の受けた傷によってわたしたちは癒された  (イザヤ書53章)
上記下線部の「平和」については、自然界をも含めた完全平和が聖書に予言されています。
狼は子羊と共に宿り 豹は子山羊と共に伏す
子牛は若獅子と共に育ち 小さい子供がそれらを導く
牛も熊も共に草をはみ その子らは共に伏し
獅子も牛もひとしく干し草を食らう
乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ 幼子は蝮の巣に手を入れる
わたしの聖なる山においては何ものも害を加えず 滅ぼすこともない
水が海を覆っているように 大地は主を知る知識で満たされる  (イザヤ書11章)
上記下線部の「癒し」「死」については、この上ない恵みが聖書に予言されています。
神は自ら人と共にいて、その神となり、彼の目の涙をことごとくぬぐい取ってくださる。もはや死はなく、もはや悲しみも嘆きも苦労もない。 (ヨハネの黙示録21章)
 
 
聖句(ヨハネの手紙一 4章10節)
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を贖ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。

 

園長 真鍋良則

最近、公園や空き地で子どもたちが一緒に遊んでいる光景を目にすることが少なくなりました。子どもを取り巻く環境が以前と比べて大きく変化したからでしょう。交通事故や不審者による傷害などは、外遊びをためらわせる外的要因ですが、内的要因もいろいろ考えられます。お稽古ごとや塾通いなどで忙しい子どもが増えました。さらに、親も忙しくなって、子どもの遊びに付き添う暇が無いことが、結果的には子どもを屋内に閉じ込めることになっているようです。屋内の遊びは創造的ものというよりは、ともすればテレビやゲーム等の受動的なものになりがちです。子どものエネルギーは、室内だけでは納まりきれません。屋内での独り遊びでは、社会性は身に付かず、情緒安定にも繋がりません。さらに、均整の取れた五感(視・聴・嗅・味・触)の発達や生きる力の涵養にもあまり寄与しません。屋外で仲間と一緒に自由奔放に遊ぶことが幼児期にはとても重要です。その場合大人が「危ない」とか「駄目」と言い過ぎると、子どもは委縮してしまい、挑戦意欲を消滅してしまう虞があります。ほんとうに危険なことは注意しなければなりませんが、大人は出来るだけ我慢して見守る必要があります。子どもがやりたいとことを思う存分伸び伸びと出来る機会や雰囲気を提供することが肝心です。子どもの成長に必要なのはワクワク、ドキドキ感の積み重ねです。日常生活の中で掃除や片付け、手伝いや買い物なども家族のちょっとした気配りによって、一種の遊びになればしめたものです。幼児期にたくさん遊んだ子どもほど人生を豊かにする能力が身に付くからです。
ある雑誌に掲載されていたのですが、国立青少年教育振興機構の調査によると、青少年のうち自然体験を行っている者は、そうでない者と比べて次の①~③の項目についてかなり肯定的な回答をしたと報告されていました。
①困ったときでも物事を前向きに取り組むか否か?
②分からないことはそのままにしないで調べるか否か?
③自分は勉強が得意な方だと思うか否か?
幼児期は「自然体験」という大げさな表現ではなく、「外遊び」で十分です。ヨーロッパのどの国か忘れましたが、樹木が茂っている戸外で子どもたちを伸び伸びと遊ばせることを主体にしている幼稚園が以前テレビで紹介されていました。環境も方針も養巴に似ていると思って意を強くしたことを覚えています。大人が教育するというよりは、子どもたちが自主的に存分に遊び、自ら体験して学ぶ場が必要です。
 
 
聖句(マルコによる福音書4章8節)
ほかの種はよい土地に落ち、芽生え、育って実を結び、あるものは三十倍、あるものは六十倍、あるものは百倍にもなった。

 

園長 真鍋良則

 
大分以前のことですが、ドイツの田舎を旅したことがあります。ドイツの村々は教会を中心としてまとまりと調和があり、家々の出窓には鉢植えのゼラニウムが咲き、絵に描いたような美しさが感じられました。個々の民家を比較すれば、日本の家屋が見劣りすることは決してないのですが、村や町としての全体の美観はドイツの方がはるかに優れていると思いました。日本人は個体には美的感覚を充分に発揮出来ますが、他とのつながりや調和が求められる全体的なものに対しては、お手上げのようです。日本の街並みで周囲と調和せず、違和感を覚えるものの筆頭は、野外広告と電柱及び電線です。特に野放図でけばけばしい広告の氾濫は、不快指数も頂点に達し、正に日本の恥です。
 
湿度の高い気候のせいもあって、日本では履物を脱いで室内に入ります。この習慣が外と内とを峻別する傾向を増長させてきたのではないでしょうか。外の汚れが自分の家の内には及ばないので、外に対しては無関心になり易いのでしょう。言うまでも無いことですが、「自分のところだけ清潔で美しければ良い」という発想では、人に感動を与えるような真の美しさは達成できません。
 
宝石のように個体として美しさを発揮できるものもありますが、それでも置かれている場所や身に付けている人との絡みで、宝石の輝きも違ってきます。人の美しさも同様です。外観だけでは美しさは出てきません。人の口から発せられる言葉や何気ない振る舞い及び態度、さらにはその人が関心を抱いている事などによっても美醜が決まります。朝からパチンコ店に出入りする人からは醜さ以外は何にも感じられないのではないでしょうか。
 
人の美しさは、その人が専念しているものからほとばしるものです。わたしは以前、学校勤務で生徒相手の仕事をしていました。さて、生徒としての美しさは、将来に備えて真剣に自己を鍛えている姿です。しかし、他者のことは全く念頭になく、ただ自分の利益だけを目指して励む姿からは、美しさを感じることはなく、感動を覚えることもありませんでした。表面的には立派に見えても、内側が汚いからです。それは聖書に記されている「白く塗った墓」を連想させます。他者や社会に対しても思いを馳せ、自分として寄与できること、即ち全体の益をも念頭に置くべきです。
 
まだ舌もよく回らないような幼児が、手を合わせ、目を閉じて、「神さま、ごはんありがとうございます」と言って、食前のお祈りをしている姿、神さまに思いを馳せている姿には無上の美しさがあります。
 
 
聖句(マタイによる福音書23章27節)
律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。

 

園長 真鍋良則

2011年3月11日に発生した東日本大震災は千年に一度と言われる大災害でした。それ以降防災への関心が高まり、幼稚園でも火災や地震に備えて避難訓練を度々するようになりました。地震、風害、水害、雪害などを想定して、建物や公共施設などは出来るだけそれらに耐えられるように設計され、施工されなければなりません。さらに、災害発生時には、適切に動いて避難することが求められます。しかしながら、天災に関しては、その発生を止めることは出来ません。「人智の及ぶところではない」という言葉通りで、過ぎ去るのをじっと我慢して待つ以外に手立てはありません。4年前、東日本を襲った地震と津波は正にそうでした。被災された方々は茫然自失の状態で為す術なしでした。しかし、それに付随して起こった原子力発電所崩壊による被害は、人災であったと言わざるを得ません。発電所は地震や津波に対する備えが全く不充分でした。その為に広範囲な地域が放射能に汚染されてしまいました。
私は10歳まで博多湾に浮かぶ能古島に住んでいました。物心が付く頃は太平洋戦争の真っ最中でした。空襲警報が出ている時は防空壕に入れられました。ある夜壕で寝ていた時、突然起こされ、外に連れ出されました。そして対岸の福岡市が一面火の海となってさかんに燃えている様子を見せられました。これは空襲によるものでしたので、天災ではなく、人災です。福岡大空襲の光景は今でも私の脳裏に焼きついています。恐らく親は、幼い私に戦争の悲惨さを印象付けようとしたのだと思います。戦争は人災の最たるものです。災害の中では人災によるものの方が天災によるものより、人命などの被害が遥かに大きいのではないでしょうか。能古島は小さな島ですが、古代には防人が配置されていたことからも、防災の島でした。その防人の歌が万葉集に載っている程の由緒ある島です。鎌倉時代に元寇によって博多湾一帯が侵された時、能古島のみが被害に遭わず、生き残ったので、以前は「残島」という漢字が充てられいました。福岡大空襲の時も幸い焼夷弾が一個も落とされず無事でした。しかしこれはたまたまの幸運だったと言えるでしょう。
人類が人災によって滅亡せず、生き残っていくためには、人災そのものを減らし、最終的には人災を消滅させなければなりません。これが人類の究極の目標なのに、日本を含め世界の国々の現状は逆の方向に進み、敵愾心ばかりが膨らんでいるようで残念です。政治、経済、教育などのあらゆる分野で、平和を追求しなければなりません。
 
 
聖句(詩編46篇9節~10節)
主の成し遂げられることを仰ぎ見よう。主はこの地を圧倒される。
地の果てまで、戦いを断ち弓を砕き槍を折り、盾を焼き払われる。

 
 
 
 

2013年度

 

園長  真鍋良則

 
 
 数ヶ月前、子育てに関することわざを新聞紙上で見ました。「3つ叱って5つ誉め7つ教えて子は育つ」というわたしにとって初耳の俗諺でした。丁度七五三 を祝う頃に発行された朝日新聞の天声人語欄だったと思います。「子どもの心の成長発達に無関心で何の配慮もしないと、子どもはまともに育ちません。そうな ると節目の年齢を祝うどころではありませんよ」という忠告の記事のようでした。
 
 上記の「叱って・誉めて・教える」の3部門の中で、わたしたちが殊更意識しなくても、すぐ口から出てくるのは叱責の言葉です。その3部門の言葉の中で叱 責が占める割合は一番低く5分の1となっていますが、現実はどうでしょうか。恐らく2分の1を優に超えて最多ではないかと思われます。いつも親から叱られ てばかりいる子どもは、落ち着きがなく自己否定感が強くなると言われています。独り善がりで協調性に欠ける性格になり勝ちです。わたしたちは叱り過ぎない ように我慢することも肝要です。
 
 しかし、「これを放置しておくと癖になって本人の為に良くない」と思われることに対しては、厳しく叱るべきです。その最たるものの一つが嘘をつくことで す。たとえどんなに小さく些細な嘘であっても見逃すべきではありません。とことん諌め、そして教えて改めさせなければなりません。「人を騙して得をする」 という思いが社会悪の根源ですから、幼児期にその思いを断ち切る必要があります。しかしながら「騙すに手無し」という言葉があるように、騙しに対しては防 ぐ手段がありません。「人を騙すことは可能であっても、神さまを騙すことは絶対に不可能である」ということを徹底的に教える必要があります。養巴では毎朝 礼拝をしています。それは「わたしたちの総てをいつも見守っておられる全知全能の神さまが居られる」ということを知って欲しいからです。さらに、「嘘をつ くことは自分を偽ることですから、自己分裂を生じさせ、心が病み、心に平安が訪れない」ということも教えなければなりません。心身の健康、安全、他者への 思いやり等、教えることは山ほどあります。
 
 最後は誉めることですが、誉められると脳の機能が活性化し、心身の発達にプラスに作用します。回数的には叱りの2倍くらい多く誉めなければなりません。 叱りの材料見つけには全く苦労しないのに、誉め材料探しにはかなりの精力を注ぐことになります。「誉め殺す」という凄い言葉もありますので、甘やかし過ぎ て子どもを駄目にしてはいけませんが、たまには「誉めそやす」くらいまでは頑張ってもいいのではないでしょうか。
 
 
 
 
聖句
 
主よ、あなたはわたしを究め、わたしを知っておられる。
 
座るのも立つのも知り、遠くからわたしの計らいを悟っておられる。
 
歩くのも伏すのも見分け、わたしの道にことごとく通じておられる。
 
わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに、主よ、あなたはすべてを知っておられる。
 
(詩編139章1節~4節)

 

園長  真鍋良則

 
 
養巴幼稚園は1928年(昭和3年)に設立されましたので、今年創立85周年を迎えます。
 
それで昨年落成した新園舎の記念をも兼ねて、養巴幼稚園創立85周年記念誌が刊行されました。その本の1頁に、「はっきり言っておく。子供のようにならな ければ、決して天の国に入ることはできない」(マタイによる福音書18章3節)というイエスさまの言葉を載せています。以前の聖書では「子供」ではなく 「幼な子」又は「幼児」という字が充てられていました。学校で長年勤務してきたわたしの経験から言えば、「幼な子(幼児)」の方が相応しい気がします。
 
大人が子供のようになるとは、具体的にどうなることなのでしょうか?聖書(創世記2章~3章)には、アダムとエバのことが記されています。「二人とも裸で あったが、恥ずかしがりはしなかった」とあります。最初の人は幼な子のように、無邪気で羞恥心もありませんでした。ところが、神さまの命令に背き、禁断の 木の実を食べた途端、人格が一変してしまいました。「二人の目は開け、自分たちが裸であることを知り、二人はいちじくの葉をつづり合わせ、腰を覆うものと した。・・・・主なる神の顔を避けて、園の木の間に隠れた」とあります。
 
わたしたちは禁断の木の実を食べた後のアダムとエバの末裔です。食べる前の無垢な状態に戻ることはできません。無垢以外の幼児の顕著な特徴としては、保護 者への100%依存があります。衣食住などの物質的なものは勿論のこと、安全・安心・安穏、平静・平穏・平安などの目に見えない幼児の内面も全面的に親に 依存しています。幼な子が親に寄り添い、万事頼るように、わたしたちは神さまに全幅の信頼を置き、神さまに従順でなければなりません。子供が親にねだるよ うに、自分の希望や願いを率直に訴え、その実現を希求しても良いのです。さらに、わたしたちの苦しみや悩みを告白して、その解消を願うことが出来るので す。総てのことに関して、わたしたちを導き支えて、守って下さるように祈り求めることが出来るのです。わたしたちは何時如何なる場合にも、神さまに対し 「天のお父さま」と呼びかけることが許されています。神さまとわたしたちは、地上の親と幼児のような関係ですが、それよりは質的に遥かにすばらしいもので す。時間的にも空間的にも限定されず、永遠に繋がる絆です。この絆はイエスさまによって結び合わされています。
 
 
 
 
聖句 (ヨハネによる福音書15章5節)
 
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。

 

園長 真鍋良則

 
 
最近亡くなられたウクレレ漫談の牧伸二が以前次のような父親と息子の対談形式の詩を歌っていました。
 
父:息子よ、寝てばかりいないで勉強しろ        子:何のために勉強するんだ
 
父:いい成績をとって、いい大学に入るためだ     子:何のためいい大学に入るんだ
 
父:いい会社に入って、高い給料が貰えるぞ      子:高給とって何のいいことがあるんだ
 
父:人生をゆっくり寝て過ごせるんだ           子:俺は最初から寝てるじゃないか
 
父:あーあーあーやんなっちゃった、あーあーあー驚いた
 
 この歌が流行っていた頃、わたしは授業中居眠りばかりする生徒を見つけると、「君も人生の目標に到達したようだね」と皮肉っていました。「寝て過ごす」 と言えば、以前新聞に載ったサラリーマン川柳の当選作を思い出します。                  まだ寝てる 帰ってみれば もう寝てる      (詠み人 夫)
 
「ゆっくり寝て過ごす」という目標を達成した妻の姿を夫が苦々しく思っています。その逆襲として次の句もありました。                  粗大ゴミ 毎朝出すのに 夜もどる       (詠み人 妻)
 
粗大ゴミになることを目標に人生を歩む人はいないでしょうが、高齢になるにつれ粗大ゴミはわたしにとっても身につまされる言葉となってきました。
 
 小学1年生が作った次のような詩があります。
 
せんせい にんげんは なんのためにいきているのですか   ぼくは たっぷりあそんで たのしむためだとおもいます   せんせいはどうおもいますか
 
この生徒の「たっぷり楽しむために生きる」という考えは、まんざら間違いではないと思います。「楽しむため」を「喜ぶため」とすれば、すべての年齢層に当 てはまるからです。小学生以下の子どもにとっては遊びが喜びですが、中高大生はそうであっては駄目で、自分を鍛え磨くことに喜びを見出さなければなりませ ん。さらに壮年者は仕事や職業を通して家族や人々に仕え、他者や社会に貢献しているという喜びに生かされるのです。老人の喜びは、これこそ「寝て過ごす」 ような平穏な日々と希望に満ちた来世です。ドイツの哲学者ハイデガーは、「人間は死すべき者であり、従って死の理解なくして人間の生の理解はありえない」 と語っています。喜びが死で途切れずに、来世へ繋がっていく人生を目標にしましょう。
 
 
 
 
聖句  (詩編100篇1節~2節)
 
全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ。
 
喜び祝い、主に仕え
 
喜び歌って御前に進み出よ。

 

                                園長  真鍋良則

 
 
7月と8月は夏真っ盛りで、納涼や涼味などの涼を求める言葉が頭をよぎります。それらの言葉には猛暑をしのぐことの他に、暑さを逆手に取って楽しむことも含まれています。
 
園では夏の風物詩の一つ、そうめん流しをこの時期のお誕生会の催し物として実施します。
 
孟宗竹を半分に割った桶の中を流れるそうめんを箸ですくうのに、園児たちは歓声を上げながら奮闘します。そうめん流しは今でも夏場には観光地などで時々目 にしますが、道や庭先への打ち水や夕涼みの縁台などは見掛けなくなりました。最高気温が30度以上の日が真夏日ですが、猛暑に慣れた所為で最近は30度な らまだ涼しく感じます。地球温暖化の影響で35度を超える日も珍しくありません。昔ながらの納涼では涼を得られず、夏を楽しむことが難しくなりました。
 
夏の代名詞とも言える「納涼」は、逆の意味の「荒涼」という、荒れ果てて物寂しい状況を表す言葉にその地位を奪われています。
 
 夏の暑さに負けて自分自身が荒涼とならない為には、心身を強固にする以外に手は無いようです。もうすぐ夏休みです。学期中なら雨天でない限り、園児たち は毎日園の庭やお山を走り回っていますので、身体を鍛えています。気懸りなのは夏休みの過ごし方です。締りがなくなってだらけることが無いようにしたいも のです。
 
 若い頃の我が身を振り返れば、「夏休みこそ文部両道(学業と運動)に励む絶好のチャンスだ」と意気込むのですが、毎年9月には実行できなかった挫折感に 苛まれていました。計画の2割くらいしか達成できなかったからです。大分以前のことですが、テレビインタビューに大リーグのイチロー選手が出ていました。 司会者から3割5分くらいの高打率を誉められると、彼は次のように応えました。「自分は打てなかった6割5分のことを気にしている。こちらの方がはるかに 多いのですよ。」わたしは「失敗を糧として成長するイチローはさすがだ」と思いました。
 
 
 
 
 
 
 
 聖句 (ローマの信徒への手紙5章3節~4節)
 
 そればかりでなく、苦難をも誇りとします。わたしたちは知っているのです。苦難は忍耐を、
 
 忍耐は練達を、練達は希望を生むということを。

 

園長  真鍋良則

 
 
「子どもはケンカを通して成長する」と言っても過言ではありません。仲直りの仕方や仲間との付き合い方を会得し、さらに、人柄や人の長短を見分ける才を磨 くことが出来るのです。養巴幼稚園の卒園生で現在小学校1年の女生徒がいじめに遭いました。そのお母さんが娘さんの体験談を文書にされたものを読ませてい ただきました。紙面の都合で原文そのままではありませんが、概略は以下の通りです。
 
 
 
 学校初日、朝元気いっぱいで出かけたのに、帰宅した娘の口から真っ先に出た言葉は、「隣の席の子に2回も足をけられて痛かった」でした。私も驚き、心配 しましたが、しばらく様子を見ることにしました。しかし、それから毎日「その男の子に蹴られたり、つねられたり、足を踏まれたりした」との半ベソ報告が続 きました。その都度、先生には訴えていたようです。先生も気に掛けてくださり、相手にそれなりの処置をしてくださいました。相手の男の子は毎回先生に注意 され、怒られるのが面白くなかったようで、さらにエスカレートしてきました。娘が字を間違えたり、色を塗り違えただけで、「先生!○○チャンが間違えまし た!」と皆の前で、大声で叫ぶようになりました。娘は恥ずかしさの余り、精神的にも落ち込む日々が続きました。
 
 そんなある日、家で工作をしていた娘が突然立ち上がり、瞳をキラキラ輝かせて「そうだ、いいことを思いついた!△△君のいいとこ見っければいいんだ!」 と言ったんです。私は嬉しくて泣きそうになりながら、「それいいね!いいね!」と繰り返していました。早速、学校で先生に伝えたようで、家庭訪問の時 「○○ちゃんからとてもいい提案がありました」と言われました。
 
 その後娘は少しずつ△△君のいいとこ見っけを実践し、ほめたり、お世話したりして、優しく接するようになりました。すると、たたかれたり、蹴られたりす ることも無くなってきました。それどころか、ある日学校から帰るなりランドセルも置かずに、大興奮で「ママ、今日凄くいいことがあったよ!たいへん、たい へん!」と言うので、びっくりして聞くと、「△△君が帰りのご挨拶の時に、○○ちゃんのこと大好きっていってくれたんだよ」と話してくれました。
 
 
 
この卒園生は幼稚園で経験した「好いとこ見っけ遊び」を思い出し、自分の危機回避策として応用したのでしょう。お母さんは、娘さんが養巴幼稚園で学んだ大切なことを思い出し、実践できたことを喜ぶと共に、娘さんの成長に感激されていました。
 
 
 
 
聖句 (箴言10章12節)
 
憎しみはいさかいを引き起こす。
 
愛はすべての罪を覆う。

                                園長  真鍋良則

福岡市で8月1日といえば、大濠公園で毎年開催される慣例の花火大会です。今年35.5度まで上がった猛暑の中、外出するのは億劫でしたので、わた しは8時からの花火大会をNHKのテレビ中継で見ました。この中継番組を挟んだ7時と9時のニュース番組で「中高生に広がるネット依存」が取り上げられま した。関心があったので、先ず7時のニュースを見ました。「ネット依存者はネットからの脱却が非常に困難である」ということを知り、憂うつになってしまい ました。中高生と長年係わってきた者として、一瞬たりともスマートフォンから離れようとしない最近の中高生のことが気になっていたからです。8時からの花 火中継で、大空に咲く色とりどりの大輪の花を見ても、あまり楽しめませんでした。9時のニュースでは、「ネット依存は麻薬中毒と同じだ」と感じ、更なる ショックを受けました。
翌8月2日の朝日新聞の一面に「納涼の華 きらめく大濠」と題して、花火の写真と「約45万人の観客が6千発の打ち上げ花火や仕掛け花火を楽しんだ」とい う記事が載っていました。ところが、一面のトップ記事は、「ネット依存中高生52万人」という暗い見出しのものでした。中高生は本来ならば若さゆえに、花 火同様にきらめいていなければなりません。しかし、ネット依存のために目の輝きは失せ、冴えない中高生が増えているという全国規模の調査報告でした。
多くの若者が、自己向上に全く寄与しないパソコンやスマートフォンでのチャット(おしゃべり)やゲームに没頭し、日常生活や健康に悪影響が出ています。携 帯の通信機器が普及していなかった頃の中高生は、道を歩きながら、英単語のカードを指でめくって、覚えていました。今の中高生は歩きながら、指でスマート フォンを操作して全く無意味なことに時間をかけています。インターネット依存度が大きい者は、日に5時間以上も指で機器のボタンを押し続けているようで す。当然のことながら、睡眠不足や昼夜逆転、不勉強や不登校などの障害が発生しています。しかし、本人は病気の認識がないケースがほとんどだそうです。そ れで周囲の者が気をつける必要があります。改善法としては、ネットに使った時間の記録をつける、さらにスポーツや読書など、ネット以外に夢中になれること を見つけることを専門医は勧めています。現在このネット弊害が小学生にも及んできていますので、たかがゲーム、たかがチャットと軽視しない方が賢明です。
 
聖句 (ローマの信徒への手紙12章2節)
あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。

 

園長 真鍋良則

 
 
 
合掌といえば何を連想されますか。飛騨白川郷の茅葺きの合掌造りの民家でしょうか。それとも合掌捻りという相撲の技でしょうか。菅原伸郎という人が書いた「宗教をどう教えるか」という本があります。その中に食事の作法の一つ、手を合わせる合掌を取り上げた記事があります。富山県の公立中学校が生徒の保護者からその合掌にクレームをつけられました。皮肉なことに富山県といえば岐阜県の白川郷と同じく、世界遺産に登録されている五箇山の合掌造りで有名な所です。尤もこの問題が発生したのは世界遺産登録前でしたので、まだ知名度も低く、「合掌」という言葉のイメージダウンになることには余り気にされずに処理されたようです。
 
 富山県の公立中学校では給食の時間になり、配膳が済むと、日直の生徒が「合掌」と号令をかけます。全員が目を閉じて手を合わせ、「いただきまーす」となります。そして賑やかな食事が終わると、再び「合掌」の合図があって「ごちそうさまでした」となるそうです。このような作法に対して、「合掌というのは元来仏教の礼拝形式である。これを公立学校で行うことは特定の宗教活動を禁じている法律(教育基本法9条)違反である」とクレームが寄せられました。私立の学校や園ではこれは全く問題になりません。「信奉する宗教の精神に基づき教育(保育)する」と学則や園則に明記し、それで認可されているからです。
 
 富山県内の教育界は賛否両論で大騒ぎになり、県議会でも取り上げられました。教育委員会は、「これは学校に任せるべき問題である」と答えて逃げました。当の学校はこの件について2回の職員会議を開き、結局「合掌」という号令を止めることにしたそうです。調査した結果、生徒の大半の意見は、「合掌などの作法は食糧生産者や料理人に対してというよりも、食事によって動植物の命を奪うこと、即ち自然の恵みに対する感謝である」ということでした。合掌がなくなり、その感謝の気持ちが薄れた分、食事も以前より不味くなったのではないでしょうか。
 
 自然や人に感謝することも勿論大切ですが、命の根源である神さまへの感謝を第一にすべきです。養巴幼稚園では食前には神さまに感謝の歌と祈りを捧げています。晩秋の収穫期には野菜や果物を持ち寄って、神さまに感謝の礼拝を捧げ、近くの交番やデイサービスセンターなどに届けています。
 
 
 
 
聖句(ヤコブの手紙1章17節)
良い贈り物、完全な賜物はみな、上から、光の源である御父から来るのです。

 
 

園長 真鍋良則

 
 
 
 昨年の2月頃の朝日新聞の「ひととき」欄に、96歳のお母さんと同居されている主婦の方が、「生き方示す母に合掌」という題の文を寄稿されていました。同居されるようになって半年以上経つのに、高齢のお母さんはよその家に厄介になっていると勘違いされているのです。毎朝「今日一日お世話になります」、夕方には「今日はお世話になりました」と、合掌して挨拶されるそうです。日によっては挨拶したことを忘れて、何度も繰り返されるので、挨拶を受けるご主人は、その都度立ち上がって、きちんと礼を受けられているそうです。「母は恥ずかしそうに、満足そうに微笑んでいる。そんな母の姿を見ると、夫には申し訳ないが、ありがたいことだと思っている」と、主婦の方は記しておられました。
 
 人に対しては勿論のこと、朝日や夕日、果てはトイレやお風呂にまで合掌は及ぶそうです。さらに、寝る前には衣類をきちんと畳み、この家の主婦である自分の娘さんに対しても合掌されるそうです。合掌は感謝の気持ちの表れです。従ってこのお母さんは感謝で始まり、感謝で終わる有意義な一日を送っておられるのです。娘さんは「わたしこそ、元気でいてくれる母に合掌」という言葉で文を結んでおられました。
 
 南アジア諸国では、口で挨拶を交わす代わりに、無言のまま「合掌」の手の動作だけで済ますところもあるようです。日本では書簡文の末尾の敬具や敬白の代わりに、「合掌」と書くこともあります。しかしながら、合掌と言えば、やはり祈りのしぐさが連想されます。キリスト教的習慣では、仏式と同じように、指を伸ばし両手の平を合わせるものもありますが、両手の指を絡まして握りこぶしのようにする方が多いようです。いずれにせよ、感謝や懇願の祈りに心を集中させるためのしぐさです。神さまに対する祈りが、聖書では奨励されています。「どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。」(フィリピの信徒への手紙 4章6節)イエスさまは、「わたしのもとに来る人をわたしは決して追い出さない」(ヨハネによる福音書6章36節)と仰っています。わたしたちは祈りの結びに、「イエスさまの御名によって祈ります」という言葉を添えます。わたしたちの祈りはイエスさまを通して必ず神さまに届くのです。
 
 
 
 
聖句  (ヨハネによる福音書14章13節)
わたしの名によって願うことは、何でも叶えてあげよう。こうして、父は子によって栄光をお受けになる。

                                 園長  真鍋良則

 
 
 
 聖書の最初の1巻である創世記に、「初めに、神は天地を創造された」(1章1節)とあります。さらに、「神は御自分にかたどって人を創造された」(1章27節)と記されています。神学博士及び牧師として、さらに社会活動家としても活躍された賀川豊彦は中学生の頃初めてこの聖句に接した時の印象を次のように述べています。「神などあるものかと考えていた私は、これを読んだとき激しい驚きを感じた。」彼が受けた衝撃は正に晴天の霹靂だったようです。
 
 「色即是空」という日本人の宇宙観に影響を及ぼしてきた言葉があります。現象界の物質的存在は実体がなく、全て空である」という意味です。この思想と聖書の主張は正反対です。「空の空、一切は空である」という無常観と異なり、聖書には有義の宇宙観及び人間観が示されています。人を含めた天地万物はただ漠然と無意味に存在しているのではなく、その存在の根源には神の意志が働いているのです。総てのものは、目的をもって造られた神の被造物、即ち神のものなのです。
 
 人は神に応答し得る人格を与えられ、神の栄光を映し出すために造られました。その具現化の一つが、モーセを通して神から授けられた十戒です。それに対するわたしたち一人ひとりの応答が神から問われています。その第1戒は、「あなたは、わたしをおいてほかに神があってはならない」です。第2戒では神でないものを神として崇める偶像礼拝を厳しく誡めています。創造主なる神を崇拝することが最も大切なことであり、わたしたちはそれによって神の祝福に与ることになるのです。逆に偶像に平伏し、偶像を拝むことは、何の力も無いものに頼るのですから、当然のことながら何のプラス効果もありません。それどころか偶像礼拝は全知全能の神を冒涜するというマイナス効果を危惧すべきです。自分の愛する子から無視され、さらに侮辱されたら、親はどのような気持ちになるでしょうか。創造主なる神とわたしたちの間には、地上の親と子の関係をはるかに超えた永遠の絆があるのです。
 
 
 
 
聖句 (マタイによる福音書 22章37節~40節)
イエスは言われた。「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を
 
  愛しなさい。』これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。
 
『隣人を自分のように愛しなさい。』律法全体と預言者は、この二つの掟に基づいている。」 

 
  

2012年度

園長 真鍋良則

今年度も園児たちが遊びや出会いを通して、心身共に大きく成長することを願っています。
人の一生はいくつかの節から成っています。遊びの幼児期の次は勉学の学童生徒期、さらには自立の青年期そして子育ての保護者期、働き盛りの壮年期、最後は 静かな余生となります。それぞれの期間の前に書いていますように、期間によって本分とすることが異なっています。それで期間中の本分を人生の目的とするこ とはできません。遊びだけを生涯追い求めれば、人間失格です。子育て意識が強すぎて、自立後も子どもに付きまとえば、嫌われるでしょうし、下手をすると、 子どもを駄目にしてしまいます。人生の目的は各期間の本分はおろか最大の節目である死をも超越したものでなければ役立ちません。
昨年のNHK大河ドラマは徳川第2代将軍、徳川秀忠の妻となった「お江」でした。豊臣秀吉の側室になった茶々の妹で、秀吉に対しても歯に衣着せぬ物言いを する女性として描かれていました。ところで豊臣秀吉は日本史の中で飛び抜けて目立つ人物です。貧しい百姓の倅でしたが、人生の節目毎に力の限り奮闘し、出 世しました。そしてついに天下人になりました。人も物も自分の思いのままに出来る実権を握りました。ドラマでは、彼の振る舞いに文句を付ける者は、お江以 外誰もいませんでした。権力欲・名誉欲・金銭欲・肉欲などのあらゆる欲望を彼は思う存分に満たした筈です。それで晩年に、「自分は人生の目的を総て達成し て満足だ」と思ったでしょうか。そうではありませんでした。彼の辞世の句は、「露と落ち露と消えにし我が身かな、浪花のことは夢のまた夢」です。秀吉は自 分を露に、自分が為してきたことを夢に譬えました。「自分の人生は虚しく、はかないものだった」と告白しています。彼が後世に遺した功績は、全国を平定し て、天下統一を成し遂げたことでもなく、大阪城を築いたことでもありません。彼の最大の功績は彼の辞世の句です。「本能的欲望の達成は、人生の目的にはな らない」ということを証明しているからです。
「人生は虚しく、はかない」ではなく、「人生は意義深く、価値ある」と思うことが出来れば、本当にありがたいことです。聖書は実はそのこと、その一点をわ たしたちに訴えているのです。「神は御自分にかたどって人を創造された」(創世記1章27節)と聖書に記されています。「かたどる」とは「似せる」という 意味ですが、ここでは外形というよりは、人の心が論じられていると解釈できます。即ちわたしたちは、神さまをそして隣人を愛する存在として造られているの です。わたしたちがこの目標に向かって生きるならば、欲望の虜にならず、希望に満ちた充実した人生が約束されているのです。
 
 
聖句 
イエスは言われた。「心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。」これが最も重要な第一の掟である。第二も、これと同じように重要である。「隣人を自分のように愛しなさい。」
                       (マタイによる福音書22章37節~39節)

園長  真鍋良則

「しつけ」は漢字では身が美しい(躾)と表記します。一般には礼儀作法を身に付けさせることを意味しますが、ただ単にからだの所作だけでなく、「こ ころもからだも美しくする」と解釈するのが筋でしょう。親は勿論のこと教師も含めて育児や教育に携わる者は、子どもの躾に気を配らなければなりません。
幼児期の子どもに充分誡めておかなければならないことは、うそ偽りに対してです。雑草が芽の内に摘んでおかないと手に負えなくなってしまうことからも、幼 児期にうそ偽りの芽を摘み取ることが肝心です。人は誰でも自己防衛本能がありますので、自分が不利な状況に陥らないように、つい嘘をついてしまうという弱 さを持っているからです。それで子どもが口にする虚偽に気付いたら、即座にそれを指摘し、諌めなければなりません。嘘をつくと、子どもの脳裏に怖い親や教 師の顔が思い浮かぶくらいにしておくべきです。嘘を口にしても悪いと思わない子どもにならないように、大人は指導する義務があります。うそ偽りに対して罪 悪感がない者は、学校では平気でカンニングをするようになりますし、さらに盗みなどの悪に走りがちです。総ての犯罪の底流には欺き即ちうそ偽りがあること からも、これに対応する躾の重要さはいくら強調してもし過ぎることはありません。
悪行を働いても人の目を掻い潜ることさえ出来れば、万事OKだという風潮が日本にはあります。実は人の目以上にわたしたちが気にしなければならない目があ ります。一つは自分の目です。人の目を欺いて自分の悪行を隠し通すことは可能かもしれませんが、自分の目は自分の総てを見ています。心に秘めたうそ偽りが 多いほど、心の闇は深まります。その闇の所為で気分は滅入り、目は曇って輝きも失せてしまいます。自分にとって自分という存在が重荷に感じるようになるで しょう。人はその重荷を一人で担うことは到底出来ません。
わたしたちがその存在を知らなければならないもう一つの目は神さまの目です。現在の日本では冠婚葬祭用の宗教はあっても、それは人々の日常生活にほとんど 影響を及ぼしていません。聖書には「神の御前では隠れた被造物は一つもなく、すべてのものが神の目には裸であり、さらけ出されているのです。この神に対し て、わたしたちは自分のことを申し述べねばなりません」(ヘブライ人への手紙4章13節)と記されています。全知全能の神さまはわたしたちの振る舞いはお ろか心の中の想いまでお見通しなのです。わたしたちは人や社会に対してではなく、究極的には神さまに対して責任を取らなければならないのです。わたしたち は「そのようなことをしたら、人に笑われて恥をかきますよ」と言って叱りがちですが、それは人前だけ繕えば良いという印象を子どもの心に焼き付けます。人 がいる、居ないに関係なく、身を正すという躾を心掛けなければなりません。
 
聖句   わたしの舌がまだひと言も語らぬさきに
      主よ、あなたはすべてを知っておられる     (詩編139篇4節)

園長 真鍋良則

何に載っていたのか忘れましたが、以前「困った時の蔓(つる)頼み」という言葉を見たことがあります。「苦しい時の神頼み」という言葉をもじったも のです。蔓とは蔓性植物のことです。そう言えば70年程前、日本全土が戦争で荒廃して大変な食糧難に陥った時、日本人を飢えから救ったのはサツマイモやカ ボチャ等の蔓性植物でした。多数の学校が校庭を芋畑にせざるを得ませんでした。
現在の日本は食糧難という状況ではありませんが、食糧自給率は世界最低で50%を切っています。海外からの輸入が途絶えるならば、忽ち国民は食に窮しま す。日本の出生率は低く、人口は減っていますが、世界的には増えています。日本の食糧不足分をいつまでも輸入で補うことが出来るとは到底思えません。国家 でさえ破産するような不安定な今の世界情勢では、何が起こっても不思議ではありません。日本は早急に食糧自給率の向上に取り組む必要があります。温暖多雨 で世界有数の森林国であり、肥沃な大地を持つ日本が、食糧自給が出来なければ、それは自然の恵みに応えず、延いては自然の主であられる神さまの恵みを蔑ろ にすることです。
現在就職できない若者が増えています。その若いエネルギーを食糧増産に注ぎ込むことが出来れば、失業者減・食糧自給率向上の一挙両得になります。さらに、 昨年の貿易収支は2兆円以上の赤字だったそうですが、輸入が減る分が外貨節約にもなりますので、一挙トリプル得となります。
「蔓頼み」で養巴幼稚園にも当てはまるのは緑のカーテンです。もうすぐ猛暑の候となりますが、蔓性植物(ゴーヤ・ヒョータン・ヘチマ・アサガオ等)の緑の カーテンで被われた日向の壁の温度は約10度下がるそうです。園では蔓性植物を園舎の壁に這わせてはいませんが、園舎は沢山の樹木で囲まれていますので、 同じような効果があります。木々の葉っぱから水分が蒸散して周りの熱を奪ってくれるからです。さらに、もう一つ自然の恵みを利用した暑さ寒さ対策を取り入 れています。園舎の真下の地中に通したパイプに常時空気を送り込み、一階の保育室に噴き出すようになっています。地中の温度が年間ほぼ変わらないことを利 用しているのです。自然力を上手く用いれば、省エネや環境保全にも寄与することを子どもたちにも知らせる必要があります。
 
 
聖句    地とそこに満ちるもの
       世界とそこに住むものは、主のもの。
       主は、大海の上に地の基を置き
       潮の流れの上に世界を築かれた。  
                                     (詩編24篇1節~2節)

園長  真鍋良則

今年の1月から新園舎を使い始めて半年以上経ちました。慣れということもあって当初の感激も薄れてきたような気がします。それらを取り戻すために園舎完成時を顧みたいと思います。
今年の1月28日(土)のこどもまつりに来園された方々に新園舎の印象をアンケート形式で問いました。「新園舎の第一印象は?」という最初の質問には、回 答者のほぼ全員が「大変良い」という答えでした。無回答の人をも含めて来園者の大多数が新園舎に親近感を抱いておられることが推察でき、ほっとしました。 こどもまつりに来られたのは園児とその家族を除けば、卒園生やその身内の方々がほとんどでしたので、旧園舎をよくご存知です。それで旧園舎と比べて違和感 が無いということが、良し悪しの判断に大きく作用したようです。回答者の80%以上が「新園舎には旧園舎の面影がある」という選択肢に○を付けられまし た。新園舎は旧園舎と同様に、運動場レベルから一段低い所に建っていることや建物の外観が旧園舎を彷彿させるので、安堵されたのでしょう。
しかし、一旦園舎内に入ると、旧園舎とは全く違う間取りや様子に度肝を抜かれたようでした。それでも雰囲気としては旧園舎と同様の心安らかな温かさを感じ る、と皆さんから言われ、スタッフ一同嬉しくなりました。アンケートでは「印象が強かった箇所を列挙してください」とお願いしました。その結果は以下の通 りです。
① 2階ホール、②屋上庭園、③床暖房、④1階ホール内の円形レンガ壁、⑤2階の円形窓、⑥ 迷路のような間取り、⑦上にままごと遊びコーナーがある室内滑り台、⑧鳥かごランプが吊り下がっている1階ホールの絵本コーナー、⑨円形レンガ壁内の幼児トイレ
⑦~⑨の室内滑り台、絵本コーナー、幼児トイレは旧園舎にも備わっていましたが、それ以外の①~⑥は旧園舎には無かったので、新鮮に感じられたのか も知れません。上記の感銘を受けた9箇所の中で「幼児トイレ」を挙げた方が一番多かったのにはびっくりしました。建物にトイレは付き物ですが、どちらかと 言えば建物の隅の人目に付きにくい所に押しやられるのが普通です。ところが新園舎の幼児トイレは保育室と一体化されておりますので、大変目立つ所に設置さ れています。色彩を含めた構造的なものも大変目立ち、注目を浴びました。年長さんと年中さんのトイレは吹き抜け窓が付いた高い天井で、周囲は半円形のレン ガ壁と直線のコンクリート打ち放し壁に囲まれています。それだけでも目立つのですが、壁に彫られた縦3m横2mくらいのバイオリンの線画に圧倒されます。 園児が便器に座ると、目線の先にそのバイオリンがあるという仕組みです。わたしはこのトイレを見て、「神は、見劣りのする部分をいっそう引き立たせて、体 を組み立てられました」(コリントの信徒への手紙一 12章24節)という聖書の言葉を思い出しました。
 
聖句  
あなたがたはキリストの体であり、また、一人一人はその部分です。
(コリントの信徒への手紙一 12章27節)

園長 真鍋良則

 今年3月末に完結したNHKの連続テレビドラマ「カーネーション」の主人公糸子は、「棚ぼた」式に転がり込む幸運をじっと手をこまねいて待つタイ プではなく、エネルギッシュで開拓精神に富んだ魅力的な女性でした。「カーネーション」の脚本家渡辺あやさんによれば、「主人公のモデルはファッションデ ザイナーのコシノ3姉妹の母、小篠綾子さんで、彼女の座右の銘は『与うるは受くるよりも幸福なり』という聖書の言葉であった」と新聞紙上で述べておられま した。小篠綾子さんの一生は波乱万丈で、苦しい時期も多々あったのですが、彼女はいつも輝いていたそうです。「その輝きは彼女の座右の銘が為せる業だった のではないか」とわたしは思います。世間一般の生き方は、聖書とは逆の「受くるは与うるより幸いなり」ですので、それとは異なる彼女の生き方は世間で際立 ち、彼女を輝かせたのでしょう。
 現在使われている新共同訳聖書では、「受けるよりは与える方が幸いである」(使徒言行録20:35)という表現になっています。「受ける、与える」と言 えば、何か物を連想しがちですが、人に施す優しさや思いやり等も念頭に置くべきです。開びゃく以来今日に至るまで領土や権益の争奪に明け暮れてきた人類に は、この聖句は空念仏になっていますが、これから世の主役となっていく子どもたちには、この聖句をしっかり心に刻んで欲しいと願っています。
 聖書には世間の常識と反対の言葉がいろいろ出てきます。「心の貧しい人々は幸いである」、「敵を愛しなさい」、「わたしが来たのは、正しい人を招くため ではなく、罪人を招くためである」「子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ」。これらは前述の座右の銘もそうですが、イエスさまが言われた言葉 です。上記下線部の単語をそれと正反対の意味の下記下線部の言葉に置き換えるならば、常識的な文章になります。「心の豊かな人々は幸いである」、「敵を憎 みなさい」、「わたしが来たのは、罪人を招くためではなく、正しい人を招くためである」、「老成して分別ある人が、天の国でいちばん偉いのだ」。キリスト 教は非常識的であるということで敬遠される向きもありますが、深遠な真理はこの世の常識を超越した言葉にこそ示されるのです。
 「人々によって十字架につけられ、殺されたイエスさまは、実は神の子、メシア(救い主)である」と聖書はわたしたちに告知しています。十字架と神の子は 人間的常識から判断すれば結びつきません。「神の子なら、自分を救ってみろ。そして十字架から降りて来い」(マタイによる福音書27:40)と人々が罵っ たのも頷けます。しかしこの逆説の中にこそ実は人類の救いが約束されているのです。
 
 
聖句     
十字架の言葉は、滅んでいく者にとっては愚かなものであるが、わたしたち救われる者には神の力です。
(コリントの信徒への手紙一 1章18節)

園長  真鍋良則

 身内の者が入っていることもあって、わたしは最近老人ホームに毎週行っています。老人を介護されているスタッフの方から、「高齢者は認知機能が衰 えているので、よくトラブルが起きる」ということを聞きます。「あの人がわたしの物を盗った」とか「あの人がわたしの悪口を言い触らしている」と叫び、相 手を憎々しく攻撃する老人がかなり居られるようです。実際にはそのような事実は無いのです。自分が物を仕舞ったのに、それを忘れて見つからないのを人の所 為にしてしまうようです。挨拶したのに返答が無かったというだけで、自分を誹謗していることになるようです。被害を受けた確たる証拠は何にも無いのに、思 い込みは凄まじく、相手に対する憎しみも尋常ではありません。
 「愛憎相半ばする」という言葉がありますが、人間の本性は一体どちらでしょうか。半々でしょうか。人と人との紛争、国と国との戦争に明け暮れてきた人類 の歴史を顧みれば、その答は明らかです。人は誰でも「愛されたい、価値ある存在として認めてもらいたい」という欲求があります。その欲求が強ければ、満た されない場合の反動としての憎しみもそれだけ強くなります。愛不毛の人間社会は憎しみに満ち満ちています。
 「愛されたい、認められたい」というわたし達の切なる願いは、幼年期から老年期に至る人生の各段階に於いて、容易く叶えられることではありません。「む しろ実現する方が稀である」と言えなくもありません。わたし達の周囲にはその証拠がいくらでも見つかります。仲間外れ、いじめ、メールだけの交際、パチン コや電子ゲーム等の独り遊び熱中、就職難、結婚難などです。社会の中で孤立無援の寂しさに耐え兼ねている人々の姿が目に付きます。
 皆さんにぜひ知って欲しい言葉があります。旧約聖書のイザヤ書43章4節に、「わたしの目にあなたは値高く、貴くわたしはあなたを愛す」とあります。 「価値ある存在として認められ、愛されることは稀である」と前記しましたが、実はそうではないのです。わたし達が知らずに気付いていない途轍もなく大きな 愛があるのです。新約聖書のヨハネによる福音書3章16節にはその愛が具体的に表記されています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛され た。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
 わたし達に注がれているこの大きな愛に気付けば、わたし達は「誰からも認められない、誰からも愛されない」という反動から生じる憎しみから解放されま す。さらに一歩進めて、イエスさまはわたし達に「敵を愛しなさい」(マタイによる福音書5章44節)と言われました。これはわたし達には大変衝撃的な言葉 です。敵を憎み、敵を排除することが当たり前のこの世の常識に逆らうことだからです。わたし達はこの世の常識に流され放しにならないように、神さまの助け を求めつつ、前進しなければなりません。
 
聖句  
わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。    
(ヨハネの手紙一 4章10節)

 

園長  真鍋良則

 
 
  幼稚園の1年間の歩みの中で、スタッフが一番心労する時期は4月です。入園したばかりの年少さんが新しい環境や状況に慣れていなくて落ち着かず、泣く 子もいるからです。朝親と一緒に登園して、別れ際「ママ(パパ)がいい」と言って泣き喚く子が毎年数名います。表向き泣かない子も我慢しているだけで、内 心穏やかではないのです。親が「お昼には必ず迎えに来るからね」と言っても、子どもの不安はなかなか解消しません。親の約束の言葉を信じることがまだ出来 ないからです。しかし親が迎えに来て、再会の喜びを味わう体験を日々重ねることによって、少しずつ親の約束に対する信頼が子どもの心の中に醸成されていき ます。子どもによって差がありますが、一般的には5月中旬頃には親が傍に居なくても、親の約束を信じて、安心して遊べるようになります。
 
 子どもの心の中に生じるこの変化は、「信仰」と相通ずるところがあります。イエスさまの弟子たちは、イエスさまと一緒に生活していた時は、大船に乗った ような気持ちで安心しきっていました。ところが、イエスさまが十字架に掛けられ、亡くなられると、弟子たちはなす術を知らず、ただうろたえ戸惑うばかりで した。家の戸に鍵をかけて、内に閉じ籠もってしまいました。生前、イエスさまは弟子たちに「わたしは、あなたがたをみなしごにはしておかない。あなたがた のところに戻ってくる。しばらくすると、世はもうわたしを見なくなるが、あなたがたはわたしを見る。わたしが生きているので、あなたがたも生きることにな る。」(ヨハネによる福音書14章18~19節)と言って、ご自身の復活を予告されていました。それにも拘わらず、弟子たちは心底からイエスさまの言葉を 信じてはいなかったようです。聖書には弟子たちが復活されたイエスさまに初めて出会った時、「彼らは恐れおののき、亡霊を見ているのだと思った」(ルカに よる福音書24章37節)と記されています。しかしイエスさまの復活を契機に、必ず実現するイエスさまの言葉が持つ力に気付き、弟子たちはイエスさまへ絶 対的信頼を寄せるようになりました。それ以降弟子たちはどんな境遇に遭遇しても、どんな事態になっても、不安で怯えうろたえたり、希望を失ったりすること はありませんでした。復活されたイエスさまが直接弟子たちに、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる」(マタイによる福音書28章20 節)と言って励まされました。そのお蔭で弟子たちは如何なる場合にも不安無く過ごせるようになったのです。
 
 「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる」(ヨハネによる福音書11章25節)と約束してくださったイエスさまは、わたしたちといつも共にいてくださる方でもあります。
 
 
 
聖句  
 
見よ、おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。
 
この名は、「神は我々と共におられる」という意味である。
 
 
 
 
 (マタイによる福音書1章23節)

 

園長  真鍋良則

 
 
 先月は養巴にとっては2年振りに落ち着いてクリスマスを守ることが出来ました。2010年の暮れは旧園舎解体、2011年の暮れは新園舎完成のため、い ずれも2学期の終園式を早めて引っ越しをしなければなりませんでした。大変慌しかったことが思い出されます。慌しいと言えば、年末の街頭もそうです。近年 大掛かりな電飾のクリスマスツリーが通りを一層華やかにしています。外国人は一瞬、「日本はキリスト教国になったのかな?」と思うようです。しかしすぐに 化けの皮は剥がれます。日本のクリスマスは商業主義に利用されているだけで、肝心のクリスマスの主人公であるイエスさまは完全に無視されているからです。 これは本当に残念なことです。経済や文化の面で比較的進歩した国々の中で、日本はキリスト教に一番馴染の浅い国のようです。
 
 養巴もそうですが、日本にはキリスト教主義の学校や園がかなり沢山あります。そこでキリスト教の薫陶を受ける者は多いのですが、信仰にまで至る者は極わ ずかです。その原因の一つに日本の伝統的宗教の影響が考えられます。里帰りで高速道路に数十キロに及ぶ渋滞を引き起こす正月や盆は、日本人にとって大切な 年中行事です。そのいずれにも宗教が絡んでいます。正月には神社に、盆には仏閣に大勢の人々が参詣します。めでたい時には神社で、死者を弔う時は仏閣でと いうことは腑に落ちません。何か理由があるのでしょうか。日本人は信仰とは無関係に目的に応じて宗教を使い分けしています。節操が無いと言えば、それまで ですが、これは過去に外来宗教である仏教を排斥しようとした国粋主義の後遺症でもあります。最近、キリスト教会としての機能は何も果していないのに、教会 と称している結婚式場があります。これからも特定のご利益だけを掲げる偽宗教がいろいろ出てくることが予想されます。
 
 旧約と新約を含めた分厚い聖書の記事を要約すると、次の聖句になると言われています。「神はその独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を 信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(ヨハネによる福音書3章16節) 独り子とはイエスさまのことです。神さまの愛をわたしたち に示すために、この世に遣わされたイエスさまを信じることが求められています。キリスト教は、信仰が永遠の命に繋がるほどの重みがある宗教です
 
 
 
 
 
 
 
聖句  
 
永遠の命とは、唯一のまことの神であられるあなたと、あなたのお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。   
 
 (ヨハネによる福音書17章3節)

園長  真鍋良則

 
 
 生きる気力が失せるうつ病が、すべての年齢層で増えています。表面的には充実した生活を送っているように見えても、心底はそうでなく、空虚で心細い人が 多いのです。「今日の衣食住は満たされても、明日の保証はない」、「今日は愛されているが、明日は嫌われるかも知れない」などと、総てを悲観的に考えるよ うです。最近の若者が結婚に踏み切れないのは、自分自身に確信が持てないのに、社会も不安定で、先を見通せないからです。「老後のことが心配で夜も眠れな い」と若者が嘆いています。
 
 うつ病の原因は、いろいろあるでしょうが、その最たるものは希望の喪失です。「希望」を辞書で調べると、「将来に良いことを期待する気持ち」とありま す。「病気や高齢さらには失職や退職などで働くことが出来なくて、生活に窮するかもしれない」と考え、心配が先立つと、うつ病になるのは当たり前で、なら ない方が不思議なくらいです。恵まれた境遇になって、生涯衣食住にも不自由しない目処がついたとしても、人生最後の難関である死を切り抜ける目処がつかな い限り、これまた人生は暗闇です。
 
 学生の頃わたしは、「人生は重荷を担いゴールの死線まで、ひたすら走るマラソンだ」と考え前途に絶望し、うつ状態でした。重き荷とは下ろしたくても下ろ せない、持って行く場も無い自分自身という存在です。不安や疑問をいっぱい抱え、何の取り柄も無い自分を持て余していました。「精を出して走っても、出さ ないで走っても結果は同じ、どんな走り方をしても行き先は死というゴールしかない。そしてそこで一切が終わるのならば、わざわざ苦労して走る意味は無い。 マラソンを棄権しよう」とさえ考えました。人生に希望が見出せないことと関連づければ、大多数の日本人はうつ病であると診断されても仕方ありません。表向 きうつに見えない人でも、死とそれに伴う不安を無視し、殊更意識しないようにしている向きもあります。それは一種のごまかしで、何の解決にもなりません。
 
 イエスさまが十字架につけられた時、二人の犯罪人もイエスさまの左右に十字架につけられました。イエスさまを一人は偽メシアと見做し、もう一人は神から 遣わされた真のメシアと信じていました。死という人生最悪の暗闇から抜け出られたのはどちらか、次の聖句を読めば答は明白です。
 
 
 
 
聖句  十字架にかけられていた犯罪人の一人が、イエスをののしった。「お前はメシアではないか、自分自身と我々を救ってみろ。」すると、もう一人の方が たしなめた。「お前は神をも恐れないのか、同じ刑罰を受けているのに。我々は、自分のやったことの報いを受けているのだから、当然だ。しかし、この方は何 も悪いことをしていない。」そして、「イエスよ、あなたの御国においでになるときには、わたしを思い出して下さい」と言った。するとイエスは、「はっきり 言っておくが、あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた。                    (ルカによる福音所 23章39節~43 節)

 

園長  真鍋良則

 
 
 子どもがあどけなく可愛いのは邪心や嘘偽りがなく、心が開けっぴろげで無邪気だからです。逆に大人の心は邪気だらけですから、可愛くありません。子ども は邪気がないので、素っ裸になっても平気で恥ずかしくありません。実はこれが人間本来の姿なのです。最初の人アダムとエバは、「二人とも裸であったが、恥 ずかしがりはしなかった」(創世記2章25節)とあります。ところが禁断の木の実を食べるという罪を犯した後は、裸であることを恥ずかしいと思うようにな りました。わたしたちに羞恥心があるということは、わたしたちの心の中に人に見られたくない、知られたくない思い、後ろめたさがあるからなのです。ローマ の信徒への手紙一章には、人間の罪の具体例として、情欲・むさぼり・ねたみ・殺意・不和・欺き・邪念・そしり・高慢・無慈悲などが記されています。
 
 わたしは学生の頃、若気の至りで無茶なことや恥ずべきことをしておきながら、自分の不徳に気付きませんでした。やがてわたしは自分がおかしい、気が変に なったと思うようになりました。わたしの頭の中に鏡があって、わたしの想いが総てそれに映し出され、跳ね返ってくるのです。自分の嫌な姿を否応無しに意識 せざるを得ません。これには参ってしまいました。自分が汚くて嫌らしい人間であることを否というほど思い知らされ、わたしは完全に打ちのめされてしまいま した。親はわたしが狂ったと思い、精神病院に入れようとさえしました。この病は医者では治せないことがわかっていましたので、わたしはひたすら、「神さま 赦してください。そして助けてください」と祈りました。間もなく頭の中の鏡が消え、普通に過ごせるようになりました。神さまがわたしの祈りに応え、憐れみ 赦してくださった、と信じています。
 
 新約聖書のかなりの部分がパウロの書簡で占められていますが、そのパウロはローマの信徒への手紙の中で次のように述べています。「正しい者はいない。一 人もいない。善を行う者はいない。ただの一人もいない。」さらに、「わたしは、自分のしていることが分かりません。自分が望むことは実行せず、かえって憎 んでいることをするからです。わたしはなんと惨めな人間なのでしょう。死に定められたこの体から、だれがわたしを救ってくれるのでしょうか」と告白してい ます。
 
 わたしたちの罪を贖うためにイエスさまは十字架につけられました。イエスさまの十字架の左右に二人の強盗も十字架につけられていました。イエスさまに向 かって一人は、「お前はメシアではないか。自分自身と我々を救ってみろ」とののしりました。もう一人は、「あなたの御国においでになるときには、わたしを 思い出してください」と懇願しました。この十字架につけられている犯罪人の姿こそ、実はわたしたち人間の姿、死に定められている人間の姿なのです。わたし たちにはどちらの犯罪人になるのか、という選択肢しかありません。イエスさまから「あなたは今日わたしと一緒に楽園にいる」と言われた犯罪人の方にあやか りたいものです。
 
 
 
 
聖句   イエスは言われた。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は、死んでも生きる。」
 
(ヨハネによる福音書11章25節)